じっちゃん逝く…“赤ヘル打線”主軸の水谷実雄さん死去、77歳 古葉広島の連続日本一に貢献

49

2025年08月10日 20:09  日刊スポーツ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊スポーツ

78年10月、本塁打王に輝いた山本浩二(右)と首位打者に輝いた水谷実雄はガッチリと握手をかわす

広島や阪急(現オリックス)の強打者として活躍し、現役引退後は指導者として多くの打者を育てた水谷実雄(みずたに・じつお)さんが10日午後2時56分、心不全のため、兵庫・西宮市の病院で死去した。77歳。宮崎県出身。葬儀告別式は近親者で行う。


宮崎商の投手として、1年生の1963年(昭38)から2年連続夏の甲子園に出場し、64年ベスト4。65年の第1回ドラフト会議で広島に4位指名された。2年目から打者に転向。70年に106試合に出場するなど主力に成長し、75年に初のリーグ優勝に貢献した。山本浩二、衣笠祥雄らと“赤ヘル打線”の主軸を担い、78年には首位打者を獲得。79、80年は古葉カープの連続日本一を支えた。


82年オフ、加藤英司とのトレードで阪急に移籍。83年は4番も任されて自己最多の36本塁打を放ち、同最多の114打点で初の打点王も獲得した。だが、84年の開幕戦で頭部に投球を受けて重傷を負い、完全復活できないまま85年限りで現役を退いた。


引退後は阪急、広島、近鉄、ダイエー(現ソフトバンク)、中日、阪神でコーチを歴任し、広島では前田智徳、95年に監督代行も務めた近鉄では中村紀洋らを育てた。和田豊監督のもと、13年に阪神1軍チーフ打撃コーチを務めた姿が最後のユニホームとなった。


実直で温厚な指導スタイルにかけ、多くの人から「じっちゃん」と慕われた。名選手、名伯楽として一時代を築いたレジェンドが、天国へ旅立った。


◆水谷実雄(みずたに・じつお)1947年(昭22)11月19日生まれ、宮崎県出身。宮崎商から65年ドラフト4位で広島入り。71年外野手としてベストナイン。75年10月15日巨人戦(後楽園)では、広島初優勝のウイニングボールとなる左飛を捕球。78年に首位打者。79年から2年続けて近鉄と対戦した日本シリーズでは、79年優秀選手賞、80年第6戦では満塁本塁打を放つなど連続日本一の立役者となった。83年阪急に移籍後、85年引退。その後は阪急と広島、近鉄、ダイエー、中日、阪神でコーチを歴任。現役時代は180センチ、86キロ。右投げ右打ち。

このニュースに関するつぶやき

  • 色んなチームでコーチやった、今で言えば鳥越さんみたいな、名物コーチ。そうか亡くなられたか…。 合掌
    • イイネ!4
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(31件)

ニュース設定