中田ボタンさん死去 肺がん闘病も力尽く…23年事実上の引退

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2026年09月19日 20:00  日刊スポーツ

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浅草演芸祭の発表会見に出席した左から中田ボタン、中田カウス、浅香光代 浅香はカウスの手を取り、自分の胸にタッチさせ大笑い 2009/06/19 

上方漫才を象徴する漫才師、中田ボタン(本名・藤長明)さんが、14日に大阪府内で亡くなっていたことが19日、分かった。78歳だった。親しい関係者によると、葬儀・告別式はすでに家族葬として終えられたという。ボタンさんは盟友桂小文枝のYouTubeに出演し、「ステージ4の肺がん」を明かしていた。


ボタンさんは、67年に中田カウス(77)とコンビ結成。上方を代表するしゃべくりを駆使し、カウスとともに、後進育成のために上方漫才協会を立ち上げた。19年3月に体調不良で一時休養。23年2月、所属の吉本興業とマネジメント契約を解消し、実質上の引退となっていた。


ボタンさんは、19年2月ごろから「疲れが抜けない」「しゃべりにくい」などの症状を訴え、主治医に相談。息が上がることも増えたことから、検査入院が決まった。同年3月19日になって、体調不良のため一時休養すると発表し、同月下旬の大阪・なんばグランド花月などの出番をキャンセルした。


ベテランコンビの舞台キャンセルは異例で、相方の中田カウスとともに始めたライフワークの「漫才のDENDO」ツアーへも出演できず。ボタンさんは「しっかり体調を整えて、また舞台に戻ってきます」とコメントしていたが、復帰はならず。23年2月には「区切りをつけたい」と吉本へ申し出て、マネジメント契約解消となっていた。


一方で、24年10月には、大阪・天満天神繁昌亭で、盟友桂小文枝の55周年公演にサプライズ出演。「ステージ4の肺がん」だったと明かした。「血を吐きながら」舞台に出続けていたことなども明かし、医師から「余命3カ月」の診断を受けたことも明かしていた。


◆中田ボタン(本名・藤長明)1948年(昭23)4月12日、香川県生まれ。中田カウスと67年にコンビ結成。昭和の上方しゃべくり漫才を代表する兄弟コンビ「中田ダイマル・ラケット」に師事し、上方特有のスピード感あふれる話芸を磨く。70年代、漫才師の衣装はスーツが常識だったが、デニム姿でマイク前に立ち、女子人気が爆発。アイドル的漫才師の先駆的存在でもあった。若い頃はばくち好き、女遊びが激しく、借金を重ね、後年は、カウスがボタンの私生活ネタをいじり、笑いをとるのが定番だった。上方漫才最高峰の上方漫才大賞は3度、95年には上方お笑い大賞も受賞した。

このニュースに関するつぶやき

  • 漫才ブームを牽引した大御所がまたひとり。残念ですね。肺がんだから、苦しかったのだろうか。安らかに。
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