
執行に関する情報が“闇の中”ともいわれる「死刑」、そして「無期懲役」。およそ1700人いる無期懲役囚は死刑について、どう見ているのだろうか。
元執行官が短歌で詠んだ“死刑執行”1冊の短歌集がある。死刑執行に立ち会った執行官が緊迫した“刑場”の様子を詠んでいる。
元執行官が詠んだ短歌
「朝寒の ともしび揺れる刑場に 神の子として死刑囚ありき」
ある朝、身代金目的で児童を誘拐・殺害した死刑囚を独房から連行した。
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元執行官
「『迎えの日が来たようだよ。とりあえず神父さんが向こうでお待ちだから、神父さんのもとに行こう』という感じで連行した。取り乱すでもなく顔が紅潮している印象は、いまだに残っています」
刑場に死刑囚と神父の賛美歌が響いた。
元執行官
「神父さんに導かれて穏やかに歌っていた」
死刑囚にたばことお茶、最中を勧めた。
元執行官
「味わってうまそうに食べてましたよ。『私は死刑執行の“最中(さいちゅう)”というわけですか』みたいなことを言ったんですね。最中(もなか)という包み紙の字を見て」
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元執行官が詠んだ短歌
「頭巾して 太き縄ひも首にうけ 刑徒は小さき歩で進みたり」
そして踏み板が開いた。
元執行官
「死刑の、下の床が落ちていく、まさに落ちる瞬間から『お世話になりました』という声を発した。私から見ると模範的な死刑囚という感じだった」
執行官は今も死刑囚を供養する短歌を作り続けている。
死刑囚には“当日の朝”執行を告知東京の荒川の向こうに周辺を威圧するように巨大なコンクリートの塊がある。東京拘置所だ。
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刑場は地下1階にあるが、正確な場所は限られた職員しか知らない。
執行の1週間前に法務省から連絡を受け、極秘に身長、体重に合わせた人形でリハーサルを始める。
死刑囚・本人には“当日の朝”、突然告知される。独房での服装は自由だ。有無を言わせず、着のみ着のままで刑場に連行される。恐怖で歩行が困難になる者もいるという。
刑場では拘置所長が“お別れの日がやってきました。長い間よく頑張りましたね”などと声を掛ける。
そして、30分ほど教誨師と死刑囚が最後の宗教の儀式を行う。
教誨師が退出すると刑務官が一斉に動く。カーテンが開けられ隣の執行室に移る。
踏み板の上で両足が縛られ首にロープが掛けられる。
ボタンは3つあり、押すと踏み板が開く。誰のボタンで作動したか分からない。家族に重篤者や妊婦がいる職員は担当から外される。
体は約4メートル落下し、床から2メートルの高さで止まる。
15分後、医官が木製の階段を登り聴診器を当て、“心音が完全に消えた”事を挙手で知らせる。
執行が全て問題なく進むわけではない。
拘置所幹部
「3人全員がボタンを押さなかったり、電気系統の故障で踏み板が動かなかったこともあった。確定から20年近く経った死刑囚が『こんなに待たせやがって、何で今になってやるんだ』と暴れたこともある」
ハビエル・ガラルダ神父(94)。28年間、教誨師として執行直前まで死刑囚に付き添った。
ハビエル・ガラルダ 神父
「誰かが後ろから眼鏡を取って何かを被せて、その時、私は他の部屋にいた」
別れて30分後、“死刑囚”は遺体となって戻ってきた。
ガラルダ神父
「ひどいことをしたはずですよ、死刑ですから。でも今はすごくいい人になって、優しくて話し合って笑って。その友達が執行されたということは、ショックで悲しい」
死刑は“解決策”にはならないとガラルダ神父は語る。
ガラルダ神父
「(Q.被害者遺族の感情については)被害者の気持ちはわかりますが、その悲しみをなくすために死刑を望むのは間違ったことだと思います。その人が殺されたら、気持ちは落ち着くとは思わない。結局は復讐」
執行は法務大臣の緊急記者会見で知らされる。
古川禎久 法務大臣(当時)
「本日、死刑を執行をしました。個々の死刑執行の判断に関わる事柄につきましては、お答えを差し控えさせていただきます」
法務大臣は死刑の詳細を語らない。ただ一人、歴代の大臣で初めて死刑執行に立ち会った人物がいる。
死刑執行に立ち会った唯一の法務大臣千葉景子 法務大臣(2010年7月当時)
「私の責任だと考え、本日の執行に立ち会ってまいりました」
千葉氏は沈黙の中で進む“死刑執行”に驚愕したという。
千葉元法務大臣
「すごく淡々というか。人殺しするわけじゃないですか。それ自体残酷ですよ」
実は、千葉氏は元々、死刑廃止論者だった。
千葉元法務大臣
「それに対しては相当厳しいご指摘とか非難はありました。結構、ちょっときつかったですよね。結果的に何もできませんでした。それは本当に情けないというか、残念というか、そういう気持ちはあります」
遺体は90年代後半まで、大学に献体されるケースが多かった。
某大学医学部教授
「学生が2か月間人体構造を学んだ後、火葬にしました。当時、死刑囚の健康な御遺体は貴重でした」
献体した死刑囚の犯罪については触れられなかったという。
某大学医学部教授
「私達は献体された方の御生前の人生に立ち入ることは、許されないと認識しております」
これは法務・検察の内部文書だ。健康状態や再審請求の有無など、死刑囚の近況が細かく報告される事になっている。
執行の順番がどのように決まるのかは闇の中だ。最高責任者の大臣さえ把握していない。
千葉元法務大臣
「(順番は)正直不明です」
執行の当日宣告や絞首刑は残虐だなどとして死刑囚が裁判を起こしている。金子弁護士はその代理人のひとりだ。
金子武嗣 弁護士
「どうして情報が洩れてこないのか考えてみると、絞首刑が残酷だからです。だからもう闇の中、刑場も闇の中、記録も闇の中、どんなふうにやってるかも闇の中」
金子弁護士は法務省が情報を開示した上での議論が不可欠だと考えている。
死刑と“紙一重” 無期懲役囚はおよそ1700人死刑を免れた“無期懲役囚”は今どのように過ごしているのだろうか。
岡山刑務所。受刑者450人の半数が無期懲役囚。彼らは“生命犯”、つまり人の命を奪い服役している。死刑と紙一重だった。
全員が初犯、最高齢は93歳だ。全国の無期懲役囚はおよそ1700人。終身刑化が著しく、服役年数は平均で38年を超えている。
70代後半の受刑者(殺人・無期[1審死刑]・服役40年)
「(1審での死刑から無期懲役に)今まで死刑と言われてたじゃないですか、今度無期って言われて。一晩寝ていやあれは間違いだと言われたら、えらかったですね。完全に確定するまではね。やっぱり生きていいよと言われたら人間、欲は出ますからね」
凄惨な少年事件の無期懲役囚も収容されている。
被害者2人、彼は1審死刑だった。
50代後半の受刑者(殺人・無期[1審死刑]・服役30年)
「(Q.同じ境遇の人が集まってるから安堵感はあるか?)そうですね。ひとりではないですからね、それは大きいと思います。仮にひとりで無期懲役勤めてたら、かなりきついと思いますね」
50代後半の受刑者(服役30年)
「(服の刺繍を指さす)赤が10年です。黒が1年です」
記者
「22年、規律違反がないということですか」
50代後半の受刑者(服役30年)
「はい」
号令でしか時間を把握できない塀の中で、“時計”を持つ事が許されていた。治安維持の為の“飴と鞭”だ。彼は死刑をどうみているのだろうか。
50代後半の受刑者(服役30年)
「自分の立場で言いにくいんですけど、自分が見てきた中では死刑はやっぱり反対ですね。罪を犯した人にも生きるチャンスを与えたうえで、償いはできませんけど、償いにつながる努力はさせるべき」
6時起床、9時就寝。毎日30分の運動。栄養も管理された生活で肥満の受刑者は見当たらない。
年に1度の運動会が迫っていた。工場対抗なので負けられない。練習に熱が入る。
40代後半の受刑者(強盗殺人・無期・服役25年)
「(Q.何年?)25年目になります。(Q.罪名は?)強盗殺人です」
「(Q.みんな運動会を楽しみにしてます?)みんな楽しみにしてると思います」
「(Q.これは運動会用に買ったんですか?)運動会に合わせて買ったばっかり」
60代の受刑者(強盗殺人・無期・服役24年)
「(Q.死刑執行のニュースを見ててどう思うか)命だけいただいた分、有難いなという気はしますけど。こんだけ長かったら先も見えないし、死刑で良かったということはないですけど」
舎房から受刑者が出て来る。運動会が始まる。
40代の受刑者(強盗殺人・無期・服役18年)
「(Q.鍛えてるんですか身体?)毎日、この日のために」
「(Q.10年前も走りました?)走りました」
40代の受刑者(刑期28年・服役12年)
「(Q.みんな運動会楽しみにしてます?)そうですね。娯楽とかないので盛り上がれることがない、大声出せることもない」
受刑者である事を忘れたかのようだ。仮設のトイレは受刑者の手作りだ。
50代後半の受刑者(強盗殺人・無期・服役15年)
「(Q.今日銀シャリだそうですね)そうなんです。1年に1回のお弁当なので、本当に楽しみです。輝いて見えますね」
弁当は全て白米だ。(普段は米7:麦3の割合)
50代後半の受刑者(服役15年)
「紙一重だった部分もあるので、死刑と無期の。それを思えば、生きて出るのが使命かなと思いますし。死刑になった方が楽やっていう人も何人かいますけど」
一度は死刑を覚悟した男達の“生への執念”が弾ける。工場担当の刑務官も勝敗が気になる。
刑務官
「犯罪が大きいか小さいかで私たちは仕事してません。誰が有名人でああだこうだっていうのは別に意識しません」
運動会の賞品はちり紙や石けんなどの日用品だ。
無期懲役囚の高齢化 平均の服役年数38年を上回る社会復帰に備えて体を鍛える無期懲役囚がいる一方で、高齢化は深刻だ。
昭和30年代の映像で若い頃の記憶を呼び起こそうとしている。
80代の受刑者(殺人・無期・服役7年)
「ああいうときがあったなったって見よったんだけどね」
「(Q.無期だと仮釈放難しいですね)考えたことないですね」
90代の受刑者(無期・服役50年)
「ここに50年いますから」
「(Q.仮釈放がなかなか難しいでしょう)5回受けたけど、家族がみんな亡くなって帰るとこないので。出ることを考えないで、軽い気持ちでここを楽しんでいる」
受刑者(殺人・無期)
「(Q.いくつですか?)分からん」
「(Q.罪名は?)殺人。出られへんからな、死ぬまでここで、無期やから」
記者
「こんにちは」
受刑者
「喋るな」
犯罪に関しての質問が気に触ったようだ。
岡山市の更生保護施設「古松園」。後に首相となる犬養毅らが明治30年に設立した。仮釈放された無期懲役囚達に半年間は衣食住を無料で提供している。
岩戸顕前園長は服役中の無期懲役囚75人の身元引受人だ。
仮釈放された無期懲役囚は数年で死亡するケースが少なくない。無縁仏の位牌が並ぶ。
岩戸顕 前園長
「何の落ち度もない相手に対して無残な殺し方をしているのは、家族にとっては一生刑務所から出してほしくないというのが本音」
「死刑は一瞬で終わるが、無期の場合は30年40年、毎日苦しみながら生活をしていくというのが、かえって苦しいのかなと思ったりもする」
岩戸氏は仮釈放が許されたなら、短期間でも社会生活を経験させたいとの思いが強い。
法務大臣に死刑執行停止の嘆願書を出した被害者遺族がいる。原田正治さんは、トラック運転手の弟を事故に偽装した保険金目的で殺害された。
原田正治さん
「頭は包帯でぐるぐる巻きで判別がつかない状態。遺品を見て初めて弟だということで」
極刑を強く求めていたが、死刑囚への面会が許可され、憎しみだけでは遺族は救われないと感じるようになった。
原田正治さん
「終身刑にするべきだと思っている。人を殺めておいて、一生を償うべき。仮釈放で社会に出てきた時点で忘れてしまう」
結果的に死刑は執行された。それでも、原田さんは日本の法律にはないが、死ぬまで刑務所から出られない“終身刑”の導入を主張し続けている。
現在、全国の死刑囚は103人。
夜が明けると“絶望の朝”がやって来るかも知れない。死刑と無期懲役刑。様々な思いが交錯する狭間で死刑の執行は厳然と続いている。
