【吉木りささん・第5回】ただひたすら待つことで、不登校時期を支えてくれた母。私もそんな時間を整えてあげたい

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2026年09月09日 11:00  ママスタセレクト

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タレントの吉木りささんは、現在6歳の娘さんと3歳の息子さんのママ。ご自身は今の明るい雰囲気からは想像できないほど、シャイでおとなしいお子さんだったとか。中学校時代には不登校も体験。支えてくれたお母さまのこと、どうやって乗り越えていったのかを伺います。

高い声をからかわれるようになり、次第に不登校気味に


──中学校時代に不登校だった時期があるそうですが、そもそもどんなお子さんだったのでしょう?

吉木りささん(以下、吉木さん):人見知りで、小学生になっても母や姉と兄の後ろに隠れているような子でした。

お友達とうまくいかないことが増えたのは、中学3年生の頃。思春期で高校受験が控えていることもあり、クラスがピリピリした雰囲気になってくるじゃないですか。私はもともと声が高いのですが、おとなしそうに見えるのに話し出すと「声、高っ!」とびっくりされるので、それを「ブリッコしているのでは」と受け止められるようになって。そうしたことが重なり、声を出すことが怖くなってしまいました。そこからだんだん「学校に行きたくないな。ちょっとお腹が痛いかも」と、不登校気味に……。

──お母さまは心配されたでしょうね。
260629_mama_0173 (1)吉木さん:本当に心配を掛けたと思います。でも「何があったの?」と無理に聞いてくるようなことは、まったくなくて。「りさ、ミカンあるよ」「アイス買ってきたよ」と、引きこもっていた私を甘い物で釣り(笑)。何を尋ねるわけでもなく、ただただそこに一緒にいてくれました。そうした話しやすい環境を作ってくれたので、私も「ううっ……」と泣き出して「じつは」と。母は「そうか、そうか」とやさしく話を聞いてくれました。母に「声が高くて、ブリッコしているって言われるんだ。変な声だと言われるんだ」と話したら、「私はあなたの声が本当に大好き。絶対にいつか活かせるときがくるよ」と。

大人になってから本当にその通りで、もともと日本民謡を習っていたことから民謡の番組をさせていただいたり、歌う機会をもらったり。キーウィちゃんの声を担当させていただいた『コレナンデ商会』は、まさにこの声が活かされる場でした。もしかしたら当時うまくいかなかった子たちが親になって番組を観てくれているかもと思うと、「頑張ってよかったな」と。

──本当ですね! 不登校はどのくらいの期間続いたのですか?

吉木さん:半年くらいです。完全に行っていなかったわけではなく、保健室登校のような感じ。なんとか足を運ぶことはできていました。当時の担任の先生が心配して来てくださるのですが、うまくいっていなかった相手の子を呼んで仲直りの場を作ってくれたり……。先生はよかれと思ってくださったのでしょうが。

──それはしんどいですね。

吉木さん:はい。アレが一番辛かったです(苦笑)。お互い何を話せばいいか、わからないので。

──当時、勉強はどうされていたのですか?

吉木さん:ほとんどしていなかったと思います。親が宿題くらいは見てくれていたのかな。

高校で出会えた大切な友達。誰にでも居場所がちゃんとある



──不登校から抜け出せたのは、いつですか?

吉木さん:高校生になってからです。勉強をほぼしていなかったこともあり、入った高校はヤンキーがいっぱいで(笑)。最初は驚きましたが、でもじつはそういう子たちって、フレンドリーでやさしかったりするんですよ。

ただ、最初はなじめなくて。下火になりかけのルーズソックスを履き(笑)、「ギャルになるぞ!」と意気込んで行ったものの空回りして、「あ、やっぱダメだ」と。また行かなくなっちゃったんです。で、久しぶりに登校したら、後ろの席の学級員の女の子が手紙をくれて「りさちゃんのこと、みんな待っているよ」と書いてあって。授業中だったのですが、泣いちゃいました。こんなふうに思ってくれている子がいるのかと思えたことで、また通えるようになりました。今でも高校時代の友達とは仲よしで、年に一度は同窓会をするほど。ヤンキーだった女の子は、今も大親友です。

──ちゃんと居場所を見つけられたのですね。

吉木さん:はい。自分の居場所は必ずあると思います。今同じような境遇にある子には、諦めずに探してほしいです。今は通信制の学校など、私の時代より選択肢も増えていると思いますし。自分のことを嫌いになるのが一番辛いことだと思うので、自分を愛して、自分を信じてほしいです。

──将来お子さんたちが似たような状況に置かれてしまったら、お母さまのように対応できると思いますか?
260629_mama_0063 (1)吉木さん:いえ、私の母のようにできる自信はないです。私だったら「何があったの?!」と、詰め寄っちゃうかも。だからいかに母がすごかったか……。子どもを受け入れて、待つ。待つことが一番しんどいですよね。でも、私もそんな時間を整えてあげられたらいいなと思います。

──当時の経験を今振り返って、どう思われますか?

吉木さん:よい経験だったと思います。自分で言うのもナンですがやさしさや、人に平等に接すること。どんな人にも素敵なところがあるので、それを見つけるようにすることも。

──反面教師にするということですね。

吉木さん:そうです! 当時の同級生は私を受け入れてくれなかった。それなら私はいろいろな人を受け入れられる自分になりたい。そんな気持ちで人と接するようになったので、たくさんの人とお友達になれて人脈も広がって、たくさんの発見がありました。その気持ちは今でも忘れずに持っています。

あと私、グチはたくさん言っちゃうのですが(笑)、悪口だけは言わないようにしています。当時はたくさんの悪口、陰口、ヒソヒソ話を向けられて辛かったので、同じ土俵には立たない。当時は相手の子の悪口も言わないように決めていました。心に悔しい気持ちはあるけれど、言葉には出さない。その子にも何か事情があったのかもしれないし、悪いイメージだけでその子を染めてしまいたくない。できるなら、その子と仲よくなりたかったので。

──多感な時期のそうした経験は、自分の基盤を作ってくれますよね。

吉木さん:本当にそうだと思います。だからよかったなと、今なら思えますね。

胸が痛くなるようなお話でしたが、つらい経験を乗り越えられた背景には、お母さまの「待つ」姿勢がありました。わが子にとって安心できる居場所であり、心の支えでありたいと願うのはどのママも同じですね。そして次回はいよいよ最終回。娘さんが掛けている眼鏡のこと、そして今やすっかり吉木さんの代名詞ともなった「推し活」についてもお聞きします。お楽しみに!

取材、文・鈴木麻子 編集・編集部 撮影・中村彩子

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