限定公開( 2 )

上方漫才を象徴する漫才師、中田ボタン(本名・藤長明)さんが、14日に大阪府内で亡くなっていたことが19日、分かった。78歳だった。親しい関係者によると、葬儀・告別式はすでに家族葬として終えられたという。ボタンさんは盟友桂小文枝のYouTubeに出演し、「ステージ4の肺がん」を明かしていた。
ボタンさんは、67年に中田カウス(77)とコンビ結成。上方を代表するしゃべくりを駆使し、カウスとともに、後進育成のために上方漫才協会を立ち上げた。19年3月に体調不良で一時休養。23年2月、所属の吉本興業とマネジメント契約を解消し、実質上の引退となっていた。
◇ ◇ ◇
ボタンさんにとって「最後の7年」は波乱の連続だった。
肺がんのため、半ば医師から強要されるような形で入院したのが2019年2月。それより前の3カ月は時折、血を吐きながら舞台に立っていた。体調不良を周囲には明かさなかったのは、昭和から平成を駆け抜けたお笑い芸人の誇りか。
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「ほっといてくれ。俺の体はどうなってもかまわない」というボタンさんに、家族は「おとなしく治療を受けて」と懇願した。点滴を受けるうちに3日間、意識不明に陥った。体が震えるなど一時は厳しい状況となったが、以前から筋トレなどで体を鍛えていたボタンさんは驚異的によみがえった。
家族の思いが伝わったのか、抗がん剤と点滴が劇的に効果を見せた。ボタンさんは後に「4種類あるうち最も体に負担のかかる抗がん剤を使った」と振り返っている。2度目の抗がん剤治療で「ようやくパンや果物を食べられるようになった」
「ステージ4の肺がん」「余命1週間宣告」そんな絶望的な状況から、奇跡の回復。退院からわずか10日後には、昔からの遊び仲間、桂小文枝らとゴルフに行った。「ボールを打った後(ボタンさんが)走っていたので、みな驚いた」(小文枝)
ただ、漫才コンビ「中田カウス・ボタン」としての復活はならなかった。
23年2月、長年世話になった吉本との契約が解消された。芸人ボタンは引退同然となった。
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そこから沈黙を破って、ファンの前に姿を見せたのは24年10月26日。大阪・天満天神繁昌亭で開催された「桂小文枝芸歴55周年記念大作戦 YOUNG GO!GO!」にサプライズ出演した。この日は、小文枝がチャリティー落語会で全国を巡演するツアーの第1弾。盟友の小文枝がボタンさんをシークレットゲストとして、舞台に引っ張り出した形だ。ここでは同じ時代を生きた吉本新喜劇の間寛平と、3人でトークを展開し、会場のファンを喜ばせた。
ボタンさんは人知れず、自主リハビリにも打ち込んだ。夏の猛暑の下、時には堺市からナンバまで2時間歩いた日もあった。なんばグランド花月(NGK)近くの飲食店で、旧知の芸人らとともにランチを楽しむこともあった。
小文枝のYouTubeに出演し、2人で対談すると大きな反響があった。気を良くしたボタンさんは「皆さんにお礼を言いたい」と、すぐさま再登場。義理堅い一面も見せていた。
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