香淳皇后実録が完成=3800ページ、両陛下に献上―編さん17年、来月全文公開・宮内庁

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2025年09月19日 12:02  時事通信社

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時事通信社

香淳皇后(宮内庁提供)
 宮内庁は19日付で、昭和天皇の后、香淳皇后の生涯を記録した「香淳皇后実録」が完成し、天皇、皇后両陛下に献上(奉呈)したと発表した。10月9日に全文を公表する予定で、同庁ホームページでも初めて公開する。

 当時宮家だった久邇宮家の長女として生まれ、戦前・戦中は「大元帥」、戦後は「象徴」となった昭和天皇と激動の時代を生きた香淳皇后の動静を伝える公式記録。同庁が17年かけて編さんした。

 両陛下に今月18日夕、皇居・御所で同庁の西村泰彦長官から実録が渡された。上皇ご夫妻には19日午前、仙洞御所(東京都港区)で同様に渡された。香淳皇后は上皇さまの母に当たる。

 同庁書陵部によると、実録は1903(明治36)年の誕生から、2000(平成12)年の逝去、葬儀までの出来事を年月日順に叙述する編年体で構成した。B5判の和製本で、本文12冊と目次・凡例1冊の計13冊から成り、全体で3828ページ(約264万文字)。14年に完成した昭和天皇実録(1万2137ページ、約980万文字)の約3分の1の分量で、昭和天皇実録と同様、原則口語体を採用した。

 08年に編さんを開始。途中で昭和天皇実録の編さんと重なり、予定を約5年延長して今年3月に終了し、4月から製本作業を進めていた。

 同庁は編さんに当たり、女官や侍従らの日誌、同庁内外の公文書、動静を伝える新聞記事など約1500件の資料を利用。元側近ら計30人から談話聴取を実施した。印刷製本や資料収集など経費の総額は約5590万円(人件費を除く)。42人の職員が携わった。

 

 ◇香淳皇后

 1903(明治36)年3月6日、皇族の久邇宮邦彦(くにのみや・くによし)王、俔子(ちかこ)妃の長女として誕生。名前は良子(ながこ)。24(大正13)年1月26日に当時皇太子だった昭和天皇と20歳で結婚。上皇さまをはじめ2男5女をもうけた。

 26年12月、大正天皇の逝去に伴い昭和天皇が即位し、23歳で皇后となった。戦争の時代を経て、戦後は国体(現国民スポーツ大会)や全国植樹祭などに昭和天皇と出席。1971年の訪欧、75年の訪米などを通じて国際親善に貢献し、日本赤十字社の名誉総裁も務めた。

 2000年6月16日逝去。香淳皇后と追号された。7月25日、葬儀に当たる斂葬の儀が行われ、武蔵陵墓地(東京都八王子市)に埋葬された。 

公開された香淳皇后実録=16日午後、宮内庁(代表撮影)
公開された香淳皇后実録=16日午後、宮内庁(代表撮影)

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  • 昭和天皇が皇太子時代からつけていたと噂される日記を高松宮日記のように出版してほしい。
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