『不適切にも』ヤンキー女子で注目の若手ナンバーワン俳優、次に薬物中毒を演じた“媚びない”凄みとは

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2024年06月15日 16:20  女子SPA!

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(画像:『不適切にもほどがある!』Instagramより)
『不適切にもほどがある!』(TBS系)の80年代ヤンキー女子高生役で大ブレイクした河合優実はいま注目の若手俳優ナンバーワンだ。主演映画『ナミビアの砂漠』(山中瑶子監督)が第77回カンヌ国際映画祭で批評家連盟賞を受賞したことも追い風になっている。

◆河合とはまるで違う凄み『あんのこと』

トーク番組『僕らの時代』(フジテレビ系)に河合優実が出ていたので、おお、これは見なくてはと録画して臨んだ。面子は青木柚と見上愛という23歳の同世代同士。かつて『僕らの時代』に出たいと話したことがあり、それがかなったことを3人で喜ぶ。若手注目株の3人は前途洋々として、でも決してブイブイいわず、ニュートラルに前向きで、お互いにやさしく、とても清々しい。

ふだんは演技の話をしないという3人が、この番組だからこそと、演技の話に踏み込んだ。

河合優実主演作『あんのこと』(入江悠監督)での彼女の芝居について。見上が、河合演じる杏の河合とはまるで違うとパニックみたいになったと感想を述べる。パニックとはかなりの反応だが、筆者も試写を見て確かに河合のたたずまいに凄みを感じた。

◆実話をもとになっていると知らなかったら、悲劇にもほどがある!

『あんのコト』は、実在の人物とその人物にまつわる事件をもとにした映画で、新聞記事を見たプロデューサーが入江監督に映画化を打診し、記事を書いた記者に取材したうえで脚本を練ったものだ。

主人公・杏は母(河井青葉)と祖母(広岡由里子)、3人での団地暮らし。母は体を売って稼ぎ、祖母は足を悪くして寝たきり。恵まれない環境下で、杏は中学までしか行けず、母と同じく体を売り生活費を稼ぎ、薬物中毒になって荒れた生活を送っていたところ、逮捕される。

担当刑事・多々羅(佐藤二朗)に紹介された自助グループに通うようになったことをきっかけに杏は徐々に自分の生活を建て直していく。多々羅を取材しているという記者・桐野(稲垣吾郎)も加わって、杏は人々の支えによって、実家を出て自立をはじめるまでになる。

だが、未曾有(みぞう)のコロナ禍がはじまり、仕事を失い、多々羅に問題が発生し頼れる人も失ったりと前途は多難。さらに、母から祖母がコロナに感染したかもしれないから家に戻ってほしいと連絡が入り……。

実話がもとになっていると知らなかったら、悲劇にもほどがある!と思ってしまいそうなほど杏の人生は暗い。救いに感じたある部分はフィクションだったとプレスを読んで驚いたくらいだ。

日陰ばかり選んでいたかのような杏が、日なたに足を踏み出そうとする。世界には光と影が必ず存在するけれど、光を選びとることは誰にでもできるはずなのだ。いま、暗闇にいる者は光に向かう希望があるし、いま、暗闇にいないで済んでいる者は、暗闇にいる者に手を差し伸べる配慮をもちたいと映画を見て思う。

◆薬物中毒による虚無感をどう演じたか?

閑話休題。三上愛がいつもの河合と違うと感じたのは、杏が薬物中毒で朦朧(もうろう)となっている姿だった。確かにその虚無感たるや凄いのだ。

『僕らの時代』で三上に、どうやって演じたのかと聞かれた河合は、その人物のことだけ1点集中したというような話をしていた。

映画のプレスシートには「私が杏とハナさん(杏のモデルのかたの名前)を守らなきゃ、と思いました。とてもセンシティブな題材ですし、自分にどこまでできるかはわからない。でも、とにかくまず、モデルになったハナさんと手をつなごうと思った」という河合のコメントが載っている。

河合は、演じるときいつもは、どういうふうに役の道のりをたどろうか考えると、とくに主演をやるようになってから役の道のりや何を伝えるか考えるようになっていたが、杏を演じるときにはそれがなかったのだと番組で語っていた。

この発言の強度を高めるのが、入江監督の言葉だ。河合の印象をプレスシートで彼はこう語っている。

「聡明で、独特の魅力を持っている方だと思っていました。実際に今回初めて一緒に作品に取り組んでみて、浮ついたところが少しもなかった。俳優さんは多かれ少なかれ、演技を通じて自分の見え方をある程度は意識せざるを得ないところがあるものですが、河合さんにはそういった作為をほとんど感じないんですね。ただ目の前の役に対して、ひたすらまっすぐ、誠実に取り組んでいく。この人なら杏という主人公を託してもきっと大丈夫だと、そう感じたのを覚えています」

◆河合優実は他者の気持ちに寄り添える稀有な俳優

“杏の人生を生き返す”という考えで監督やキャスト・スタッフが一丸となったという『あんのこと』はまるで、亡くなった実在の人物の供養のような物語だった。実在の人物をモデルにして、作り手が自分の考えを託したり、現代性と重ね合わせたりするのではなく、その人そのものをできるだけ再現して、こういう人が確かに生きていたことを伝える。

たとえば、直木賞受賞作『悼む人』(天童荒太)という小説は、亡くなった人を知る人からその人の話を聞くことで悼むという行いを続ける行脚のような物語で、『あんのこと』にも似たような真摯な営みを感じた。

監督の力もあるとは思うが、河合優実は自我を捨て、他者の気持ちに寄り添える稀有な俳優なのだと思う。だからこそ『不適切にもほどがある!』の80年代ヤンキー女子という、00年代生まれの河合にはまるで接点のなさそうな役をあれほど見事に演じて、80年代カルチャーを愛した視聴者からも強く支持されたのではないだろうか。

◆媚びない雰囲なのに強烈なパワー

河合優実は、瞳に媚がない。上まぶたに力を入れまくることなく、むしろ伏し目がち。口角もやや下がり気味で愛想笑いもしない印象がある。にもかかわらず多くの人が彼女に引き込まれてしまう。

『不適切〜』では70年代の山口百恵や80年代の中森明菜や原田知世を彷彿(ほうふつ)とさせ、さらに髪型は松田聖子。そういうアイコン全部盛りみたいな役を粛々(しゅくしゅく)と演じる姿もまた、80年代を供養する行為のようにも見えた。

『僕らの時代』によれば、河合優実は、十代のとき、学校で人気者だった(同性に憧れられていた)そうだ。演劇やダンスなどあらゆる催しに率先して参加していたとか。

媚びない雰囲気ながら、彼女に強烈なパワーを感じるのはポテンシャルゆえに違いない。実力や信念があれば媚びる必要はないのだ。純粋に毅然(きぜん)としたところが魅力なのだと思う。

河合優実が大学入学と同時に事務所に所属し、2022年頃、何作か映画に出演したとき、映画ライターたちは一斉に彼女に注目していた。だから『不適切にもほどがある!』でテレビの世界でも注目されたとき映画ライターたちはその評価は当然と思うと同時に、俺たちの河合優実が広い世界に出ていってしまったといささかさみしくも思ったのではないだろうか。

カンヌ映画祭をきっかけに日本のみならず広い世界に飛んでいってしまうかもしれない。

©2023『あんのこと』製作委員会
<文/木俣冬>

【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami
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