日本屈指のオールラウンダー・宮澤夕貴が20カ月ぶりに代表合宿に 五輪金メダルへの「ピース」となるか?

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2024年05月13日 17:01  webスポルティーバ

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 宮澤夕貴が20カ月ぶりに女子バスケ日本代表に戻ってきた。東京オリンピックの銀メダルメンバーだが、2022年のワールドカップを最後に日本代表に招集すらされなくなった。「なぜ?」という悶々とした思いを抱えながらも、Wリーグでは屈指の万能型の選手、チームを16年ぶりのリーグ制覇に導くリーダーとして活躍。そして、パリオリンピックを目前に再び、声がかかった。

 日の丸をつけ、コートに立てば、もう前を向くだけ。12人のロスター入りをかけ、ひたむきにプレーに集中していく。

【『なんで?』と思っても仕方がないが......】

 シーズン後に実行しようとしていた、いわば「お楽しみリスト」のようなものを作っていた。

 リストには8つほどの「やりたいこと」が書かれていたという。それについて聞かれると、コート上では決して見せないような、はにかみと照れの入り混じった表情でこう答えた。

「『ここ行きたい、あそこ行きたい』というリストを作ったんですけど、まずは大分に長い間、(自然を満喫するため)行きたかった。あとはおいしいものを食べに行きたかった......こんなこと言うの、恥ずかしいですけど、あっはっは(笑)」

 大分で数日間を過ごすことは叶ったものの、それ以外の実行は先送りとなってしまった。

 パリオリンピックへ向けての本格始動として5月上旬から始まった日本女子代表チームの第1次合宿に、宮澤夕貴(富士通レッドウェーブ)が名を連ねた。

 2021年の東京オリンピックでは銀メダル獲得という快挙を成し遂げたチームの一員となり、国内のWリーグでも長年トップ選手として広くその実力を知られる30歳だが、約20カ月ぶりの代表活動参加となった。

 大きなケガをしていたわけでもなかった。にもかかわらず、日本代表は宮澤にとって縁遠いものとなってしまった。その理由は、当の宮澤にとってもわからなかった。

「もう、合宿にすら呼ばれなかったので」

 宮澤が、そう話し始める。彼女にあるいは他意はなかったのかもしれないが、聞いている記者たちの間に若干の緊張感が走ったように感じられた。

「自分が辞退したわけじゃなかったので......ヘッドコーチが呼ぶ、呼ばないを自分が『なんで?』とか思っても仕方がないので。もうそこは割り切って、自チームで頑張ろうという気持ちでした」

 宮澤が最後に代表のユニフォームを着たのは、2022年のFIBA女子ワールドカップだった。トム・ホーバスヘッドコーチの下、アシスタントを務めた恩塚亨氏が東京オリンピック後に指揮官に昇格。パリオリンピックでの金メダル獲得へ向け、この大会にも優勝を狙って入った日本代表だったが、ふたを開けるとわずか1勝で予選ラウンド敗退という悲惨な結果に終わった。

 東京オリンピックでチーム2位の1試合平均11.5だった得点はわずか0.4に、1試合平均3.2本決めた3ポイントシュートにいたっては1本も決めることがなかった。

 もっとも、力を出せなかったのは宮澤だけではなかった。このワールドカップ時点の日本代表は恩塚HCの志向するバスケットボールに選手たちの理解と成熟度が伴っておらず、かつ東京オリンピックでの成果によって他国から研究されたこともあって、大半が力を出すことができなかった。

 しかし、そこからチームは再出発を図り、スタイルに改良を重ねるなかで、選手たちがすべきこともより明確化されていった。成果は徐々に表われ始め、今年2月の世界最終予選では、ハンガリーに星を取りこぼし窮地に陥りはしたものの、スペイン、カナダと世界ランキングで上位のチームを破って、恩塚HCの追い求めるものに近い戦いぶりを見せた。

「OQT(世界最終予選)の時はすごく良い動きで、だんだんとチームが出来上がっている感じがありました。最初、自分が(代表に)行った時には恩塚さんがHCになってすぐだったので、チームとしてあまり機能していない時が続いたんですけど、トムさんの時も最初はうまくいかなかったですし、今はだいぶ、チームとしてできてきたのかなという感じですね」

 宮澤は外から代表を見ていての感想を、そう語った。

【気持ちを作ってここに来た】


 ところが、その練度が上がっていく代表チームの構想に、宮澤自身が入ってくることはなかった。長年、日本屈指のオールラウンダーとしてその名を轟かせてきたにもかかわらず、代表候補となることすらなかった。

「なんで選考に入らなかったのかもわからなかった」という宮澤は、もう自身のパリ行きの目はなくなったと思うようになった。だからこそ「お楽しみリスト」を作って、シーズンが終わってから何をしようかと思案していたのだ。

 2023-24年シーズンのWリーグでは富士通のキャプテンとして攻守で八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をし、チームを16年ぶりのリーグ制覇に導くとともに、自身もプレーオフMVPを受賞した。サイズと速さ、精度の高い3ポイントシュートは、「走り勝つシューター軍団」を標榜する恩塚HCのチームにも合っているようにしか思えないほどだ。

 それでも、あるいはパリオリンピックの代表候補に入ってこないのではないか.........リストの発表まで周囲は注視した。

 はたして、「お呼び」は唐突にかかった。招集しても辞退しないかどうかを確認すべく、事前に恩塚HCからは事前の打診があった。1年半以上、音沙汰がなかったのだから、宮澤に複雑な思いがなかったわけではない。

「これ、どこまで言っていいのかわからないんですけど」

 久方ぶりの招集となり、彼女のなかでわだかまりのようなものがなかったのかと問われた宮澤は、苦笑しながらそう述べ、言葉を続けた。

「『そういう期間もあった』というのもあれですけど、人間なのでいろいろ思うこともあるので......でも、だからといって、日本のチームのためにやらないとか、こういうチャンスを自分でつぶすのも違うなと思いましたし、そこはひとりの人としてしっかりやりたかったので話もしっかりしたし、恩塚さんのバスケットに対応できるようにしていこうという気持ちです」

 日本代表は金メダルを目標にパリオリンピックへ臨む。無論、そこへ到達するのに平易な道が待ち受けているはずもない。

 金メダルという目標は、東京オリンピックでも同じだった。手は届かなかったものの、世界の強豪のなかで高さや身体能力で劣る日本が頂を見続けたからこその銀メダル獲得という、世界を驚かせる結果を残した。

 2022年のワールドカップ以降、選考対象とならず、心のなかに澱(おり)のようなものが溜まっていたはずの宮澤だが、日本が自分たちの力を信じ、全員のベクトルが同じ方向に向かなければ、オリンピックの金メダルのような大きな偉業は果たせないことを知っている。

 だから今は、もう迷いはない。

「東京の時も最初は自分がスタートじゃなかった。でも、12人全員が同じ方向に向かって進んでいくことでああいうチームになるので、あの時と気持ちが変わるとかはないです。(合宿に)呼ばれる前は全然、違ったんですけど、呼ばれていざ合宿に参加するとなった時に、そんな気持ちではこの場所に立てないと思いますし、しっかり気持ちを作ってここに来ました」

 やはり東京の銀メダルメンバーで、世界最終予選で自らも代表復帰を果たした馬瓜エブリン(デンソー アイリス)は、宮澤や町田瑠唯(富士通レッドウェーブ)という国内外で経験豊富なベテランが合宿参加をしていることについて「チームが締まる」と話した。

 気がつけば、パリまで2カ月余りに迫っている。金メダルという高い山に再び挑む日本代表のロスター12名に、宮澤の名前は残るか。

【Profile】宮澤夕貴(みやざわ・ゆき)/1993年6月2日生まれ、神奈川県出身。岡津ミニー岡津中―金沢総合高(以上、神奈川)―ENEOS→富士通レッドウェーブ。ポジション:パワーフォワード(PF)、身長:183cm。日本代表としてオリンピックには2016年リオ大会(ベスト8)、2021年東京大会(準優勝)、ワールドカップ(世界選手権)には2014年、18年、22年と2014年以降の世界大会に連続で出場中。今季、Wリーグではチームを16年ぶりの優勝に導き、プレーオフMVPに輝いた。

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