映画監督の篠田正浩さん死去、94歳肺炎 妻は岩下志麻「松竹ヌーベルバーグ」の旗手

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2025年03月27日 16:40  日刊スポーツ

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日刊スポーツ

篠田正浩さん(16年10月)

69年「心中天網島」、84年「瀬戸内少年野球団」などで知られる映画監督の篠田正浩さんが、3月25日午前4時55分に肺炎のため亡くなった。94歳だった。篠田さんが67年に設立し、代表を務めた映画製作会社・表現社が27日に発表した。故人の遺志に従い、すでに家族葬を執り行い、後日お別れの会を行いたい意向だという。


「これまで、篠田の映画製作を支えてくださった方々、また映画を愛してくださったみなさまに改めて心より感謝申し上げます。尚、誠に勝手ではございますが、供物、供花、弔電などはご遠慮させて戴きますこと、あわせてご了承くださいますようお願い申し上げます」とした。


篠田さんは、早大卒業後の53年に助監督として松竹に入社し、60年「恋の片道切符」で監督デビュー。大島渚さん、吉田喜重さんらと、新たな演出、作風で「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる、新しい波を起こした。65年に松竹を退社し、67年に表現社を設立。「心中天網島」はベネチア映画祭などに出品。72年に札幌冬季五輪の記録映画を監督し、79年に坂東玉三郎の映画初挑戦「夜叉ヶ池」などを手がけた。


03年の監督作「スパイ・ゾルゲ」で監督業を引退。21年7月には、都内で行われた「夜叉ケ池 4Kデジタルリマスター版」の舞台あいさつに、主演の坂東玉三郎と登壇したのが、公の場に出た最後となった。


妻の岩下志麻(84)は、東京・丸の内TOEIで28日から5月8日まで開催の特集上映「昭和100年映画祭 あの感動をもう一度」の一環として、29日に同所で行われる86年「極道の妻たち」の上映後、舞台あいさつに登壇の予定だったが、東映は27日、舞台あいさつの中止を発表した。


◆篠田正浩(しのだ・まさひろ)1931年(昭6)3月9日、岐阜県生まれ。加納高時代は400メートル走で国体出場。早大競走部で長距離に転向し、箱根駅伝にも出場。同2年時にアキレス腱(けん)を痛め引退。卒業後松竹で映画監督に。第2作の「乾いた湖」で寺山修司を脚本家として抜てき。後年世界的な作曲家になった若き日の武満徹に音楽担当を任せたりと、新しい試みで「松竹ヌーベルバーグ」の旗手と言われた。91年に「少年時代」で日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞。03年の「スパイ・ゾルゲ」を最後に監督引退。10年に「河原者ノススメ」で泉鏡花文学賞。妻は女優の岩下志麻。

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  • オイラが初めて知ったのは悪霊島でした 今のソフト版はオリジナルのレット・イット・ビーが聞けないんだよな 御冥福をお祈りします
    • イイネ!4
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