
老いは誰にでも訪れるごく自然な流れ。しかし、いざ自分がその事実に直面したら……。80代になると、その割合が大きく増加するという認知症。4年前のある朝、幻覚を見たのをきっかけに軽度認知障害と診断された山本さん。「病ではないんだから、完治なんてない」と腹をくくる山本さんの日々の向き合い方、老いを生きる作法とは。
精神科と聞いてショックを受けた
「年とともに細胞が死んで、脳の機能が衰えていくのは自然なこと。ですが、突然その事実に直面すると、やはり動揺しました」
と語るのは、俳優の山本學さん。1978年のドラマ『白い巨塔』の里見脩二医師役など、長年、テレビドラマや映画、舞台で活躍してきた俳優界の重鎮だ。
そんな山本さんに異変が起こったのは、2022年、早春のある夜。トイレに行こうと起き上がると、寝室の白壁に奇妙な図形が見えたという。
「40センチ四方ぐらいの迷路のような図形が、ぼんやりじゃなく、曼荼羅のような色つきではっきりと見えるんです。なんだこりゃ!?と。夢かと思って頬をつねると痛い。手を伸ばして触ってみたら、迷路はパッと消えました。一体なんだったのだろうと……」(山本さん、以下同)
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原因がわからないまま、さらに2週間後、明け方にトイレに立ち、ふと寝室の壁に目をやると、今度は黒色の立方体が無数に浮かんでいた。
「2度目に見たのは鉄の箱のようなものでした。その後、10日ほどたった日には、部屋の天井一面にキラキラ光る衣紋掛けが揺れているのが見えて、下にいる自分は動けない。これはもう病院に行かないとダメかな……と思わず呟きました」
脳の病気かもしれないと考え、知り合いの脳外科医に電話して症状を伝えたところ、精神科を紹介しますとの返事だった。
「精神科と聞いて、いよいよ気が変になったのかとショックでしたね」
紹介された認知症専門医の説明によると、山本さんが目にしたのは“幻視”という症状で、問診と精密検査の結果、軽度認知障害(MCI)の初期と診断された。軽度認知障害とは、“認知症グレーゾーン”ともいわれる認知症の前段階にあたる。
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「私はがんも患いましたが、がんは治療をして“寛解”がゴールですよね。でも、認知症は治らないというイメージがありましたから、いずれ自分も、周りの人のことさえわからなくなるのか……と、落ち込みました。
ただ、先生のお話では、軽度認知障害の期間はだいたい7年ある。その間の過ごし方次第で、進行を遅らせることができるとのことで、できることをやってみようと思ったんです」
認知症のなかで最も多い「アルツハイマー型認知症」は、アミロイドβというタンパク質が脳に蓄積し、約20年の間に3段階の過程を経て発症する。第一段階はアミロイドβが脳にたまり始めているものの認知機能の衰えは見られない状態。
絶大な筋トレ効果
次が、記憶力の低下などが見られても日常生活にさほど支障がない、いわゆる認知症グレーゾーン=軽度認知障害。そして最後が、認知症を発症し、生活に支障を来す状態となる。
認知症になる人は軽度認知障害の段階を必ず通るが、すべての人が認知症に進行するとは限らず、適切な対応により、現状を維持するだけでなく、認知機能の低下を遅らせることができる場合もあるという。
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そこで山本さんも、担当医のすすめで認知機能のトレーニングを提供するクリニック内のデイケアに通うことに。
デイケアでは、楽器の演奏や大人数でのゲーム、絵を描くなど、さまざまなプログラムが用意されている。なかでも山本さんが効果を実感し、今も続けているのが「本山式筋トレ」という脳の活性化を意識した筋トレ。
「片足立ちをしたりスクワットをしたりして、一つひとつ筋肉を鍛えていくんですが、止まって数十秒数えると、だんだん足が痛くなってきて、震えてくるでしょう? そういう身体の感覚を頭で感じることが大事なのだそうです」
1回のプログラムを2時間ほどかけて行い、山本さんは週2回のペースで通っている。
「他の参加者の方ともお話ししましたが、5〜6年通っているという方もたくさんいます。私は役者の仕事のために、これまで毎日歩いて体力を維持してきましたが、そんな私が音を上げてしまうハードな運動を女性もこなしているんですから、みなさん大したものです(笑)」
こうした運動は、筋力強化だけでなく、脳への効果も実感できるそう。
「私は一人住まいなので、部屋が散らかりがちなんですが、この筋トレをやると、意欲が出てきて片づけも難なくできるんです。逆に、風邪をひいたりして1か月ぐらい出歩けず、筋トレをやらずに過ごしたときには、原稿をまとめられなくなったり、記憶力が落ちたりして、認知機能障害が進んでしまったと自分でわかりました」
やはり、継続的に脳と身体に刺激を与えることが重要なようだ。デイケアだけでなく、山本さんが普段の生活で何げなく心がけてきたことのなかにも、認知症への進行を食い止めるヒントが。
好奇心を持ち続けることが大事
「妻をがんで亡くし、一人暮らしの期間も長くなりましたが、やはり急に寂しくなるときがあります。そういうときには、思いきって声を出して泣くんです。感情には逆らわないようにして、その場、そのときの気持ちを大事にしています」
また役者という職業柄、日常的に声を出しているのもメリットが大きいと担当医からお墨付きをもらっている。
「私は講演などで朗読を行っていますが、日常生活で実践するなら、新聞を声に出して読むのがいいと思います。これは、実際に役者のトレーニング法にあるんです。文章に込められた感情の変化もわかりますし、いろいろなニュースや情報ごとに違う文体や言い回しを『らしく』読み分けるのは簡単じゃなく、いいトレーニングになりますよ」
高齢者は、声が小さくなったり言語が不明瞭になったりするせいで、周囲とのコミュニケーションに悩む人も多い。人とのコミュニケーションや社会性の維持も認知症予防には重要なため、発声改善のために朗読や、カラオケもおすすめだという。
「あとは、好奇心を持ち続けることが大事だそうです。僕は演技のために常に人を観察してきたのがよかったのかもしれません」
終始、「こうしたらいいなんて、簡単には言えない」と話していた山本さんだが、最後にこれだけは伝えたいと力を込めてメッセージをくれた。
「おかしいなと思ったら、変に考えすぎず、とにかく早く病院に行くこと。精神科や認知症外来は、そりゃ誰だって行きにくいよ。だから、何かきっかけをつくって。こういう雑誌の記事もきっかけになればいいですね」
認知症への不安や恐怖を抱えつつも、前向きに毎日を過ごしている山本さん。その姿勢をぜひ参考にしたい。
取材・文/當間優子
やまもと・がく 俳優。テレビドラマや映画、舞台で幅広く活躍し、1978年の『白い巨塔』(フジテレビ系)で演じた内科医・里見脩二役は代表作のひとつ。近年は軽度認知障害(MCI)と診断され、「生老病死」をテーマとした講演を全国で行っている。主治医との対話を通して「老いを生ききる」ための知恵やヒントを伝える書籍『老いを生ききる 軽度認知障害になった僕がいま考えていること』(アスコム)も話題。
