2位となったルトロニック・レーシングのお96号車ポルシェ911 GT3 R 2025年スパ24時間 パトリック・ニーダーハウザーは、6月28〜29日に行われた『第78回クラウドストライク・スパ24時間レース』で勝利を争うチャンスを得るために、ルトロニック・レーシングが「何らかのリスク」を冒さなければならなかったと述べた。彼はまた、ルトロニックがピット戦略を通常のルーティンから変更するという指示に対し「驚いた」ことを認めた。
ニーダーハウザーとスヴェン・ミューラー、アレッシオ・ピカリエッロがドライブした96号車ポルシェ911 GT3 Rの最終成績は2位で、このレースで優勝した63号車ランボルギーニ・ウラカンGT3エボ2(GRTグラッサー・レーシング・チーム)にあと一歩及ばなかった。
クラウス・グラフが率いるチームは、スタートから17時間目に導入された9回目のセーフティカー(SC)ピリオドで上位3台を除く全車がピットインするなか、ニーダーハウザーをステイアウトさせた。これにより96号車ポルシェとライバルのピットインシーケンスが逆転。ニーダーハウザーはこれが勝利の可能性を高めたと語った。
「確かに驚いた。良い意味で驚きだったよと彼はSportscar365に語った。「結局のところ、彼らはこの業界で最高のチームであり、それが正しい判断だったと思う」
「僕としては明らかに予想していないものだったが、正しい決断だった。僕たちが勝利を目指すには、リスクを負う必要があったんだ」
「自分たちのペースだけではレースに勝てないことは明らかで、ライバルに対して何か違うことをしなければならなかった」
「『ステイアウト、ステイアウト』と言われた。『本当に大丈夫か?』と思ったが、『わかった、やってみよう』と答えたよ」
しかし、チームにとってレースの決定的瞬間はこの4時間後、ピカリエッロがフルコースイエロー(FCY)が出る直前にピットインしたタイミングだった。この瞬間、96号車ポルシェはライバルに対して大きなアドバンテージを得た。
「結局、これが僕たちの表彰台を守った」とニーダーハウザーは語った。
■右リヤタイヤがパンクも、不幸中の幸い
レース終盤に実質的なトップに立った96号車ポルシェだったが、その後はペースに勝る63号車ランボルギーニに背後につかれ、防戦一方の展開となる。そんななか、チェッカーまで残り1時間48分で右リヤタイヤのパンクに見舞われる。
このアクシデントはチームのレースを終わらせる可能性のあるものだったが、予定していたインラップのブランシモンで起きたことが幸いし、直後のバスストップ・シケイン(最終コーナー)でミルコ・ボルトロッティ駆る63号車に先行を許したものの、タイムロスを最小限に抑えることができた。
「インラップのカート2あたりでタイヤの空気圧が下がっていくのを感じた」と語るのは、当時96号車のステアリングを握っていたミューラー。「あのような状況では、とにかく生き残ること、ドライビングでリスクを冒さないことが本当に重要だった。なぜなら、その瞬間は表彰台がほぼ確実だったが、状況次第ですべてを失う可能性もあったためだ」
「リスクを冒したくなかった。フィニッシュまではまだ2時間近くあったし、このレースは先が長く何が起こるかわからない。集中力を切らさず、とにかくゴールまでクルマを持ち帰る必要があった」
チェッカーまで残り40分弱でGRTが最後のピットストップを行った際、63号車ランボルギーニはジャッキダウン後にエンジンがすぐに掛からず数秒を失った。このことをコクピット内で知らされたニーダーハウザーは、ふたたび運が好転する可能性があると考えていた。
「そのことは僕にも伝えられた。彼らは『ゴー、ゴー、ゴー! プッシュ、プッシュ、プッシュ!』と叫んでいた。でも、僕は何かを変えることはなかった」と彼は語った。
「なぜなら、僕はすでにベストを尽くしていたからだ」
「最後の2スティントは不運だったと言っていいだろう。2回もひどいトラフィックに巻き込まれて、タイムを失ってしまった。とくに、ミルコ(・ボルトロッティ)が小さなトラブルに見舞われた2回目のピットストップ後は、もしかしたら僕が前に出ていたかもしれない」
「それでも、彼らは明らかに僕たちよりもペースが良かった」
ピカリエッロは、優勝したランボルギーニのような究極のペースが自分たちにはなかったと言うチームメイトに同調した。
「僕たちの強みは、一貫性と戦略、そしてミスをしなかったことだと思う」とピカリエッロ。「すべてのピットストップが完璧に機能し、ペナルティも受けなかった」
「僕たちは終盤まで本当にクルマを綺麗な状態に保っていた。ここではそれが本当に重要なんだ。レースをとおして縁石を避け、クルマが良い状態のまま最後の2時間を全力で走れるように努めた」
「やるべきことはやり遂げたと思う。最終的には力不足だったが、2位という結果を誇りを感じることができるよ」
[オートスポーツweb 2025年07月01日]