『ボーダー』監督が語る、“ジャンル映画”に挑む理由 「いろんなことを自由に掘り下げられる」

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2019年10月15日 11:51  リアルサウンド

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『ボーダー 二つの世界』メイキング (c)Meta_Spark&Karnfilm_AB_2018

 第71回カンヌ国際映画祭ある視点部門グランプリ受賞作『ボーダー 二つの世界』が10月11日より公開中だ。イラン系デンマーク人の新鋭アリ・アッバシ監督と、『ぼくのエリ 200歳の少女』の原作者としても知られるヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストが原作と共同脚本を手がけた本作は、人並外れた嗅覚を持ちながらも醜い容貌のせいで孤独を強いられるティーナが、ある男との出会いにより、人生を変えるような事件に巻き込まれていく模様を描いたミステリーだ。この独創的な映画はどのように生まれたのか。メガホンを取ったアリ・アッバシ監督に話を聞いた。


参考:『ボーダー 二つの世界』と『ジョーカー』の共通項とは アウトサイダーを描く作品が映し出す現実


ーー原作自体の独創性もあるかもしれませんが、この映画は、多くの人が「今までに観たことがない」と感じるような作品だと思いました。


アリ・アッバシ(以下、アッバシ):「何かユニークなものを、誰も観たことのないものを作ろう」と意識したわけでは全然なくて、今回は幸運なことに「こういう風に作りたい」と思った方向性に沿って作ることができたんだ。作品自体がユニークであるかという判断をするのは僕ではないと思う。ただ、この物語にはいろんな要素があって、例えばカメラマンや美術スタッフに「こういうものを参考に……」と、何か参考にできるものを探すのがものすごく難しかったのは確かだ。でも僕としては、ユニークなものをというよりも、良質なものを作ることの方が大切だった。


ーーあなたはもともと文学に興味があり、「映画は大衆だけのもの」という考えを持っていたそうですね。


アッバシ:文学は、地下室にこもって10年近く物語を書いたとしても、全くお金がかかるわけではないし、負担になるのはその本人だけだ。一方、映画は、多くの人が関わってお金もかかるわけだから、経済的な側面がある。アート系であれ商業的な作品であれ、映画を作るには、その側面と向き合わなければいけない。経済が内容に影響を与えてしまう、そういうメディアだと思う。でも、僕が映画を好きだと思うのは、メディアとしてポテンシャルがあると思っているからなんだ。僕が興味がある感覚や、文学では言葉にしにくいようなものを示唆したり、伝えられるという意味で、映画はものすごく可能性を感じるメディアだと思う。ストーリーテリングも、連想するような形でいろんなことを感じさせるものに興味を持っている。だから、そういう意味では映画がベストなメディアなんだ。


ーーそもそもどのようなきっかけで映画監督になろうと思ったのですか?


アッバシ:僕にとって映画は仕事ではあるけれど、それよりももっと大きなものでもある。何か伝えたいことがあるから映画を作っているわけで、それがなくなってしまったら映画は作らないだろうし、毎年1本何か作らないといけないというものでもない。映画監督になろうとしたきっかけというのは、何か特定の1本があったというわけではなく、少しずつ可能性に気付いていった感じかな。特に、かつては「映画ってこういうものだよね」と自分の中で決めつけていたんだけど、ヨーロッパのアートハウス系の作品を観ている中で、少しずつメディアとしての可能性を感じて、その考え方が間違っていたということに徐々に気付いていった感じかな。


ーールイス・ブニュエルとシャンタル・アケルマンがあなたにとって大きなインスピレーションとなる映画監督だそうですが、同時代の映画監督でそのような存在となりうる人はいますか?


アッバシ:全然同世代ではないけれど、デヴィッド・リンチがやっていることはものすごく好きだよ。あとは、去年のカンヌ国際映画祭で上映されていた『ディアマンティーノ 未知との遭遇』はすごくいいなと思った。完璧な映画というわけではないけれど、いろんな側面を持っている作品で、核のところがとても政治的であるというのが好きなんだ。まぁ、そもそも僕は普段あまり映画を観ないんだけどね(笑)。


ーー今回の作品は原作が短編ということもあり、映画オリジナルの要素もふんだんに盛り込まれています。警察と子供たちの物語の部分は、あなたと共同脚本のイサベッラ・エークルーヴによるものが多かったそうですね。このパートが映画をより独創的なものへと導いているように感じましたが、この物語を映画に盛り込んだ背景について教えてください。


アッバシ:短篇だったものを長編映画にするために、いろんな要素を加えなければならなかったのは君の言う通りだよ。いわば、2つ目、3つ目のギアが必要で、アイデンティティーやラブストーリーとは違う側面で、バランスを取るためにも、もうひとつの違う物語が必要だった。警察と子供たちの物語の部分はそこから生まれた要素なんだ。ラブストーリーの美しい側面に対してのダークな部分、エモーショナルな重みが必要だと思ったんだ。「ティーナのような存在がもし人間界にいたら、きっとこういう仕事をしてるだろうな(笑)」と自然に思ったことだから、そこから生まれたものでもあるね。


ーーイランに生まれ、スウェーデンで育ち、デンマークの映画学校に進んだあなたのバックグラウンドも、本作のストーリーに一定の影響を与えているように感じるのですが、この物語のどういったところにあなた自身とのつながりを持ちましたか?


アッバシ:僕もアウトサイダーであるという経験を人生の中で何度もしているから、当然その側面には共感することができる。ただ、例えばいろんな国に行くことなく同じ場所でずっと育った人でも、同じような体験はするんじゃないかな。確かに僕がいろんな場所に引っ越したり移住したり旅をしたりしたことで、より理解するのに役立った部分はあるけど、一方で普遍的な経験でもあると思う。誰しもがアウトサイダー的な感覚は持ち合わせているものなんだ。僕がプライベートな意味で一番共感できるのは、実はヴォーレなんだ。ヴォーレを演じているエーロ・ミロノフも含めてね。フィンランド人の彼が、デンマークで演じているわけだけど、日本における韓国出身の方と同じように、デンマークでは二級市民扱いなところがあって、言葉にもクセがあり、完全にスウェーデンの言葉を話せるわけでもない。その部分は、僕にも分かるところがあって、気持ちが重なる部分でもあるんだ。


ーーティーナとヴォーレの造形にはものすごくインパクトがあります。この造形は最終的にどのようにして決まったのでしょうか? 何か参考にした作品、意識したものなどがあれば教えてください。


アッバシ:人間の中にあって「これは人間なのか?」と思わせるような異質な感じがして、目立ってしまうような要素を持ちながら、クリーチャーではなく間違いなく人間だと感じさせるレベルが必要だと思った。それで、『フランケンシュタイン』や『ゾンビ』など過去のモンスター映画を観た上で、様々な種類のヒューマンモンスターをリサーチし、それらのロジックや神話の起源を考えたんだ。その結果、たどり着いたのがネアンデルタール人で、『ハッピー・ゴー・ラッキー』『おみおくりの作法』などの作品で知られるイギリス人俳優エディ・マーサンからもインスパイアを受けてるよ。ファンタジーの世界のものからインスピレーションを受けたわけではなく、実際に存在するものからインスピレーションを受けて作っていったものなんだ。


ーー初監督作『Shelley』も本作『ボーダー 二つの世界』も、“ジャンル映画”であることが大きな意味を持っているように感じます。あなたが“ジャンル映画”にこだわる理由はなぜでしょう? 今後の監督作も“ジャンル映画”になっていくのでしょうか?


アッバシ:僕に映画というバックグラウンドがあるわけではないし、商業映画のファンでもないから、映画というものの中で自分の場所を見つけなければならない。その中で、“ジャンル映画”だったら自分の作りたいものが作れるかもしれないと感じているんだ。メインストリームの商業映画の中で、自分の興味を持っている作品ーー例えば実験的で、クレイジーで、シュールな作品ーーを作りたいと言っても、誰も出資してくれないだろうけど、ホラー映画を作りたいと言ったら出資を集めることができるからね。もともとコミックスを読むわけでもないし、いわゆる“ジャンル系”を僕が観ているわけでもないけれど、そのスペースであれば映画を作ることができるかもしれないし、“ジャンル映画”というのは、あるジャンルを設定として伝えることによって、その中でいろんなことを自由に掘り下げることができるというところが魅力だと思う。全ての映画はある意味“ジャンル映画”だと思うし、今政治的なことにすごく興味があるから、その政治的なテーマというものを“ジャンル映画”の中に置くことができれば、次の作品も“ジャンル映画”になると思うよ。(取材・文=宮川翔)


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