
現在も過去も、気に入らない言論を暴力で黙らせようという、ルール違反の輩(やから)はいるものです。1960年代前半は政治少年によるテロ事件が連続しました。『風流夢譚事件』では50歳の女性が亡くなっています。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
【写真を見る】17歳の言論テロ『風流夢譚(ふうりゅうむたん)事件』とは?(1961年)【TBSアーカイブ秘録】
中央公論社の社長襲撃1961年の2月1日、中央公論社・嶋中鵬二社長の自宅が、刃物を持った犯人によって襲われました。
嶋中社長は外出していて難を逃れましたが、犯人は家政婦の丸山加禰さん(当時50)を刺し殺し、雅子夫人に重傷を負わせて逃げました。
近くの病院に運ばれたときには、すでに丸山さんは死亡、雅子夫人はようやく一命を取り留めました。これが『風流夢譚事件』または『嶋中事件』と呼ばれる事件です。
事件の発端は『中央公論』に掲載された深沢七郎氏の短編小説『風流夢譚』でした。
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この小説には、夢の中の出来事ではあるものの、実在(しかも実名)の皇族たちが架空の革命のために首を切られるなどというシーンがあり、これが不敬でふざけている上に下品だと右翼の憤激をかっていました。
これらの描写には一般読者も眉をひそめ、朝日新聞なども「人道に反する」「夢物語だから許されるというものではなかろう」と非難しました。
結局、中央公論は宮内庁に謝罪の意を示し、61年の新年号に「お詫び」を掲載しましたが、右翼団体は収まらなかったのです。
犯人は事件後、約10時間で自首しました。長崎県出身の17歳の少年Aでした。この17歳という年齢は前年に社会党・浅沼稲次郎委員長を刺殺した事件の犯人と同じだったために、社会は大いにショックを受けました。
犯行の動機については「作者も悪いが、それを売って金を儲ける社長はなお悪い」と供述したといいます。
この年はちょうど上皇陛下のご成婚の翌年であり、いわゆる「ミッチーブーム」の最中であったことも影響したとも言われています。
国会では治安対策を問う声が上がりました。刃物をおおっぴらに持ち歩くことの危険もさることながら、少年Aが右翼団体・大日本愛国党に所属していたことが問題視されたのです。
少年Aは愛国党に所属(仮入党)していましたが、襲撃前に脱党していたといいます。
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警視庁は大日本愛国党を家宅捜索し、赤尾敏総裁が逮捕されるにいたりました(殺人教唆の疑い)。しかし、その2か月後には証拠不十分で不起訴となっています。
事件以後の少年Aじつはこの事件、当時の右翼の中でも評価については意見が分かれていました。
前年の浅沼事件とは違って、ターゲット本人ではなく無関係の女性を殺傷させたこと。そして、その家政婦は社長夫人を守って亡くなっており彼女に対する国民の同情が集まったことが大きかったとされます。
一方、言論界からは「言論の自由」「暴力に屈するな」との主張が多々上がりました。しかし、いわゆる「菊のタブー」がますます意識されるようになった、との声も聞かれるようにもなったのです。
判決は懲役15年。少年Aは精神疾患を患い医療刑務所送致されましたが、その後の消息は不明です。