
八王子実践を春夏通じて初の甲子園出場へ導いた河本ロバート監督の異色の経歴が話題を集めている。アメリカ人の父と日本人の母を持ち、高校入学後に野球を始めた。卒業後は亜細亜大へ進学し、ドジャース傘下のマイナーリーグや独立リーグなどでプレー。現役時代は「ロバート・ブース」の登録名で知られ、最速157キロを誇る剛腕投手だった。
引退後は指導者の道へ進み、2019年に母校・八王子実践の監督に就任。選手一人ひとりの個性を伸ばす指導を貫き、就任7年目の今夏、初めて西東京を制し、甲子園への切符を手にした。
【NPBを経験した3人の指揮官】
一方、今大会でNPB経験を持つ監督は、智辯和歌山・中谷仁監督(元阪神ほか)、佐野日大・麦倉洋一監督(元阪神)、東海大甲府・仲澤広基監督(元巨人ほか)の3人だ。
指揮官として、中谷監督は春夏通算9度目の甲子園出場で、夏優勝(2021年)、春準優勝(2025年)の実績を誇り、麦倉監督は今春に続く2度目、仲澤監督は今夏が甲子園初采配となる。
選手時代を振り返っても、3人はいずれも母校で甲子園出場を果たしている。中谷監督は1996年春の選抜で準優勝、翌97年夏には全国制覇を達成。麦倉監督は1989年夏の甲子園開幕戦で「平成初完封&初本塁打」を記録し、一躍その名を全国に知らしめた。仲澤監督は2004年夏、4番打者として東海大甲府をベスト4へ導いたスラッガーだった。
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春夏通じて甲子園初出場を果たした東日大昌平・江井康胤(えねい・やすたね)監督は、現役時代は強打の三塁手として鳴らした。千葉・野田北高(現・野田中央高)から進学した東北福祉大では、仙台六大学リーグで首位打者2度、打点王2度を獲得。卒業後は社会人野球のJT(仙台)で長くプレーし、廃部が決まるなかで臨んだ2004年の都市対抗では、チームのベスト4進出に大きく貢献した。
その後はクラブチーム・NTT東北マークスでも現役生活を続け、補強選手として都市対抗野球大会にも出場。2023年秋に東日大昌平の監督へ就任すると、就任3年目の今夏、福島大会で絶対王者・聖光学院を破り、甲子園出場へと導いた。
【高校時代に夏の甲子園決勝に出場】
聖隷クリストファーの田中公隆監督は、昨夏の甲子園で指揮を執った上村敏正前監督からバトンを受け、今春に監督へ就任した。現役時代は大阪桐蔭でプレーし、1991年夏の全国制覇を経験。背番号13の控え捕手としてベンチ入りし、正捕手・白石幸二に代走が送られた際にマスクをかぶる場面が多かった。
卒業後は福井工大を経て大阪桐蔭のコーチに就任。2004年春の選抜では、不祥事の報告遅れの責任を取って西谷浩一監督がベンチ入りを自粛したため、監督代行として登録され、2回戦でダルビッシュ有擁する東北と対戦するも2対3で敗れた。
福山・小田浩監督は、今夏の広島大会決勝で相まみえた広島商OB。1982年夏の甲子園では7番・二塁手として準優勝を経験し、決勝では「やまびこ打線」を擁する池田に敗れた。
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順天堂大を経て指導者となると、西条農を率いた91年夏には主将で捕手の礒部公一(元近鉄ほか)を擁して甲子園初戦を突破。93年夏は、広島商時代の恩師・桑原秀範監督率いる堀越に0対1で惜敗し、2011年春は総合技術を率いて選抜に出場したものの、初戦で履正社に敗れた。
その後は公立高校の校長などを歴任し、一度は指導の現場を離れた。しかし、福山から監督を要請され、福山市教育委員会職員として就任。今春15年ぶりに現場へ復帰した。就任後わずかな期間でチームを甲子園へ導き、「甲子園請負人」の異名にふさわしい手腕をあらためて証明した。
【江川卓卒業後の法政大のエースとして活躍】
鳥取城北・加藤重雄監督は、昨夏に続いて2年連続で甲子園の舞台に立つ。6シーズンにわたり法政大の監督を務め、2025年1月に鳥取城北の監督へ就任した。自身は鳥取西OBで、現役時代は投手兼外野手として活躍。2年生だった1973年夏には甲子園出場を経験している。
法政大では、1学年上に江川卓(元巨人)を擁する黄金世代がおり、植松精一(元阪神)、袴田英利(元ロッテ)ら強力なメンバーとともに、1976年春から77年秋まで東京六大学リーグ4連覇を達成。加藤監督の代に、史上初の5連覇がかかっていた。
入学後はなかなか出場機会に恵まれなかったが、それでも4年時には住友一哉(元近鉄)、二保茂則らを抑えてエース格に成長。開幕から勝ち点3を積み上げて優勝争いを演じたものの、終盤に早稲田大、明治大とのいずれも激戦を落とし、5連覇の夢はあと一歩で潰えた。この4年時の活躍が評価され、卒業後は社会人の日本生命でもプレーを続けた。
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