事件の約3カ月前に撮影された小林順子さん(左)と姉の熊田亜希子さん=1996年(本人提供) 「もう一回会いたい」。東京都葛飾区柴又で1996年、上智大4年の小林順子さん=当時(21)=が自宅で殺害され放火された事件は、未解決のまま9日で発生から29年となった。事件解決を祈り続けてきた姉の熊田亜希子さん(54)は「自分は年を取っていくのに順子は止まったまま。あの時からやり直したい」と声を震わせた。
2人姉妹で、3歳下の順子さんは高校から英語学科に進み、大学進学後も英語に力を入れた。夜遅くまで机に向かい、専門学校の受験を控えていた亜希子さんに小論文の書き方を教えてくれたこともあった。亜希子さんは「クールでしっかり者だった」と振り返る。
事件2日前、念願だった米国留学に旅立つ直前の順子さんとレストランで食事をし、銀座でワンピースを選んでもらった。その服を着て出掛ける日を楽しみにしていた。
事件当日は看護助手として働いていた病院に「お宅が火事です」と電話が入った。急いで帰宅すると、多くの人で騒然としており、消火活動が続いていた。先に到着していた母親と合流すると、近所の人から「順子は病院に運ばれた。危ないかもしれない」と聞いた。
パトカーで警視庁亀有署へ案内されると、捜査員が入れ代わり立ち代わり、同じ質問を繰り返した。不思議に感じていると、「刃物」「テープ」と書かれた資料が目に入り、事件だと悟った。
日付が変わる頃、霊安室で対面した順子さんは眠っているようだったが、その表情から「無念さ」を感じたという。「きのうまで一緒に居たのに、信じたくないし、現実を受け入れられなかった」
順子さんが選んでくれたワンピースは火事で燃えた。後日、似たようなワンピースを購入し、順子さんのひつぎに入れた。
9月9日が近づくと「助けを呼びたかっただろうな。もし私が早く帰っていたら」と自責の念に駆られることもあるという亜希子さん。「犯人が捕まらないと、どこに怒りをぶつけていいのか分からず、先に進めない」と話した。