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2025年は「昭和100年」にあたる。同じように誕生から100年を迎える企業や製品も多く、鹿児島生まれの銘菓「ボンタンアメ」もそのひとつだ。1日当たり60万粒を製造し、「懐かしいお菓子」の定番となっている。なぜ1世紀もの間、ロングセラーを続けられたのか。
同商品の誕生は1925年。当時、製造元のセイカ食品(鹿児島市)は経営が思わしくなく、新たな活路を模索していた。
そんな中、従業員が朝鮮飴(もち米、水飴、砂糖を練り合わせた和菓子)をハサミで切って遊んでいるのを見た初代社長の玉川壮次郎氏が、一口サイズの飴に文旦(ぶんたん、柑橘類に分類される果物の一種)の色と香りを付け、キャラメル箱に詰めるアイデアを思いついた。
ボンタンアメは、原材料にもち米、水飴、砂糖、鹿児島県阿久根産の文旦から抽出したオイルを使用。主なレシピと味は発売からほとんど変えていない。当初は「田舎っぽい」という意見もあったパッケージのデザインも、南国らしい色彩で好評を博した。
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一般的なグミやソフトキャンディと違うのは、オブラート(馬鈴薯・かんしょ澱粉でつくられたシート)に包まれている点だ。食べるときに手や口に付くのを防ぐ効果がある。キャラメルのような包装紙では、もち米を使った飴の特性上くっついてしまうため、オブラートで包む方法を採用した。
製造工程では、モチモチとした独特の食感を保つため、温度や湿度を徹底的に管理している。「オブラートもボンタンアメも温度や湿度に非常に敏感。四季を通じた品質管理のノウハウが全工程に詰まっている」と同社の広報担当者は説明する。
●目先の売り上げより、長期的な愛着を重視
ボンタンアメのキャッチコピーには、「ときどき、ずっと」を掲げている。このフレーズには、ラーメンは2週に1回、寿司は1カ月に1回といった、人それぞれが持つ「食のサイクル」の中で、数年に一度でも「たまに思い出して買ってもらえれば」という願いが込められている。
同社の商品に対する哲学を表したものであり、目先の売り上げよりも長期的な愛着を重視する姿勢といえる。
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販売戦略においても、過度な宣伝を控え、一時的なブームを追わない方針を貫く。この「懐かしさを覚え、長く愛される商品」を目指す姿勢こそが、100年続くロングセラーの基盤となっている。
実際、周年を祝うイベントの実施予定もなく、「ボンタンアメ100周年記念缶」を数量限定で販売するにとどめている。
発売当初は、独創的なマーケティング施策を実行する構想もあった。1928年には、払い下げの軍用機からボンタンアメを散布するという宣伝計画もあった。メディアでも取り上げられたが、不況による資金不足で頓挫した。しかし、話題性だけでも十分な宣伝効果があったという。
戦時中には原料調達の困難から一時生産中止に追い込まれたものの、戦後の1950年に製造を再開。鉄道網の発達とともに販路を全国に拡大した。九州出身者が、郷土を思い出す味として県外で購入するケースも増えたほか、故郷からの仕送りに添えられることもあった。こうした広がりが、派手な宣伝に頼らない販売戦略を支えた。
●年間500万個の販売を支える製造の工夫
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セイカ食品は、原料価格が高騰する中でも品質を維持するため、2002年から製造現場の改善活動に取り組んでいる。これまでに累計1万件以上の改善を実施し、原料・資材の廃棄ロス削減や生産性向上に努めてきた。
レイアウトや工程を見直して作業員の負担を軽減するなど、小さな工夫を積み重ねている。こうした地道な活動が、年間約500万個(14粒入り)という販売数を実現している。
四季を通じた品質管理のノウハウは企業秘密としながらも、温度・湿度に敏感なオブラートの製造など、独自技術を守りながら効率化を進める難しさにも取り組んでいる。
原料高騰、市場環境の変化など、製菓業界を取り巻く環境は厳しさを増す中、ボンタンアメの製法や箱のデザインは発売時とほぼ変わっていない。独特の食感がある生地は、今も従業員が手触りで確認している。
伝統的な製法には熟練の技術が必要とされる場合も多く、将来にわたってその技術をどのように継承していくかは課題といえる。また、不確実性の高い世の中で、原材料の安定的な調達や価格変動などのリスクも製造を持続していく上での潜在的な課題になる可能性がある。
●時代や流行に左右されないお菓子を目指す
目先の売り上げや利益のために拡大路線に走る経営戦略も当然ながら否定されるものではない。しかし、「ときどき、ずっと」というボンタンアメの哲学は、時代を超えて愛され続ける商品の本質を示している。
新商品が次々と現れては消えていく現代の市場において、時代や流行に左右されないお菓子を目指し、あえて「変わらない」選択を貫くことが、100年のロングセラーを生んだ要因といえる。
セイカ食品によると、ボンタンアメのファン層は幅広い年代に分布しており、「家族の思い出の味」として世代を超えて親しまれている。
今後については、東北や北海道などのアピールの弱かったエリアでの訴求力を高めていく考えだ。「『これ、おいしいね』と言ってもらえる存在であり続けたい」(同社広報)という言葉に、次の100年も変わらぬ価値を提供し続ける決意がうかがえる。
(カワブチカズキ)
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