「無限に宇宙があれば、似たような地球もあるはず」理論物理学者・野村泰紀氏に聞く、驚きの最新マルチバース論

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2024年05月23日 12:10  リアルサウンド

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野村泰紀氏と『多元宇宙(マルチバース)論集中講義』 (扶桑社)

 カリフォルニア大学バークレー校教授やバークレー理論物理学センター長を務める理論物理学者、野村泰紀氏。素粒子物理学や量子重力理論、宇宙論を専門とし、「マルチバース(多元宇宙)」や量子力学的な「空間」について日々研究を重ねている。


 そんな野村氏の最新刊が『多元宇宙論集中講義』(扶桑社)だ。なぜ最新の物理学において、宇宙がたくさんあるとする考え方=マルチバース論が有力視されるようになってきたのか。同書では超弦理論やインフレーション理論、ワインバーグの人間原理といったマルチバース論の基礎をなす理論がわかりやすく解説され、まるで野村氏から講義を聞くような感覚を味わうことができる。この取材ではマルチバース論や物理学研究の現状に加え、カルフォルニア大学バークレー校における理論物理の先達でもあるJ・ロバート・オッペンハイマーをどう見るかについても話を聞いた。


「あるべき姿をしていない」という不自然性

――2022年に刊行された『なぜ宇宙は存在するのか はじめての現代宇宙論』(講談社/ブルーバックス)は驚きに満ちた非常に面白い一冊でしたが、当然ながら専門的な部分も大きく、読み進めるには一定の知識が必要でした。他方、今回の『多元宇宙(マルチバース)論集中講義』(扶桑社)は語り口調で、よりわかりやすい一冊です。どんな読者を想定して書かれたのでしょうか。


野村泰紀(以下、野村):おっしゃるように、ブルーバックスの方は基本的にサイエンス領域に深い関心のある人に向けて書いたので、今回はより一般の方に届けばいいなという思いで書きました。ライターさんに入っていただいて、人に話しているような感じに仕上げることができたので、結果的には僕のブルーバックスの本や、最初の本(星海社『マルチバース宇宙論 私たちはなぜ〈この宇宙〉にいるのか』)の良いイントロになるかなと思います。


――21世紀に入ってから約20年間で、宇宙物理学の世界でこれほど大きな転換・進展があったということがまず驚きです。そもそも野村先生が「マルチバース」という主題に取り組むようになったのは、どんな経緯からですか。


野村:僕は素粒子物理学の出身で、素粒子の理論が「あるべき姿をしていない」という不自然性について研究していました。この不自然性を解くために超対称性などさまざまな理論が提案されて、それらの予言する新粒子が実験の精度を上げれば見つかるはずだと言われていた中で、なかなか見つからなかった。特に1990年代の終わりくらいに欧州原子核研究機構にあるLEPという粒子加速器による実験で見つからなかったあたりから、私も含めて「どこかがおかしい」と言い出してきた一団がいたんです。新粒子が「あるべきところにない」という。


 そもそも「真空のエネルギー密度」という問題について、理論の自然な見積もり値に比較してはるかに小さく不自然だということがわかっていました。その説明として「自然界には無数の異なる宇宙が存在する」というマルチバース理論が出てくるわけですが、素粒子についても同じメカニズムで不自然な状態になっているのではないかと。つまり、不自然さを解く必要はないかもしれない――と。実際そういう論文も書いたのですが、最初はリジェクト(不採択)されました。今ではそれなりに引用もされているようですが。


――私たちが全宇宙だと思っていたものは無数にある宇宙のひとつに過ぎず、素粒子の種類や性質も、それを支配する法則も違う。理論上あるべきはずの素粒子がないのも、「この宇宙がそのようにできているから」ということですね。


野村:そうですね。今では有力な説ですが、以前は国際会議で発表すると、議長に「哲学についての発表をありがとう」と揶揄されることもありました。もちろん哲学は重要ですが、それは「科学」ではないと。ただ、例えばドキュメンタリー映画『パーティクル・フィーバー ~人類はヒッグス粒子を見た』において、「超対称性のようなメカニズムがあって、不自然さが解けている」「実はそうではなくてマルチバースで解けている」という議論のなかで先ほど述べた論文が使われましたし、やっぱり分かる人は分かっていた。2000年代半ばくらいから本格的にそういう研究をしていて、「マルチバース」というものを真剣に考えるようになりました。


いろんな宇宙がどんどんと生まれている

――「平行世界/パラレルワールド」というものは一般レベルの知識だと量子力学の理論から導かれ、それがエンタメに応用されているという印象を持っていましたが、野村先生の本を読むと、宇宙自体が無数にあるということですね。


野村:そうですね。『はじめての現代宇宙論』(講談社ブルーバックス)でも今回の『多元宇宙(マルチバース)論集中講義』でも、まずは分かりやすく「いろんな宇宙がどんどん、ポコポコと生まれていて、僕らの宇宙はその泡のひとつだ」と説明しています。実は、最初に書いた『マルチバース宇宙論』はよりマニアックで、最後に自分の仕事についてもしっかり書いています。「量子力学的多世界=パラレルワールド」と「無限に続くマルチバース」は、実は「確率的重ね合わせ」という同じ現象であるという話なのですが、これは完全に受け入れられたわけではない自説なので、今回の本には入っていません。


――今回の本はあくまでマルチバース宇宙論を学ぶにあたっての基礎的なところにフォーカスしているということですね。


野村:「マルチバース」という世界像は20世紀末の宇宙膨張の詳細な観測と最新の理論物理学の発展の自然な帰結であって、科学者の間でも急速に受け入れられてきたとても有力な説ですが、完全に確立したとまでは言えません。とはいえ、今回の本には主に著者の自説が書かれているというわけでもないので、ある程度スタンダードな部分を学べるものになっているだろうと。


空間と感じるものは量子力学の現象のひとつに過ぎない

――野村先生としてはその間にも研究を進めていて、今はもっと別の認識に到達しているということですよね?


野村:いまはマルチバースだけというより、量子力学的に「空間」について考える研究をしています。僕らが空間と感じるものは「量子もつれ」という量子力学の現象のひとつに過ぎないという理論があり、もともと宇宙論から出てきたものではないのですが、宇宙も同じように考えなければいけないのでは、ということを僕も含めていくつかのグループが研究しているんです。例えば、ホログラフィーで宇宙論的な空間、マルチバースの「泡」のひとつをどう描くかということだったり。


――現在の物理学というのは、一般の我々が思う以上に急速に発展していて、多くの優秀な研究者が集まってどんどん進んでいるという状況にあるといえるでしょうか。


野村:そうですね。例えば、20世紀初頭には、量子力学や相対性理論というものが出てきたりと、綺羅星のごとくスターが登場しました。アルベルト・アインシュタイン、ヴェルナー・ハイゼンベルクにエルヴィン・シュレーディンガー。日本の歴史でいうならば戦国時代で、そのようなときにはシステムもガラガラ変わるし、織田信長、武田信玄、上杉謙信のようにぞくぞくと偉人がでてきて、何をやっても新しい。太平の世の中になればみんな知っているのは徳川家康くらいですから、多くの名前が上がるというのはやっぱり物事が大きく進んでいるということなんです。


 いまは20世紀初頭ほどではないかもしれないけど、少なくともいい時代であることは間違いないし、この時代にこの研究ができているというのは非常にラッキーですね。僕もそれなりに役割を果たせたかなというところもあり、自分にできる貢献ができればいいかなと考えています。


――エンターテインメントの世界でも、マルチバースの知見を取り入れた物語が多く作られるようになってきました。このように社会全体に影響が及んでいくことを野村先生はどうご覧になっていますか。


野村:単純にうれしいですね。創作が入るということにいろいろと文句をいうサイエンティストもいますが、それはそうに決まっているでしょう。例えば『スパイダーバース』のようなことが実際に起こるとみんなが誤解するとも思わないし、マルチバースの理論を参照したフィクションをきっかけに科学に興味を持ってくれる方も大勢いる。制作の人たちも話を聞いてくれたりするので、非常にありがたいことです。


――SF的な設定に現実の理論が反映されているという事実にワクワクします。一方で、同じく創作のモチーフになることで言えば、「過去」に行くことは不可能だと書かれていますね。


野村:それも今の理論によればという話ですし、「過去」というものをどう捉えるかによっても変わります。例えば「ちょっと元に戻す」だったらどうか。水が入った容器に赤いインクを垂らすと、徐々に拡散してピンク色になりますね。それが「時間が経つ」ということですが、散らばった赤の分子をものすごい精度で元に戻すことができれば、「過去に戻った」とすることができるかもしれない。本当の意味で自分の過去に戻り、行動を変えて未来を変える……ということは多分できないのですが、言葉の定義によっては実現できることはあるかもしれません。


 事実上不可能ではあっても、「過去に違う行動をしていた」という世界に、記憶を含めてすべて変えることができれば「過去を変えた」ということになるのなら、原理的にはある程度できるということになる。


 このように「過去は変えられるか」のような単純な問いというのは、実はけっこう難しいんです。細かく詰めていくと複雑になりすぎるので「変えられない」と言い切ってしまうんですが、全員の記憶とすべての映像、そこから出た光まで含めて変えたら「過去を変えた」と言っていいのか――というのは専門家でなくても考えられる問いですし、なかなか面白いテーマですね。


――今挙げてくださった例については、「過去が変わったと言える」と考える人が多いかもしれませんね。そうした思考実験というか、さまざまなモデルを考えるのも物理学者の仕事ということでしょうか。


野村:そうですね。ただ、物理学者は「理論」と「実験」に分かれるのですが、3分の2くらいは実験の方で、新しい物質を見つけるなど、地道に役に立つことをやっている人が多いです。理論屋のなかでも9割はもっと直接的に社会に役立つことを研究している人たちですし、僕らはざっくり「3分の1のうちの1割」くらいの変わったタイプですね。


物理学者・オッペンハイマーという人物

――物理学とエンターテインメントというところで、映画『オッペンハイマー』についても伺いたいと考えていました。野村先生がセンター長を務めているバークレー理論物理学センターは、もともとオッペハイマーが設立したということで間違いないでしょうか。


野村:正確にいうと、オッペハイマーはもともとバークレー理論物理のグループを作った人で、センターが正式に発足したのはもっと後なので、「流れを汲んでいる」という表現が正しいと思います。オッペンハイマーの逸話が伝承として脈々と残っている、というほどのことはありませんが、この部屋にいた、というプレートはありますし、ウェブページにもその功績は書かれていますね。


――野村先生は物理学者としてのオッペハイマーをどう評価していますか。


野村:もちろん一級の物理学者で、アメリカではスターになりましたが、興味深いのは、アインシュタインのように物理の世界を根底から変えたような人物ではないことです。しかし、いつも議論の中心にいて、新しいアイデアを実現していった。カリスマ性と影響力があり、その意味ではイーロン・マスクやスティーブ・ジョブズのような人だったんだろうと思います。原爆を作る決定をしたのは彼ではなく、おそらく彼が断っても開発は止まらなかったでしょう。


 ただ、彼の統率力がなければ、あのような限られた時間で原爆ができたかわかりませんし、他の人だったら失敗したかもしれない。その意味で「断らなかったオッペンハイマーにも責任がある」という話になるかもしれませんが、最終的には政治の責任になるべきだと思います。作る能力がある人が決めるのではなく、国民に選ばれた人が決めなければならない。しかし一方で、僕はサイエンティストが結果について完全に無関心でいいとも思いません。つまり、その技術についてどういう影響があり得るか、政治家がわからずに判断してしまうこともあるため、サイエンティストが「やめるべきだ」と声を上げることはあってもいいだろうと思います。


――それが科学者にとっての一つの責任の取り方ということですね。オッペンハイマーは、一定の責任を取ったと考えられるでしょうか。


野村:少なくとも、彼はスーパースターになったのに、原子力の大ボスのように振る舞うことはありませんでしたし、水爆にも反対しました。それで政府から遠ざけられ、セキュリティクリアランスの剥奪という非常に不名誉なことが起こるわけです。もちろん、原爆の開発にあったては功名心や高揚感もあったと思いますが、基本的にはあの難しい時代を必死に生きた、純粋な人だったのだろうと思います。


アイデアが生まれる瞬間

――同作の中で、オッペンハイマー自身の科学的空想を映像として示す場面があり、火花が飛び散ったり、地球が破裂するような表現がされています。クリストファー・ノーラン監督は以前のインタビューで、物理学者の思考実験やひらめきが文学者のそれと通じるところがある、という趣旨の発言をしていました。野村先生はご覧になってどう思われましたか。


野村:映像として表現するのは「ひらめき」だから、ああいうふうになると思うのですが、研究をしていて実際に「あ、これでいいんじゃん!」と気づく瞬間は、だいたい机の前で何かを計算している時ではないんです。例えば、ジョギングをしている時だったり、ベッドで寝る前の時間だったり。ノーベル物理学賞(クォークの世代数を予言する対称性の破れの起源の発見)を受賞した益川敏英さんは、あの研究はお風呂でひらめいたとおっしゃっていましたが、あれは盛っているわけではないと思います。


 脳がこのように動くというのは、脳科学的にも自然らしいです。もちろん、ただボケっとしていて“降りてくる”ようなことはなく、本当に真剣に考え抜いて材料が揃っているという前提ですが、リラックスした時にその材料が無意識に組み替えられ、それがカチッとはまってひらめきになる。僕のようなレベルでも、それは実感しています。


――論文の核になるような部分は、そういうリラックスした瞬間に生まれていると。


野村:そうですね。一方で、論文のアイデア自体は人と話している時に得られることが多いんです。何を調べるべきか分かったら、あとは調べるだけですから仕事は半分終わっているのですが、何が問題で、何が面白いのか、何が分かっていないのか、ということを発見するのが産みの苦しみで。日中はみんなそんな話をしていて、疑問を出し合い、若くて時間があれば翌日には計算した結果を持ち寄って、ああでもない、こうでもないと話し合う。


 90%以上はうまくいかないのですが、そんなことを毎日繰り返して競争しているんです。歳をとるとどうしてもやることが増えてスローになってしまいますが、その分、もう少し大局的に考えることができるので、例えば経験豊富で立場のある羽生善治さんが若くて馬力のある藤井聡太さんとどう勝負するか、という感じに近いかもしれませんね。


世界に影響を与えるような論文は30歳前後で書かれたものが多い

――恐るべき新鋭もどんどん出てきている状況だと。


野村:批判があって消されてしまったのですが、かつてスタンフォードの研究所が出した面白いデータがあって、500回以上引用された論文の著者は、ほとんど35歳までだったんです。益川さんもノーベル賞受賞時は70歳近かったですが、受賞理由は30前後の仕事でした。僕ももう50代ですが、一番引用されているのは29歳の時の論文で、2番目が27歳、3番目が32歳の時に書いたものです。


――野村先生がマルチバースについて熱く議論されていたのも20代後半から30代で、それが今注目されているということですね。


野村:そうですね。一般に圧倒的な知名度を持つノーベル賞を通じて、科学について知るという人が多いと思うのですが、実験で確実に、ぐうの音も出ないほど確認されたものにしか与えられない賞なので、こうしたタイムラグが出るし、宇宙物理学にフォーカスが当たることも少ないのは残念だなと思っています。エドワード・ウィッテンやスティーヴン・ホーキングなどの理論物理学のスーパースターも、ノーベル賞は獲っていない。


 僕も一緒に仕事をしてきたインフレーション理論の第一人者、アラン・グースですら獲っていません。ブラックホールやマルチバースの話は状況証拠は集められても、直接観測にはかなり時間がかかりますし、例えば「宇宙の始まり」を実験で作ってみせることなど不可能で、ホーキングなんて歴史を完全に変えるような仕事をしているのに、ノーベル賞とは縁がなかった。素晴らしい研究者は多くても、僕らの分野はノーベル賞とはあまり関係なくなっています。


――物理学界の熱気を伝える上では疑問が残る選考なのかもしれませんね。また本の中で印象的だったのは、マルチバースはかなり有力な説ではあるが、反証される可能性もゼロではない、と書かれていたことです。


野村:そのこと自体がマルチバースが明確に科学だと言える理由でもあります。例えば、「恐竜など存在せず、化石は実はUFOが作ったんだ!」という話が科学の理論にならないのは、必ずしも突拍子もないからではなく、「原理的に反証できないから」です。「足跡もあるじゃないか」「いや、それもUFOが作ったんだ」というふうに、どこまでも言い返せてしまうので、「神が存在するか」という問題と同じで、サイエンスの理論にはならない。マルチバースについては、例えば宇宙の曲率という論点があり、これいかんによってどんなに理論が綺麗でも反証される可能性があるので、すなわちサイエンスなんです。


量子力学的には、似たような地球も存在する

――宇宙は「10の500乗」あると書かれており、その中には今の私たちと重なる世界線が無数にあるのではないかと考えると、これまでと違う感覚で生きられる気がします。


野村:そうなんです。先ほどパラレルワールドとマルチバースは同じ現象だと申し上げましたが、我々が違うディシジョンをした、ちょっとずつ違う世界や歴史が量子的なパラレルワールドとして存在する、という話はそんなに突拍子もないことではないんです。無限に宇宙があれば、似たような地球もあるはずで、量子力学的にもそれは起こり得るし、おそらくあるのではないかと。


――野村先生が2011年の段階で論文にされ、冒頭にあったように最初の本『マルチバース宇宙論』にも書かれている、「量子的マルチバース」という発展的理論につながるお話ですね。


野村:本では図版も交えて解説していますが、マルチバースを作り出す無数の泡宇宙が生成される過程は量子力学的な確率過程であり、マルチバースは時間が経つにつれて、異なる泡宇宙が異なる場所と時間に生まれた状態の量子力学的重ね合わせ(量子力学的多世界)になっていくという理論です。


 物理学者にとって「無限に続くマルチバース」と「量子力学的多世界」は全く異なるものだと思われていましたが、実は同じ現象の異なる側面に過ぎないと理解できたときには感動しました。僕たちに比べてはるかに大きいスケールで起こった時に「マルチバース」と呼び、小さいスケールで起こった時に「量子力学的多世界」と呼んでいたに過ぎないんです。


――非常に刺激的な話で、先生の本を読んで研究に進みたいと考える若い人が増えるといいですね。


野村:それはもう、著者冥利に尽きます。僕はもう50歳ですから彼らの直接の「ライバル」ではないですし(笑)、若い人が入ってきたら純粋にうれしく、応援したいですね。


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