
「界隈」という言葉は2024年にユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされ、若者向けの流行語ランキングにも登場して以降、SNSを中心に広く使われるようになった。ここでいう界隈とは、特定の関心や価値観を共有する人々や、その関心が向けられる領域そのものを指す言葉である。
【なぜ?】「損したくない」で無料に群がる「お散歩界隈」 マーケティングの販促の前提が揺らぎ始めている?
特徴は「趣味」「嗜(し)好」「生活習慣」「好きなテイストや世界観」といった、個人の生活の中でもより細かな共通点を手がかりに、ゆるやかなつながりが生まれる点にある。明確な所属意識や境界を持つ従来型のコミュニティとは異なり、興味・関心を軸に人が集まる関係性であり、「自分はこの領域に関心がある」という意思表示として使われることも多い。
2024年の年末には「風呂に入らない、入りたくない、入れない」人々が「風呂キャン界隈」と呼ばれ、話題になった。同時期、シャボン玉が弾けるようなかわいらしい音源と共に、おしゃれで洗練された丁寧な日常をSNSに投稿する「ぷくぷく(ぽこぽこ)界隈」や、山や海など自然豊かな場所に行き、リフレッシュする「自然界隈」など、さまざまな界隈がSNS上でハッシュタグとともに語られていた。
その中でも「お散歩界隈」「伊能忠敬界隈」と呼ばれる、歩くこと自体に楽しみを見いだす人々の集まりが注目を集めていた。筆者自身も、当時あるラジオ番組でこの界隈について解説した記憶がある。
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それから約1年後、筆者がSNSを眺めていると、あるハッシュタグが目にとまった。「おさんぽ界隈」だ。最初は「お散歩って漢字じゃないんだ」と軽く受け流したものの、投稿内容を追ううちに、当初の想像とは異なる様相が見えてきた。
そこでは、街中で開催されるポップアップなどの無料イベントへの参加や、無料で配布される試食や試飲、サンプル、ノベルティを集める行為、そしてそれらの情報そのものを「おさんぽ」と呼んでいたのである。
「おさんぽ」「おさんぽ 都内」などのキーワードは、この界隈における情報を効率的にスクリーニングするためのタグとして機能していた。歩くという行為そのものを指すのではなく、その界隈特有のコンテクストを帯びた言葉として、隠語的に機能しているのである。
SNS上には、この「おさんぽ」に関するインフルエンサーや情報発信アカウントが存在する。彼らがまとめた情報を参照したり、「#おさんぽ26年1月5週」のように、イベントやノベルティ配布の実施期間をハッシュタグで検索したりもできる。
こうした情報は、本来であればイベント主催者や小売店、メーカーが自社サイト(SNS)や店頭で告知している一次情報であり、偶然出合うことは容易ではない。しかし、界隈に身を置く人々が情報を持ち寄り、共有し、集合知として蓄積していくことで、無料イベントに足を運ぶことや、ノベルティを集める行為が継続的に実践され、ひとつの“趣味”として成立しているのである。
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●「おさんぽ界隈」が揺るがす、企業の販促施策
この行為の魅力は何か。それは「タダである」という一点に尽きる。対価を支払うことなく効用を得られるのだから、当然といえば当然である。ポップアップイベントに足を運ぶことやサンプルを受け取る行為そのものが、いまや一種の「コト消費」として体験価値を帯びている。
イベント会場までの移動を小さなレジャーのように扱い、参加すること自体が日常のチェックポイント、あるいはゲームのログインボーナスのような役割を果たしている。都内では、新作の飲料やアイスなどがサンプルとして配られていることも多い。
本来であれば、商品はお金を払えば手に入る。しかし、あらゆるものに対価が求められる現代において、“タダで何かを得られた”という事実そのものが、消費者にとって大きな効用を生み出している。無料であることが希少な価値として立ち上がり、その希少性が体験の魅力をさらに高めているといえる。
加えて、昨今の不景気の影響もあってか、「消費に失敗したくない」という心理がかつてより強まっていることも「おさんぽ界隈」を盛り上げる要因の一つであると筆者は考える。
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ここでいう“消費の失敗”とは、単に費用対効果が見合わないという従来の基準だけではない。ある消費を選んだことで別の消費機会を逃してしまうこと、さらには自分は何もしていないにもかかわらず他者だけが得をしている状況など、消費行動がもたらす負の影響全般を指している。こうした「損(マイナス)」を回避したいという感情が、消費の意思決定において大きな比重を占めるようになっていると考えられる。
フランスの哲学者ジャック・ラカンは「欲望は他者の欲望である」と述べている。人は自分の内側から自然に欲望を生み出すのではなく、他者が何を欲し、どのようにそれを手に入れたのかを知ることで、自身の欲望を形づくるという考え方だ。つまり、欲望の基準そのものが、常に他者によって与えられているといえる。
同様に、思想家ルネ・ジラールも、人間の欲望は他者を模倣することで生まれると論じている。欲望は対象そのものから生じるのではなく、「他者が欲している(あるいは欲しそうな)もの」を媒介として立ち上がる。こうした構造は、他者の行動や成果が即座に可視化されるSNSによって、いっそう強化されているといえる。
SNSが生活に定着したことで、私たちは誰もが日常を発信する側になった。食事や買い物、イベント参加などが日々投稿され、そこには「これを手に入れた」「ここに行った」という他人の体験が並ぶ。
私たちがそれを見て「いいな」「自分もやってみたい」と感じるのは、情報そのものに引かれているというより、他人が得をしている、楽しんでいる様子に影響を受けているからだ。SNSでは、こうした他人の行動が次々と目に入ることで、欲望や消費の判断が強く左右されていく。
そのため、SNSで「ポップアップやイベントでこれがもらえた。当たった」といった他人の投稿を目にすると、「今日ここにいればこれがもらえたのに」「この人ばかり得をしていてずるい」といった感情が生まれる。
本来なら、そこに居合わせた人だけが偶然得られた「ラッキー」であるはずの出来事が、他者の欲望の達成として可視化されることで、自分だけが満たされていないという欠乏感へと変換(錯覚)されてしまう。その結果「自分は損をした」という感情が立ち上がるのだ。
この感情こそが、人々を内容への興味の有無にかかわらず「タダだから行く」という行動へと向かわせているのではないか。言い換えれば、今行って得をしておくことが、将来的に「他人がタダで体験している投稿を見て自分だけが損をした」と感じるかもしれない欠乏を、あらかじめ回避する手段として機能しているのではと筆者は考える。
SNSマーケティング支援を行う、テテマーチのコラム「大事なのは『バズ』ではなく『準備力』Mimi Beauty流『SNS売れ』の秘訣」 によると、美容業界におけるファン形成の観点から、「おさんぽ界隈」への対応が新たな課題として浮上しているという。
特に問題視されているのが、ピールオフ広告やポップアップイベントなど、サンプル配布を伴う施策に対する影響である。ピールオフ広告は、通行人が駅構内や壁面のポスターに貼られているノベルティを自由に持ち帰れる仕組みだが、SNSで情報が拡散された瞬間におさんぽ界隈が一斉に押し寄せ、サンプルが瞬時に回収されてしまう事例が報告されている。
その結果、本来リーチしたい一般消費者にサンプルが届かないだけでなく、取り合いによるトラブルや混雑が発生し、安全確保のために警備員を配置せざるを得ない状況も生まれている。
本来、これらの広告は「新しい商品との偶発的な出合いを通じて購買につなげる」ことを目的としている。しかし、おさんぽ界隈による過剰なサンプル回収は、この目的を大きく損なう可能性がある。サンプルが“ファン予備軍”ではなく“サンプル収集者”に偏って渡ってしまうことで、ブランド体験の機会が本来届けたい層に届かなくなるからである。
さらに、おさんぽ界隈の一部の層は入手したサンプルをフリマサイトなどで転売し、無償で得たものから利益を得ているという指摘もある。こうした行動は、サンプル配布施策の本来の意図から大きく逸脱しており、ブランド側にとっては看過できない問題となっている。
●バズや承認欲求を生みやすい「おさんぽ界隈」の情報
ここまで、おさんぽ界隈が盛り上がっている理由と、それによる企業のマーケティングへの影響を考えてきた。続いて、おさんぽ界隈が情報を不特定多数に向けて発信し続ける理由ついて考えてみたい。
通常、イベント参加後に感想やサンプルの使用感をSNSに投稿するように求められることは珍しくないが、イベント開催前の情報を受け手が積極的に拡散するのは不利だといえる。情報が広がれば広がるほど、サンプルやイベント体験の「枠」をより多くの人と競い合うことになるからだ。
合理的に考えれば、こうした情報は内緒にして行く方が得策であるはずだ。にもかかわらず、界隈の人々が情報を共有し合うのは、界隈が相互作用によって成立するコミュニティであることに加え、こうした投稿がバズりやすく、承認欲求を満たしやすい構造があるからだ。
近年のバズマーケティングでは、商品そのものよりも、それを手に入れたり体験したりした「人」が注目されやすい。無料イベントやサンプルは、「得をした人」を分かりやすく演出できるため、投稿の拡散力が高い。関心はモノだけでなく、「それを獲得できた人」へも向かい、共感や羨望が次の拡散を生む。こうした循環の中で、「おさんぽ界隈」自体をテーマに情報を発信するアカウントやインフルエンサーが成立してしまうのである。
●サンプル配布が抱える構造的な課題
本稿で見てきたように、「おさんぽ界隈」の行動は単なる“無料サンプル収集”ではなく、SNSによる欲望の可視化・模倣・承認欲求が複雑に絡み合った現象であると筆者は考える。消費者は「興味があるから行く・もらいに行く」のではなく、「タダだから行く」延いては「損をしたくない」「他者の欲望に取り残されたくない」という心理によって行動していると思われる。
この構造は、美容業界に限らず、あらゆる業界のマーケティング施策に影響を及ぼす。サンプル配布施策では、基本的に配布対象を企画側が選別することはできない。キャンペーン期間中に「受け取りたい」という意思を示した人には、等しくサンプルを受け取る権利があると解釈されるためである。もし一部の人だけが受け取れない状況が生じれば、「誰でも受け取れる」として実施している施策との整合性が取れず、不公平感を生む可能性もある。そのため、配布対象を恣意(しい)的に制限することは難しく、設計上の課題となりやすい。
かといって、会員制や条件付き配布に切り替えてしまうと、ブランドとの接点が少ない層との新たな出合いを生み出すという本来の目的が損なわれてしまう。サンプル配布という手法そのものが、必ずしも次の購買やファン化につながるとは限らないという構造的な課題を抱えているのである。
今回取り上げた「おさんぽ界隈」についても、決して全ての参加者が問題を引き起こしているわけではない。多くの人はルールの範囲内で楽しんでおり、界隈そのものが悪いという話ではない。課題となるのは、ごく一部の行動が混雑や取り合い、転売といったトラブルや企画側の意図していない使われ方につながってしまう点である。
とはいえ、どこからが迷惑行為に当たるのか、何が許容範囲なのかは人によって判断が分かれる部分でもある。界隈の特性上、明確な線引きをすることは難しく、企業側にとっても対応が悩ましい領域だといえる。
●著者紹介:廣瀬涼
1989年生まれ、静岡県出身。2019年、大学院博士課程在学中にニッセイ基礎研究所に研究員として入社。専門は現代消費文化論。「オタクの消費」を主なテーマとし、10年以上、彼らの消費欲求の源泉を研究。若者(Z世代)の消費文化についても講演や各種メディアで発表を行っている。テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」、TBS「マツコの知らない世界」、TBS「新・情報7daysニュースキャスター」などで製作協力。本人は生粋のディズニーオタク。瀬の「頁」は正しくは「刀に貝」。
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