「こんな過疎町に……?」住民9割反対から“道の駅日本一”に なめことロイズが起こした逆転劇

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2025年09月05日 08:20  ITmedia ビジネスオンライン

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国道沿いに立つ看板

 東北縦貫自動車道の古川インターチェンジを降りて、国道を北西に約30分クルマを走らせると、左手に「あ・ら・伊達な道の駅」と書かれた大きな看板が視界に入ってくる。


【写真5枚】開業当初から売れ続けている「大粒なめこ」(筆者撮影)


 ここは宮城県大崎市の岩出山。近くには“奥州三名湯”の一つである鳴子温泉があり、紅葉の季節には多くの観光客でにぎわう。そんな場所にある「あ・ら・伊達な道の駅」は、全国トップレベルの人気を誇る道の駅として知られる。その実力が示す通り、平日にもかかわらず駐車場は混み合い、ひっきりなしに人が出入りしている。


 直近の年間来場者数は約320万人、年間売上高は約20億円、リピーター率8割――。これは全国に1200以上ある道の駅の中でも突出した数字だろう。しかも開業から25年間、ほぼ右肩上がりの成長を続けている。


 2024年にはリクルートの旅行情報サイト「じゃらん」による「全国道の駅グランプリ」で1位を獲得し、その成功は注目を集める。しかし、この施設の出発点は意外にも人口減少で廃校となった中学校の跡地だった。一体なぜこれほどの成果を上げられたのか。同施設の運営会社である池月道の駅・佐々木純社長への取材で見えてきたのは、地域密着経営の新たな可能性だった。


 ストーリーは1990年代、岩出山町(現大崎市)の人口減少により一栗中学校が廃校となったことから始まる。


●住民の反対を押し切っての開業


 すっぽり空いた土地では地域住民が毎週末、手作りの野菜や工芸品を持ち寄る「池月夕市」というマルシェのような活動をしていた。「ここを施設として形にできないか」という声が上がったとき、ちょうど国内で「道の駅」制度がスタートして間もない時期だった。


 しかし当初、住民の9割以上が反対していたという。「こんな過疎の町に何十億円もかけて箱物をつくってどうするのか」という意見が大勢を占める中、当時の佐藤仁一町長が強いリーダーシップを発揮して建設を推進した。


 革新的だったのは道の駅の運営体制である。自治体直営や財団法人などへの委託がまだ主流だった時代に、地元住民が出資する株式会社を設立し、指定管理者として運営する仕組みを構築した。「地元の方に株主になっていただき、従業員としても経営陣としても参加できる仕組みを作りました」と佐々木社長は説明する。この地域密着型スタイルが、後の継続的成長の礎となった。


●大粒なめこがヒットして名物に


 2001年4月の開業後、すぐに多くの来客があったという。一つには地理的優位性がある。


 「あ・ら・伊達な道の駅」の目の前を走る国道47号は、場所によっては108号、457号と名称は変われども1本の道で太平洋側から日本海側までつながっている。日ごろから多くのクルマが行き交う交通の要所に立地している。さらには近隣の鳴子温泉郷は県内有数の観光名所。ハイシーズンになると大型観光バスが列をなす。


 その道中のニーズが高いのがトイレだ。そう、この道の駅はトイレ休憩場所として早速活用されることとなった。そのついでに観光客が買い物をするという流れが、開業当初から出来上がっていたのである。


 とはいえ、魅力的な売り物がなければ施設にお金は落ちない。そうした中で耳目を引いたのは、産直コーナーだった。とりわけ人気に火がついたのは「なめこ」だった。


 「もうやめようかと思っていた時に、ダメ元でここに出品してみた」という廃業寸前だったキノコ生産者の大粒なめこが大ヒット。市外から買い求めに来る客もいて、毎回あれよあれよという間に完売した。今でも変わらずの人気商品となっている。「もし道の駅の開業が1年遅れていたら、この生産者は廃業していたみたいです。それが今では規模を拡大。人生分からないものですね」と佐々木社長はしみじみと話す。


 一方で、当時は約70人の生産者が同時期に同じ野菜を出荷するため、廃棄が相次ぐという問題も生じていた。そこで同施設では戦略的な品種多様化に着手したのである。


 同じナスでも品種を分散してもらい、客の選択肢を広げることで、スーパーでは見かけない珍しい野菜が豊富にそろうようにした。また、棚に並べる野菜は品種で分けずに、納入した農家順にした。従って、例えばトマトが複数の棚に分散するように置かれているのだ。一見すると不便のように思えるが、実は客にとっては「宝探し」のような楽しみが生まれているという。


 その後も生産者数は増えていき、最盛期は240人にまで拡大した。農家の収益構造も劇的に改善し、「農協への出荷がサブ、産直がメイン」という取引形態に転換したところもある。


●ロイズの“異例”な常設販売


 早期に産直コーナーという事業の柱ができた「あ・ら・伊達な道の駅」。さらなる飛躍の原動力となったのは、2001年秋から始まった「ロイズチョコレート」の常設販売だった。この提携には歴史的背景がある。


 施設名にある「伊達」は、この地と伊達家の深いつながりを表している。1591年、豊臣秀吉の奥州仕置により、伊達政宗は米沢(現山形県米沢市)から岩出山に移った。1603年に仙台城を築くまで12年間ここを居城とした。その後は4男の伊達宗泰に与えられ、岩出山伊達家は明治維新まで続いた。なお、施設名の「あ・ら・」はフランス語の「ala」(〜風、〜流)を意味し、この歴史ある「伊達な」という言葉をより強調している。


 そして、戊辰戦争で敗れた岩出山伊達家10代当主・伊達邦直が北海道当別町に入植した特別な関係により、「北海道以外に常設店舗を出さない」というロイズの方針に例外が認められたのだ。なお、当別町にはロイズの製造工場がある。


 最初は冷蔵ケース2台程度の小規模販売だったが、口コミなどで評判が広がり、3回のリニューアルを経て現在の大型店舗に発展。ロイズが大きな集客効果をもたらし、野菜や土産の購入、食事まで含めたワンストップ需要を創出した。これによって顧客単価と滞在時間を大幅に向上したのである。


●常に変化を続ける道の駅に


 順風満帆に見えるが、苦しい経験もした。それは2020年のコロナ禍である。売り上げが半分以下に落ち込み、「本当にこの先どうしようと毎日思っていました。半ば諦めかけていた」と佐々木社長は吐露する。


 しかし、「Go Toトラベルキャンペーン」のクーポン対応をいち早く導入し、鳴子温泉宿泊客の帰り道需要を効果的に取り込んだ結果、「ウソのように人が戻ってきた」(佐々木社長)。最終的に2020年でも240万人程度の来場者を確保し、何とか赤字を回避したのである。


 また、2020年、21年と連続でじゃらんの「全国道の駅グランプリ」でトップに。これが追い風となった。


 このように危機を脱したのは偶然の要素もあるものの、来客の8割がリピーターという強固な顧客基盤があることを見過ごすわけにはいかない。「来るたびに何かが変わっている」という継続的な変化の創出が、顧客の強い愛着を生み出している。


 時には毎週の頻度で行う商品陳列レイアウトの変更、ロイズ限定商品の定期的な投入、季節ごとの産直商品の自然な入れ替えなど、細かな変化の積み重ねが、客足を絶やすことなく、窮地を救ったのである。


 佐々木社長によると、近年の道の駅は従来の「通過点」から「目的地」への転換が重要なトレンドとなっているという。それは「あ・ら・伊達な道の駅」でも変わらない。


 同施設では約7年前に熱気球の搭乗体験を新たなコンテンツとして加えたほか、週末にはエントランス横に設置されたステージでイベントを開催。これによって客の滞在時間の延長を図っている。特に毎回盛り上がるのは、「日光さる軍団」のステージだという。コロナ禍で新たに出張公演を始めたさる軍団を毎月のように迎え入れ、SNS拡散効果も狙った取り組みを展開している。驚くのは、出演料などの費用は一切出していないという点。


 逆にいえば、これによって出演のハードルは下がり、地元のアマチュアバンドや、子どものダンス発表なども当たり前に行われている。「来る者は拒まず」という姿勢が、集客にもうまく作用しているといえるだろう。


 「限られた敷地の中で生き残るには、『ここに来れば何かしら楽しいことをやっている』と思ってもらえることが重要」と佐々木社長。規模に頼らないソフト面特化の差別化戦略により、持続的成長を実現している同施設のアプローチは、多くの地域にとって参考になるモデルといえる。


●大崎市全体を活性化させたい


 同施設の次なる目標は、年間400万人を超える来客、いわゆる「交流人口」を大崎市全体の活性化につなげることだ。「ここだけが潤うのではなく、市内の他の観光資源との連携により、周遊してもらえるような仕組みを作りたいです。最終的には移住・定住につなげることが理想です」と佐々木社長は力を込める。


 道の駅に隣接する旧中学校の体育館・公民館との連携による施設拡張も視野に入れており、地域活性化のハブとしての機能拡大を図る方針だ。周囲にはスキー場、温泉、桜の名所など、年間を通じて楽しめる資源は豊富にあり、それらを効果的に結び付ける構想を描いている。


 売上高20億円、リピーター率8割という数値が示す通り、「あ・ら・伊達な道の駅」は道の駅業界における成功事例であることに疑いはない。特筆すべきは、大型化・多目的化という業界トレンドとは異なる、地域密着とソフト面特化の差別化戦略により、持続的成長を実現している点だろう。


 廃校跡地から始まった25年間の歩みが証明するのは、「規模ではなく、知恵で勝負する」地域活性化の可能性である。全国の道の駅が二極化する中、同施設の取り組みは他の地域活性化プロジェクトにとって貴重なベンチマークとなっている。視察も絶えない。その運営手法は新たなモデルケースとして、今後さらに注目を集めるはずだ。


●著者プロフィール


伏見学(ふしみ まなぶ)


フリーランス記者。1979年生まれ。神奈川県出身。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、社会課題解決メディア「Renews」の立ち上げに参画。



このニュースに関するつぶやき

  • 古川インターから鳴子温泉に向かう道も単調で長いから、一休みするにもいい感じのところにあるのかもね。
    • イイネ!1
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