鳥越俊太郎 毛筆で書いた手紙で幾度も思いを伝えた「桶川ストーカー殺人事件」を振り返る

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2024年05月11日 21:20  TOKYO FM +

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鳥越俊太郎 毛筆で書いた手紙で幾度も思いを伝えた「桶川ストーカー殺人事件」を振り返る
TOKYO FMの音声配信プラットフォームAuDee(オーディー)の番組「長野智子のテレビなラジオ」(隔週火曜・10時配信)。1985年のフジテレビ入社以降、テレビ業界で活躍してきたフリーアナウンサー・長野智子が、テレビを牽引してきた制作者・出演者をゲストに招き、テレビの過去・現在・未来を語ります。

4月30日(火)の配信では、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんがゲストに登場。ここでは4月30日の模様をお届けします。番組「ザ・スクープ」が立ち上がる際に長野に送った「手紙」にまつわるエピソードを振り返りました。

(左から)パーソナリティの長野智子、鳥越俊太郎さん



1940年、福岡県生まれの鳥越俊太郎さん。京都大学を卒業後、毎日新聞社に入社します。サンデー毎日編集部、外信部テヘラン支局を経て、1988年にサンデー毎日編集長に就任。翌1989年に退社後、テレビ朝日系列の報道ドキュメンタリー番組「ザ・スクープ」のメインキャスターを務めます。同番組でメインキャスターを務めた長野とは、2000年から2012年まで共演しました。

◆長野の「ザ・スクープ」キャスター就任は予想外だった?

長野:とても長いお付き合いというか、私にとっては恩師でもいらっしゃる鳥越俊太郎さんです。

鳥越:よろしくお願いします。恩師というのは大袈裟だと思いますけども(笑)。テレビに関しては長野さんが先輩なんだけど、報道番組については僕のほうが先輩でしたね。

長野:報道番組について、あらゆることすべてを教えていただきましたよ。私はそれまでバラエティ番組をやっていましたが、報道の仕事をするのがずっと夢で。夢が叶い、最初の報道番組が鳥越さんの「ザ・スクープ」でした。

鳥越:そうでしたか。僕は新聞でずっと報道をやっておりましたから、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)をはじめ、全部観ていました(笑)。

長野:ぶっちゃけ、私がパートナーだったのはどうでしたか?

鳥越:最初に聞いたときは、正直ビックリしました。だって、長野智子=ひょうきん族じゃないですか。「報道番組には合わないんじゃないの」って話をしたことがあるんですけど、当時のプロデューサーから「彼女は前から報道番組をやりたいと思っていて、1から勉強したいと考えています。なので、やってみたいのですがどうですか?」と聞かれたんですね。

僕も「それだったら面白いかもしれないね」ということでしたけども、「長野さんには手紙を書きます」とプロデューサーに伝えました。

長野:そうそう(笑)! 脅迫状みたいな圧の強い手紙が来ました(笑)。

鳥越:長い長い手紙を書きましたね(笑)。

◆誠心誠意、気持ちを伝えたいときは手紙を書く

長野:手紙がアメリカに届いたんですよ! 当時私はニューヨークにいて、ちょうど日本に帰る時期でした。ニューヨークに鳥越さんの毛筆で書かれた、一文字が大きい手紙が巻物みたいな状態で来たんです(笑)。私は震えながらそれを持って日本に帰りました。

鳥越:僕はそんなに毛筆で手紙をたくさん書いてきたわけじゃないんですけど、ここ一番って人には書いているんですよ。「桶川ストーカー殺人事件」のときにも手紙を書きました。

長野:桶川ストーカー殺人事件では、猪野詩織さんという犠牲になった方のご両親がマスコミ不信で。鳥越さんはずっと「この事件は警察の対応がおかしい」と言っていたんですね。どうしても取材をしたいという思いで、取材拒否をするご両親に向けて何度も何度も手紙を送ったんですね。

鳥越:それで、弁護士の事務所で会ってもいいという話になりました。放送する前提ではなく、私の気持ちを聞いてください、という話だった。なんとかうまくいけば取材ができるだろうという気持ちもあり、僕はかなり楽天的な人間なものですから、なんとかなるという思いで行ったんです。長野さんについても、周りではお笑いの人だっていう声もあったんですけど、僕はなんとかなるだろうと思っていました。

◆「ザ・スクープ」で守ってほしかった3ヵ条

長野:手紙の内容を簡単に要約すると、「ザ・スクープ」のキャスターとして、これだけはやってくださいという箇条書きがあったんです。「1週間に自分で3本は企画を出すこと」「自分で取材のアポイントメントを取ること」「取材先ではディレクターが書いた言葉ではなく自分で言葉を作ること」と、箇条書きで書いてありました。

鳥越:よく覚えていますねえ(笑)。

長野:「これはえらいことになった」と思いました(笑)。「大丈夫かな、私」と思いながらその手紙を握りしめて日本に帰りました。

鳥越:何ヵ条かあったんだけど、要約するとまず現場に行ってくれと。東京にいて「あーだこーだ」言うんじゃなくて、事件が起きたら事件の現場に行って、現場の人たちの声を聞いてくれと。

そのうえで、新聞やテレビが言っている言葉じゃない、“あなたの言葉”で伝えてくださいと言いました。

長野:そうでしたね。これが私にとって、なんて運がよかったんだろうと思う3ヵ条でした。ただただ東京のスタジオでカッコよくニュース原稿を読むキャスターでスタートしちゃったら、私はこんなに長く報道ができなかったと思います。

あそこで鳥越さんに鍛えられたので、そのおかげで20年報道ができたんだなと思います。最初は鳥越さんのことが本当におっかなかったんですよ(笑)。私が外に行って中継をするときも、私がオタオタしていたら切っちゃうんです。「はい、長野さんどうも」とか言って(笑)。

鳥越:あはは(笑)。フジテレビの長野さんであっても、特別扱いはしないという思いはありましたね。


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<番組情報>
番組名:長野智子のテレビなラジオ
配信日時:隔週火曜・10時配信
パーソナリティ:長野智子

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