BUMP OF CHICKENの隠しトラックにあるオマケ以上の価値 サブスクだけでは伝わらないピュアさ

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2019年08月07日 12:31  リアルサウンド

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BUMP OF CHICKEN『aurora arc』(通常盤)

 BUMP OF CHICKENが7月についにサブスクリプションによるストリーミング配信を解禁した。そのニュースで、ファンが一番気にしたことはこれだと思う。


参考:BUMP OF CHICKEN、UNISON SQUARE GARDEN、RADWIMPS…新作に共通する構造


「シークレットトラックはどうなるの?」


 結果、シークレットトラックは8月現在、ストリーミング配信されておらず、フィジカル(CDやDVDなど)を購入した人しか聴くことができない特典のような扱いになっている。


 確かに本編とは何の繋がりもないシークレットトラックは、あくまでも本編のオマケでしかない。だが、インディーズからメジャーレーベルに移籍しても、バンドが大きくなるにつれて作風が多様化しても、ドームツアーを回るような老若男女が愛する国民的バンドになっても、フィジカルで作品をリリースする際は、シークレットトラックをどこかに忍ばせてきた。(唯一、チャリティー作品として期間限定でリリースされた『Smile』だけは隠しトラックを収録していない。ただ、これはリリース期限の兼ね合いやチャリティー作品という事情があってのことなのだろうと想像する)


 途切れることなくずっとBUMP OF CHICKENがシークレットトラックを収録してきたのは、それが重要な意味を持っているからだろうし、実際、ファンの多くは、単なるオマケ以上の価値を見出しているように思う。


 それにしても、BUMP OF CHICKENは不思議なバンドである。


 BUMP OF CHICKENは20年以上のキャリアのなかで様々な変化をしてきたバンドだ。同世代のバンドの中であれば、天下を取ったバンドであると表現しても過言ではないと思う。普通、こういうバンドの場合、インディーズの頃は遊び心をむき出しにしていても、ある程度大きくなると、アーティスティックになるというか、ピュアでなくなることを引き換えにして、洗練さを売りにしていく傾向があると思う。そのため、歌詞の青臭さは薄まり、成熟したテクニック的な要素が全面に押し出されていくようになるのだ。確かにBUMP OF CHICKENも作風においては、成熟した要素を見て取ることができるし、地上波番組への出演する機会も見かけるなど、メディアに対するスタンスも徐々に変わってきている。しかし、それでもシークレットトラックを収録するというスタンス自体は変えなかった。それに、収録しているシークレットトラックの温度感も昔からそこまで変わってはいない。


 ここで言う温度感とは、ドームツアーを回るバンドとは到底思えないような“手作り感のある遊び心”と言える。


 最新作『aurora arc』に収録されている隠しトラックは「ぱやぱぱエース」という曲である。本編には絶対に収録されないような不思議な歌詞。打ち込みで作ったと思われるピコピコなサウンド。そして、ボーカル以外のメンバーが、リラックスした状態で披露する独特な調子のボーカリング。


 ボーカル以外が歌う音源を収録するバンドは他にもいるかもしれないが、BUMP OF CHICKENの場合、シークレットトラックに限ってはボーカル以外の歌唱力が絶妙な庶民さを保っているため、それだけで独特の手作り感が生まれるのだ。その手作り感を惜しみなく披露することこそが、BUMP OF CHICKENの最大の遊び心となっている。


 この手作り感をもう少し具体的に述べるならば、仲の良い友だちが集まって、打算なんか何も考えずに、遊び心半分で作ったような無邪気さ、と言い換えてもいいかもしれない。


 例えば『ユグドラシル』のシークレットトラック「O-TO-GA-MEはーと」では、ちょっとしたコントから曲が始まり、架空の音楽番組のランキングで、架空のアーティストをいくつも紹介。そんな遊び心しかないような流れの中で「O-TO-GA-MEはーと」を披露する。また、『車輪の唄』のシークレットトラックには「星のアルペジオ」が収録されており、この曲は増川弘明の全力投球の演技を堪能することができる。その空気感は、まるでメンバーのオフショットそのもの。ステージから降りた後の素のBUMP OF CHICKENの顔が、そこにあるように感じるのだ。


 国民的なバンドになると、プレッシャーゆえにバンド内で軋轢が生じたり、どこかピリピリとしたムードが立ち込めたりするという話もよく聞く。そうでなくても、大人の色に染まってしまい、コントロールされた、理想のバンド像のみが流布されるようになってしまうことも少なくない。しかし、少なくともファンの視点から見たとき、BUMP OF CHICKENはそういう空気から距離を置いたバンドのように感じる。いつまでも「幼馴染同士で結成した、少年のような仲良しバンド」でいるように見える。


 つまり、BUMP OF CHICKENが持っている、彼らならではのピュアネスの象徴がシークレットトラックに詰め込まれているのである。ピュアネスを捨てずに成熟していくという、一見すると背反する絶妙なバランスを達成したBUMP OF CHICKENならではの魅力ーー言い換えれば、少年の心を持ったまま大人になったBUMP OF CHICKENの世界観のひとつが凝縮されていると言ってもいいかもしれない。だからこそ、BUMP OF CHICKENのシークレットトラックには、単なるオマケ以上の価値があるのだ。(ロッキン・ライフの中の人)


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