【写真】昨年還暦を迎えた杉田かおる、インタビュー撮りおろしショット
◆疎外感があっても溶け込もうとは思わない
スローライフに憧れて都会から麻宮村に引っ越してきた若夫婦・杏奈(深川麻衣)と輝道(若葉竜也)。二人は新天地で、自治会長の田久保(田口トモロヲ)とその妻よしこ(杉田)をはじめとするフレンドリーな村民たちに囲まれ、念願の静かな暮らしを満喫する。ところが麻宮村は、恐ろしい「掟」が支配する脱出不可能な生き地獄だった…。
――本作は、村社会の美徳である人情の裏側に潜む“閉鎖性”をスリラー感覚で展開していきますが、この企画に対して最初どんな印象を持ちましたか? 杉田さんは地方生活のご経験もあるので、興味のある題材かなと思ったのですが。
杉田:私の場合、環境保全のお仕事もしているので、自然保護にはとても関心があるんですが、地方再生に関してはあまり深く考えたことがなかったので、普通に面白い企画だなと思って読ませていただきました。結局、田舎暮らしの盲点というか、団結心が出来上がっている人たちと共存していくことの難しさを突いている作品ですよね。憧れを持って都会から引っ越してきた若い夫婦が虚像と実像の狭間で苦しむわけですが、そこの人間関係がとてもスリリングに描かれていて、怖いなと思いました。
――杉田さんご自身は、そういった完全アウェイのような場に追い込まれたご経験はありますか?
杉田:さすがにあそこまで極端な経験はありませんが(笑)、例えばシリーズ何作もやっているようなドラマに途中から入って疎外感を感じたり、転校した時になかなか周りに馴染めなかったり、そういうことは多々あったので、なんとなく感覚はわかるのですが…。ただ、そもそも私は、そういう場所に身を置いても、はなから溶け込もうという発想がないので、そのことで悩んだりしたこともないですね。
――なるほど、それは逆に清々しいというか、潔い考え方ですね。
杉田:というのも、昔から引っ越しも多かったし、テレビドラマも昔は1年クールだったのが 半年になり、3ヵ月になり、そのうち2時間ドラマになり…どんどんクールが短い期間になって、出会いと別れが常にもう付きまとう状態だったので、あまりその場所に執着している時間がないというか、溶け込む時間もなかったんです。特にドラマの現場なんかは、セリフを覚えることで精一杯だったので、みんなとワイワイやっている余裕など全くありませんでしたね。50年以上、俳優をやっていますが、共演者と仲良くなった現場なんてほとんどないと思います。
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――都会からやって来た若夫婦に対して、人情がおせっかいに、そしてやがて支配、脅迫へと変わっていく田久保夫妻がとにかく怖かったのですが、ジワジワ圧をかけていく妻のよしこ役は、城定秀夫監督の演出のもと、どのようなアプローチで演技に臨まれたのでしょう。
杉田:撮影前によしこというキャラクターについて、城定監督と密に話し合うということはなかったです。私が論理立てて話すのが苦手というのもあったんですが、俳優の仕事って脚本の空間を埋めることが最も重要な仕事だと思っているので、そこを言語化して議論してもハードルが上がるばかりでいいものが生まれないような気がするんですよね。
実際に演技で表現してみて理解してもらったり、必要なければ他の表現を試してみたり…。ジャズのセッションみたいなやり方が私には合っているみたいです。そういった意味で城定監督は、私が表現した演技に対してご自身の感性でどんどん決断を下していくので、とても相性がよかったと思います。
それにしても、普通に親切なおばさんをやればやるほどジワジワと怖さを増していくという、そこは城定監督の演出のすごいところだなと思いました。
――完成作品をご覧になって、杉田さんの目によしこはどんな風に映っていましたか?
杉田:とにかく怖かったですね。誰よりも演じた自分が一番怖かった(笑)。バラエティ番組によく出ていた頃は、話を面白くするために振り切ってやっていましたし、悲しいドラマのヒロインの時は、視聴者に号泣してもらうために必死に演じていましたが、今回はまったく怖く演じていない、普通のおばさんがただ過剰におせっかいを焼いているだけなのに、ゾッとするくらい怖い…これはもう反則ですね(笑)。
――田口さんとの夫婦役はいかがでしたか? よしこと違って、もはやサイコパスと言っても過言ではない不穏な存在感を存分に発揮していましたが。
杉田:独特の個性というか…仙人みたいな方ですね。今回、公民館みたいなところを控室に使わせていただいたんですが、みんなでおしゃべりしていて、私もそこに加わって、なぜか陰謀論についてぺちゃくちゃしゃべっていたんですが、私も楽しくなっちゃって、作り話を始めたら、さらに人が集まってきちゃって…。
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杉田:あはは! 確かにそうなってますね。(その件はひとまず置いといて…)で、田口さんなんですが、そういう時でも、みんなの輪の中に深入りせず、それでいて嫌がりもせず、フンフンって感じで静かに話を聞いているんです。ところが、そんな温厚な方が、現場に入るとガラッと変わるんです。いざ、演技になるとスイッチが入って、あの狂気に満ちたキャラクターに変貌するんですよ! 驚きますよね。同じ俳優として、さすがだなと思いました。
――田舎暮らしに憧れて村にやってくる若夫婦についてはいかがでしたか? 深川さんと若葉さん、これからの日本映画界を引っ張っていく若手有望株ですが、何か印象に残ったことはありましたか?
杉田:お二人とも完成度が高すぎて素晴らしいのひと言です。最初から役に入っていらっしゃったから、 私と田口さんに対して疑惑の念しかなかったんじゃないですかね。杉田さんって呼ばれたこともなかったので、完全に村のおせっかいなおばさんとして見られていた気がします(笑)。特に深川さんの私を嫌がる演技がリアルすぎて、本当に嫌われているのかも…って思ったくらいです(笑)。
◆子役時代の“掟”が西田敏行さんを困らせた
――杉田さんも子役からこの世界に入って、「未来を担う若い世代」と呼ばれた時期があったわけですが、当時を振り返ってみると、『パパと呼ばないで』(1972/日本テレビ系)では石立鉄男さん、『3年B組金八先生』(1979〜2011/TBS系)では武田鉄矢さん、そして『池中玄太80キロ』(1980〜92/日本テレビ系)では、昨年亡くなられた西田敏行さんと、素晴らしい共演者に恵まれて今日があるように思います。彼らから俳優として、人として、どんなことを学びましたか?
杉田:本当に恵まれていたなと思います。石立さんは、映画を観るだけではなく、休みを取っては世界中を旅していろんなことを学んでいましたし、テレビ初主演だった武田さんは、山田洋次監督の作品に感銘を受けたことを空き時間に熱く語ってくださいました。西田さんは、いろんな追悼の場でも紹介されていましたが、寂しさを上野動物園のゴリラに癒されながら耐えたお話をずっとされていて…。みなさん、自分がどうやったら主役としてやれるかということを常に考え、努力されていたので、そのひたむきな姿を見ながら、私も子どもながらに影響を受けていたと思います。
――何か一つ、当時を振り返って印象深い出来事があったらお聞かせいただきたいのですが…難しいですかね?
杉田:これは石立さんから言われたことなんですが、「ドラマの中でパパ、パパって呼んでいるけれど、俺は石立鉄男だからな。お前もチー坊とか言われているけれど、ドラマが終わったら杉田かおるなんだぞ。お互い俳優として現場にいるんだから真剣にやりなさい」と。この言葉をいただいてから、自分の中で「仕事場では情に流されないようにしよう」という「掟」ができたんですが、これが西田さんを困らせることになったんです。
「プロとして西田さんと真剣にお仕事させてもらっている」という思いがあったので、ご飯を食べに行ったことも1回もなく、あいさつ以外は一切会話をしないようにしていたんです。そうしたら西田さん、ある日、「金八先生」の友達役だった子がスタジオに遊びに来た時、「かおるちゃん、全然懐いてくれないんだけど、どうしたら心を開いてくれるかな…」って彼女に相談していたらしいんです。なんだか申し訳ないことをしてしまったと思ったんですが、当時は石立さんの教えもあったし、役のことで頭がいっぱいだったんですよね。
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杉田:俳優としては、真摯に向き合っていくという姿勢は今までと変わらず、ですね。一作一作、役を演じ切るのは結構大変なんですが、もうここまで来たら天職だと思ってあきらめます(笑)。
(取材・文:坂田正樹 写真:高野広美)
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