フィリップ・アイランド・サーキットを走った樋口耕太(H.L.O Racing) 2月21〜23日、スーパーバイク世界選手権(WorldSBK)の併催としてオーストラリアスーパーバイク選手権(ASBK)が行われた。そこに日本人ライダーである樋口耕太が初参戦した。憧れであったフィリップ・アイランド・サーキットでのレースのために一から準備を始め、海外戦の出場を達成、そして夢を叶えた樋口の挑戦についてお届けする。
樋口は16歳でバイクの免許を取得。翌17歳にはWGP(現MotoGP)のビデオでオーストラリアのフィリップ・アイランド・サーキットでのレースを観た際に自身も同地で走りたいという夢を持った。22歳でレースデビューを果たすと、国内で鈴鹿8耐や全日本ロードレース選手権JSB1000クラスへ参戦するまで上り詰めるが、資金調達のために仕事の掛け持ちも並行しつつ活動していた。
その後、レースの継続のために生活スタイルを変更する決断を下して、猛勉強の末に32歳で行政書士資格を取得。行政書士として仕事をしながら、現在はレーシングライダーとして23年目、45歳となった。そんな彼が、2023年9月上旬にレーサーとしてやり残した事を自問自答。鈴鹿サーキットでの2分09秒台を計時すること、昔から憧れていたフィリップ・アイランド・サーキットでレースをしたいという結論を導き出した。
そこからASBKへ視察へ出向き、イベント事務局やブリヂストンタイヤサービスのスタッフへの交渉を行ったという。帰国後はASBKの参戦に向けて準備をしていくが、現地チームからの出場や現地でバイクを用意する選択ではなく、車両や機材すべてを日本から持ち込んでレースに参戦することに決めた。樋口はスズキGSX-R1000R、ブリヂストンタイヤなど、日本でのレース参戦体制となるべく近い状態にこだわったのだ。
そのため、船便での輸出ができる業者を探したが、見つかった業者とうまく話がまとまらず一度振り出しに。その後、別の業者とはすぐに話が進み準備が進んでいく。2024年10月下旬にはバイクと機材を出荷して、2024年12月下旬のライドデイ(練習走行会)への参加に間に合った。
■走行会でフィリップ・アイランドを初ライド!
念願の初走行の日を迎えたのは2024年12月18日。テレビ画面を通じて観ていた「ロケーションの素晴らしさは、想像以上」だったようで、3コーナーの外側に見える大海原と広く青い空に感動したという。
しかし、海外の路面は想像とは違い、新しく綺麗に見えるが、日本のサーキットにはないギャップとうねりを走行時に感じる。事前に同じマシンを鈴鹿サーキットで走らせていたが、サスペンションが船便輸送中に壊れたのかと思うほどに車体が振られたようだ。初走行での驚きもあったが、情報がほとんどないなかでコースへの慣れや車体セッティングを進めていった。
オーストラリア人で元ASBKライダーの方からのアドバイスやキャンベラ在住の日本人メカニックのサポートもあり3日間の走行を終えて、さらにレースへの準備を遂行していった。
また、レース前の2月には公式テストやライドデイに参加する機会を予定していたが、今季は公式テストが開催されないことに。さらにレースの開催されるサーキットをレースウイークの走行が開始される日から21日間は走行できないというルールがあることも発覚。レース本番まで2度目の走行をすることができなくなってしまった。
その状況を補うため、初走行時のオンボード映像でのイメージトレーニングを毎日行ったという。そして1月中旬から始まったエントリーも数日間かけて完了させた。
■いよいよASBK初レースの渡航。20日間の滞在と迎えた本番
時差はあまりないが気候が日本と真逆のため、樋口は真冬の日本から真夏のオーストラリアに体を順応させることと、トレーシングの目的で2月9日から20日間現地に滞在。上記にもあるキャンベラ在住のメカニックの家、元ASBKライダーの家にもホームステイして、英語力を鍛えるための短期留学としてもこの期間を費やした。
そして、樋口にとって「多くの時間・労力・費用を費やしてきた」というASBKのレース本番を迎えた。結果も重要だが、「ずっと憧れていたこのサーキットでのレースに出られること、力を貸してくれたすべての皆さんに感謝し、誰よりも楽しんですべてのセッションを走りました」と説明する。
WorldSBKとの併催のため、ピット裏に割り当てられたスペースでマシンを準備。金曜日は30分のフリー走行が2回だ。12月以来の走行、朝晩の寒暖差が20度以上の時もあるためにセッティングやタイヤ選択も難しい。
走り出しは前後ともブリヂストン製RACING BATTLAX V02のソフトコンパウンドをテスト。12月のテストで走行風でタイヤが冷却されることを確認していたため、フロントは少し空気圧を高めに設定し、リヤはグリップの高い舗装かつギャップやうねりの大きい路面のため少し低めに設定。前後とも空気圧は狙い通り適正値になり、フィーリングもよくFP1から12月のタイムを塗り替える好調ぶり。
FP2は前半はFP1のタイヤを継続使用。気温が高くなった時の変化とライフを確認し、土曜日の予選とレース1のタイヤ選択を行った。セッション後半にはリヤタイヤのみミディアムに交換して、ソフトとの比較を行う。FP2でもタイムを更新して予選とレース1のタイヤ選択をした。
土曜日は予選から開始。曇り予想だったが実際には晴れ、路面温度も大幅に予想から外れて高くなる。予定通り前後ソフトで走行して序盤にベストタイムを更新したが、路面温度が大幅に上昇したために後半はタイムが上がらず22番手となった。
■3レースで完走! 夢の実現に「初めて全てが満たされた」
ASBKは土曜日にレース1、日曜日にレース2とレース3が行われる。3レースともに11ラップだ。土曜日の午後にはいよいよ樋口にとって“念願のレース”が始まる。
WorldSBKとの併催レースの都合で、サイティングラップ後のグリッドでの時間も短くすぐにレース開始。スタートが苦手だという樋口は、タイミングはうまくいったが、「1コーナーへの飛び込みが非常に難しかった」ようで、その後は終始オージーとのバトルが続き、ファイナルラップの最終コーナーでスリップに付かれ0.012秒差で抜かれ20位でフィニッシュ。追い風もありノーマルエンジンのGSX-R1000Rでも最高速度は299Km/hを記録したという。
「沢山の観客の前で走らせてもらい存分にバトルを楽しめたレースでした。控えめに言って最高です」とコメントを残している。
日曜日はさらに2レースあるが、「楽しい時間はあっという間」だったようで、最終日。レース2でも終始バトルが続き、抜きつ抜かれつのレース展開で、楽しめたようで、ファイナルラップの8〜9コーナーの切り返しで仕掛けたが、アクセルを開けすぎてコースオフしてしまいそのままフィニッシュ。このレースも20位だったが、「真剣勝負が最高に楽しかったです」という。
レース3はスタート直後の1〜2コーナーでのアクシデント回避で前方の車両と距離が空いてしまい、バトルには持ち込めなかった。ところが、ファイナルラップは、「もう終わってしまうんだという気持ちで、すべての光景を目に焼き付けるよう関わってくれたすべての人に感謝しながら最後の最後まで全力で走り切りました」といい、結果は18位とベストリザルトを残した。また、「ピットで迎えてくれた仲間と無転倒かつ無事に全行程を終えられたこと、共に喜びを分かち合いました」ともコメントした。
初参加のASBK、そして念願のフィリップ・アイランド・サーキットで予選22番手、レース1とレース2が20位で1ポイントずつ、レース3が18位で3ポイントと合計5ポイント獲得してチャンピオンシップにも名を刻んだ樋口。
バイクレースに夢を抱き、難関資格を取得、フルタイムでの職業に就きながら、異国であるが憧れの地でレース、そして3レースともに完走して夢を叶えるという努力の積み重ねのストーリーがWorldSBK開幕戦の併催レースで行われていた。樋口はこの結果について以下のように締めくくった。
「海外レースに専業ライダーではない、僕みたいな日常的にフルタイムで働いている人でも強い気持ちと仲間さえいれば、海外レース参戦も可能であることを証明できたと思います。沢山のハプニングや課題がありましたが、現地までサポートに駆けつけてくれた方々、遠隔でサポートしてくれた方、ご支援してくれた方々、関わっていただいたみなさんに助けていただいたおかげで、全てを乗り越える事が出来ました。そして、念願のフィリップ・アイランド・サーキットでレースをするという夢が実現しました」
「僕にとって大切なのは、家族、友人、そして時間です。ASBK参戦にあたり大切な時間を共に過ごさせて頂いた事、とても感謝しております。レースを通じて手に入れたかったものは、全て手に入れることが出来ました。23年間レースを続けて来て、初めて全てが満たされたと言えるレースでした。ありがとうございました」
樋口の今シーズンの活動においては、5月18日に大阪府のRSタイチフラッグシップストアにて『ASBK参戦報告会』を、9月13〜14日の全日本ロード第5戦オートポリスJSB1000クラスへのスポット参戦を予定している。
[オートスポーツweb 2025年04月11日]