【写真】黒柳徹子も輩出! トモエ学園を作った小林宗作
太平洋戦争が近づく昭和12年、東京・自由が丘に開校した「トモエ学園」には、他校で受け入れを断られた子や差別を受けた子、小児麻痺の子など、事情ある子も多く通った。
「どんな子どもも、素晴らしい才能をもっている」。学校を作ったのは、そんな信念をもつ、ひとりの音楽教師だった。校長の小林宗作。かつて、「一斉教授」や「模倣」といった教育方針に絶望し、教師を辞した過去があった。あてもなくヨーロッパに向かい、リトミックに出会った小林。学生たちの自由な表現や自発的な意志が育まれていく教育に感銘を受ける。帰国後、社会からつまはじきにされた子どもと向き合い、力を引き出す新たな学校を設立した。
そこに入学してきたのが、当時小学生の黒柳徹子。落ち着きがないという理由で、別の小学校を退学させられ、心の奥に抱いていたさみしさや疎外感を、伸び伸びとした学校の日常が変えていった。やがて学園にも迫る戦火。しかし、トモエ学園に通った子どもたちは、そこで過ごした日々を胸に、それぞれ大きく羽ばたいていった。ユニークな教育方針を貫いた小林と教師たちの奮闘を、発掘された貴重な資料と証言で振り返る。
黒柳は、「『新プロジェクトX 〜挑戦者たち〜』特別編として、私が小学生のときに入学した『トモエ学園』について、お話をさせていただきました。校長の小林宗作先生が、当時どんな思いで子どもたちと向き合ってきたのか、私がいまも大切にしている言葉や思い出とともに、できる限り皆さんにも伝わればいいなと思っています。先生は、いつどこで私に会っても、『君は本当はいい子なんだよ』ってずっと言い続けてくださいました。どんな時代となっても、すべての子どもたちが取り残されない、一人一人の良い所を見い出してあげる、そんな世界であってほしいと思います」とコメントを寄せた。
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