55周年を迎えたブレッド&バター 湘南の風を感じる兄弟デュオとしておなじみのブレッド&バターが、今年9月25日にデビュー55周年を迎える。5月19日には55周年記念イベントの第1弾としてファン投票での人気曲だけで構成した“オールリクエストライブ”を開催した。リクエストで圧倒的な1位に輝いたのは名曲「あの頃のまま」。呉田軽穂(松任谷由実)作詞作曲の今や日本のスタンダードに入る名曲だけにファンならずとも納得の1位だといえよう。ORICON NEWSでは55年に渡る音楽活動を“ゆるく”続けてきたという ブレッド&バターの岩沢幸矢、二弓の兄弟に話を聞いた。
【貴重写真】ブレッド&バターとSKYEの全員集合カット ●ブレバタの活動には欲がない、ゆるやかだから
――まずは55周年を迎えた感想を聞かせて下さい。
【岩沢幸矢】 あれから55年…、あっと言う間だったような長かったような…。とにかく色々な経験をしましたからね。スティービー・ワンダーに曲を提供してもらったり、(岸部)シローと組んだり…。周りの支えがあったから、ここまでやってこれたんでしょうね。感謝ですね
【岩沢二弓】 本当によくここまでやってこれたなという感想ですね。喧嘩もしながらね(笑)。
【岩沢幸矢】 この間ユーミンがうまいことを言っていたんです。ブレバタの活動には欲がない。ゆるやかだからここまでやって来られたって(笑)。確かに1年のうち半分くらいしか仕事してないし、忙しいことは避けてきましたから。
【岩沢二弓】 でも、一度くらいは、忙しいからこれ以上は勘弁してくれ! みたいな気分を味わってみたかったかな(笑)。
●方向性が定まらない中、アルファへの移籍でイメージ確立
デビュー前、アマチュアとして活動を行っていた二弓さんのバンドに兄・幸矢さんがボーカルとして加入し、バンドデビューを目論んでいた。そんな彼らにアプローチしてきたレコード会社が求めていたのは当時世界的に大ヒットを続けていたサイモン&ガーファンクルのようなフォーク・デュオだったことから、バンドではなく2人でデビューとなったのが1969年9月25日。デビュー曲の「傷だらけの軽井沢」は作詞橋本淳、作曲筒美京平の歌謡ポップスだった。
――デビュー当時は方向性が定まらず苦戦されていた。その流れを大きく変えてくれたのがアルファレコードへの移籍だったと思います。
【岩沢二弓】 アルファに移籍したら有賀(恒夫)さんっていう凄いプロデューサーがいたんです。“湘南・海”っていうイメージ戦略は有賀さんが打ち立てたものです。また、コーラスをメインにした音作りをしてくれたのも有賀さんです。音程に厳しい人で、僕たちもコーラスを厳しく指導されました。あまりにも厳しいから、最後にはやってられなくて喧嘩みたいになっちゃって(笑)。
――呉田軽穂(松任谷由実)、細野晴臣、松任谷正隆、鈴木茂、松原正樹、林立夫、坂本龍一、井上鑑らの才能あふれるミュージシャン達と出会ったのもこのアルファ時代でした。
【岩沢二弓】 みんなブレバタのイメージ確立に大きな貢献をしてくれました。特に『Late Late Summer』では細野晴臣が、「Monday Morning」と「Pacific」では松原正樹がほとんどの編曲を行ってくれて素晴らしいアルバムにしてもらえました。
【岩沢幸矢】 2016年に亡くなった、まっつぁん(松原正樹)へのオマージュで、9月のライブでは、アルバムのマスター音源からまっつぁんのギタープレイだけを抜き出して、当日僕たちの演奏とシンクロさせようって考えています。今から楽しみですね。
――ところでブレバタといえばライブのイメージが強いですが、過去にどのくらいの本数をこなしてきていますか?
【岩沢幸矢】 数は数えたことがないですね。多い時で年に90本くらいですか。途中で休業していた期間もありますし、大体1500本くらいじゃないですか。普段から友達の家で歌っているような感覚でライブをおこなってきましたから。それがブレバタらしさでしょうか。
――自然体の2人にはステージでの逸話も多いですね。
【岩沢二弓】 失敗談をよく覚えてますね。友人のお店でのライブでのことですが、仲の良さに油断してしまって飲みすぎてしまいギターを持っていられなくて落として弾けなかったことがありました(笑)。また、あるワイナリーの収穫イベントに呼ばれた時は昼3時からのコンサートだったけれど楽屋にワインが置いてあるんです(笑)。みんな相当酔っぱらっちゃって、歌が途中で何度も止まってしまうなんていう失敗談もありました。この話は伝説のようにブレバタは出禁らしいって広まったんですが、実際それ以降そのイベントには呼ばれなかった(笑)。
【岩沢幸矢】 失敗談は多いと思います(笑)。逆に感動したこともありました。ある地方でのステージだったんですが、「愛したい信じたい」って曲を歌っている時に目の前で涙を流しているお客さんがいて、それに妙に感動してしまい自分が歌えなくなったことがありましたね。また「野生の馬」っていうシングルを(岸部)シローと一緒に出した時にウエスタンカーニバルに出たのかな。ロックの中に1組だけフォークだったから、シローが「俺たちのレコード買ってくれ」みたいなことを言ったんだよね。そしたら客席が一斉に「うるせえ!」みたいな雰囲気になって酒瓶とかバンバン投げられて、あの時はこわかった(笑)。
――様々な経験を経ながらの55年。ただライブ演奏は今も変わらずに楽しいと感じている?
【岩沢二弓】 ライブが好きですね。最近特にレコーディングよりもライブという気持ちが強い。人前で歌うことの楽しさにようやく気づいた気がします。
【岩沢幸矢】 僕たちにはライブしかないですね。何周年とか関係なく、これからもずっと歌っていきたいですね。
【岩沢二弓】 他にすることもないしね(笑)。
最近はシティポップブームの影響もありアルファ時代の曲「SUMMER BLUE」が海外でヒットするなど、ブレバタの存在感は今なお健在。55周年記念イベント第2弾として、9月23日には有楽町・ヒューリックホール東京にてアルファレコード時代の3枚のアルバム収録曲に限定した記念ライブ“Late Late Summer2024”を開催することが決定した。彼らのイメージの原点を探る企画だ。
兄・幸矢80歳、弟・二弓75歳、これからも、まだまだ自然体でブレッド&バターとして歌を私たちに届けてくれるにちがいない。