賀来賢人&伊藤健太郎、フィナーレに相応しい名演! 『今日から俺は!!』にあった“熱”の正体

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2018年12月17日 06:02  リアルサウンド

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 第1話で京子(橋本環奈)に絡んでくるチンピラを成敗し、連中が持っていた白い粉をぶちまけた三橋(賀来賢人)と伊藤(伊藤健太郎)。それをきっかけにしてヤクザに目をつけられ、彼らと繋がりのある智司(鈴木伸之)と相良(磯村勇斗)ら開久とのバトルが幕を開けた日本テレビ系列日曜ドラマ『今日から俺は!!』。12月16日に放送された最終話では、そのすべての発端となった出来事からのツケが回ってくるという展開が待ち受けていた。最強の敵となる銀龍会の月川(城田優)が再登場を果たし、今井(太賀)と伊藤が相次いで病院送りにされてしまうのだ。


 タイミングを見計らって銀龍会の事務所に忍び込んだ三橋だったが、月川たちに囲まれて銃を向けられてしまい、翌日から髪を黒く染め、ツッパリをやめることを宣言。とはいえ、これまでの三橋の卑怯な手口の数々、そして伊藤や今井たちへの友情の熱さを考えれば、それが作戦の一環であることは容易に見て取れるだろう。案の定、銀龍会に単身乗り込もうとした伊藤の前に現れた真面目風の三橋は、おもむろにカツラを外して種明かし。最強のコンビネーションで月川の神経を逆撫でしながら見事勝利をもぎ取るわけだ。


 その後の展開は、原作のクライマックスと同じような展開をたどっていく。開久の頭に返り咲いた相良が、理子(清野菜名)と京子を人質に取り、三橋と伊藤をおびき寄せる。理子を救うために無抵抗の三橋に手錠をかけて、容赦ない攻撃を繰り出す相良。この場面で自分の手の肉をそぎおとして手錠から抜け出し、身を挺して理子をかばう姿はまさに原作そのもの。伊藤が現れて骨折した腕で相良を倒すまでのドラマティックな展開は、賀来賢人も伊藤健太郎も磯村勇斗も清野菜名も、フィナーレに相応しい熱演であったといえよう。


 結果的に三たび倒されることになった相良を諦めさせるのは、三橋でも伊藤でもなく、第9話で相良のクーデターにあって開久を追われた智司だ。「頭張ることに何の価値もない」と、クライマックスの一番良いところをすべてかっさらっていく智司。自分を裏切った相手にも情けをかけ、またプライドを持って開久という学校のメンツを保とうとする智司の姿を見ていると、何故この物語が、ツッパリという存在が消滅した現代にこうして実写ドラマとして描かれたのかという理由が見えてくるような気がする。


 それはエピローグで、屋上でのんびりしている三橋と伊藤とのやり取りにもあるひとつの小さな疑問も同様だ。「ツッパるって何?」。よくよく考えてみれば、本作で描き出される80年代の不良少年たちが“ツッパリ”と呼称されただけにすぎず、それ以外の時代、もちろん現代にも自分の腕っ節にしか頼ることのできない不良少年というのは一定数存在している。おそらく当時のツッパリも、そして中高生の頃に不良めいたことを経験した人の多くが、何故そうすることを選んだのか後々振り返ってみても答えが出ないはずだ。


 もっとも、何をするのがカッコいいとか、仲間のために自分の身を挺してぶつかっていく覚悟を持つべきだとか、暴力でしか認め合うことができない思春期の朧げな心情や無力さなどという小難しいテーマを論じる作品ではないということは言うまでもない。だからこそ至極シンプルに、「ツッパりたいからツッパリになった」という三橋の言葉通り、本作は「自分のなりたいものになる」という決意の物語であり、それによって作り出される「友情」という人間関係が普遍的であるということをツッパリという古典的なモチーフを借りて証明する作品だったのかもしれない。いずれにせよ、現代の青春ドラマにはすっかりなくなってしまった、確かな“熱”を帯びた作品であったといえるだろう。(文=久保田和馬)


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