フサイチパンドラ(撮影:高橋正和) 先日の新潟でアーモンドアイの2番仔となるプロメサアルムンドがデビュー勝ちを収めた。そこでこの機会に祖母のフサイチパンドラに注目。牡馬相手に逃げ切りを演じた07年の札幌記念を中心に、彼女の競走馬生活を振り返りたい。
フサイチパンドラは父サンデーサイレンス、母ロッタレース、母の父Nureyevの血統。名種牡馬だった父の最終世代であり、世界中で活躍馬を送り出している名牝系の出身でもあった。栗東・白井寿昭厩舎に所属し、2歳秋にデビュー勝ち。2戦目の阪神JFでは3着に健闘し、クラシック候補に浮上した。牝馬三冠は14着、2着、3着と脇役止まり。それでも古馬との初対決となったエリザベス女王杯では2位入線ながら、1着のカワカミプリンセスが降着となったため、GI初制覇を果たした。
ところがGI馬となったフサイチパンドラは、意外な低迷をみせる。とりわけ4歳春以降は9着、9着、12着、5着と馬券に一度も絡めなかった。そんな中で迎えた札幌記念。初コンビの藤田伸二騎手を背にして、フサイチパンドラは思い切った逃げの手に出た。前半1000mは60秒7のスローペース。道中でたっぷりと息が入った分、直線に向いても脚色は衰えない。一度は後続を引き離し、残り200mでは2馬身ほどのリード。ゴール前でアグネスアークに追い上げられたもののクビ差凌ぎ、2つ目のタイトル獲得を果たしたのだった。
翌年から繁殖牝馬となったフサイチパンドラは当初、期待ほどの成績を残せなかった。しかし、7番仔のアーモンドアイが歴史に残る名牝となったのは、皆さんが良く知るところ。その血は末永く血統表に残り続けるに違いない。