ビリー・バンバンの兄、菅原孝さん肺炎で死去 81歳 14年に倒れ闘病 車椅子で音楽活動も

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2025年09月24日 10:31  日刊スポーツ

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ビリー・バンバンの菅原孝さん(2005年8月撮影)

兄弟デュオ、ビリー・バンバンの兄、菅原孝(すがわら・たかし)さんが11日午後4時34分、肺炎のため都内の病院で亡くなったことが24日、分かった。81歳だった。所属事務所が発表した。19日に神奈川県内の斎場で、家族、親戚で密葬が行われた。喪主は妻けい子さん。お別れの会などは未定。


弟でビリー・バンバンメンバーの菅原進(78)は「デビューから56年間、共に歩んでまいりました。誠実で優しく、思いやりがあり、真面目な兄でした。日がたつにつれて、兄の歩んできた人生を深く深く感じています。本当に偉大な兄でした。兄貴、ありがとう」とコメントを寄せた。


関係者によると9月28日に東京・新宿ケントスで行われる、菅原さんの師匠の作曲家浜口庫之助氏の没後35周忌・生誕108年祭「浜口庫之助傑作選」で、出演する弟の進が兄の死去について報告するという。


菅原さんは2014年(平26)7月に脳出血で倒れて、左半身にまひが残った。翌15年5月に仕事復帰して、その後は闘病しながら、車椅子に乗って音楽活動を続けていた。


1966年(昭41)に青学大在学中だった進が友人と4人組のバンドを結成。タレントせんだみつお(78)などの加入・脱退をへて、慶大在学中から音楽活動をしていた菅原さんと進の2人で、68年5月にビリー・バンバンを結成。翌69年1月に「白いブランコ」でデビューして20万枚超のヒットとなり“カッレジフォークの旗手”と呼ばれた。72年に日本テレビ系「3丁目4番地」の主題歌に起用された「さよならをするために」が80万枚超の大ヒット。同年のNHK紅白歌合戦に初出場した。


76年にビリー・バンバンを解散。菅原さんは司会業にも進出した。84年に再結成して、2007年(平19)にリリースした「また君に恋してる」は焼酎「いいちこ」のテレビCMとして長く親しまれ、坂本冬美などがカバーしている。


近年はコンサート、トークショーで「この左側が動かないんだよな」と悔しがることもあったが、弟進のサポートを受けながら活動していた。

このニュースに関するつぶやき

  • 今の世に必要なのは 彼等の歌の様な優しい世界じゃないかとふと思う 刺激ばかり求めちゃ胸やけになっちまうぞという話 合掌
    • イイネ!16
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