クレカは「Suica王国」の牙城を崩せるか? 交通系タッチ決済の現在地

1

2024年09月07日 11:01  ITmedia ビジネスオンライン

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

ITmedia ビジネスオンライン

三井住友カードの大西幸彦社長(以下撮影:河嶌太郎)

 日本の公共交通機関では長年、Suicaに代表されるICカードが決済の主役を務めてきた。しかし今、その地位が揺らぎつつある。クレジットカードのタッチ決済が、静かに、しかし確実に浸透を始めているのだ。


【その他の画像】


 この変化をけん引する三井住友カードは、8月27日、東京都内で「stera transitシンポジウム2024」を開催した。同社の大西幸彦社長は基調講演で、公共交通機関向けソリューション「stera transit」の現状と将来像を語り、国土交通省や導入済み事業者らもタッチ決済がもたらすメリットを多角的に解説した。


 当初はインバウンド対応が主目的だったこの動きは、国内の交通課題解決の手段としても注目されている。三井住友カードやVisaが描く未来像は、交通系決済の枠を超え、都市や地域全体のデジタル化、そして人々の移動そのものを変革する可能性を秘めている。Suicaから始まった日本の交通系決済革命は今、第二幕を迎えようとしているのだ。


●「Suica王国」に挑むワケ


 日本の公共交通機関における決済といえば、長らくSuicaをはじめとする交通系ICカードが主流だった。ところが今、その「Suica王国」に新たな挑戦者が現れている。クレジットカードのタッチ決済である。


 三井住友カード社長の大西氏は、このタッチ決済の急速な普及について数字を示した。2024年6月時点で、対面決済に占めるタッチ決済の割合が40%にまで達している。2022年の13%から毎年倍増ペースで普及が進んできた。


 しかし40%は通過点だ。世界全体ではタッチ決済の利用比率は80%に達している。英国では20%を超えたあたりから急速に普及が進んだことを挙げ、「この1〜2年で日本も世界水準に追い付いていく」(大西氏)と自信を見せた。


 これを裏付けるかのように、三井住友カードが2020年7月にスタートした交通系タッチ決済サービス「stera transit」の導入事業者数も急速に拡大している。2023年の120社から、2024年には180社、さらに2025年には230社にまで増加する見込みだ。2025年度末には42都道府県で導入が始まり、全国で利用できる環境が整うとアピールする。


 中でも注目すべきは、大都市圏での展開だろう。2024年は首都圏、関西圏での都市部整備が進み、首都圏では複数の交通事業者にまたがる乗り継ぎにも対応するという。大西氏は「年内には都営地下鉄、メトロ、横浜市営地下鉄で導入を目指している」と語り、2025年には首都圏全体で一気に広がる見通しを示した。


 なぜこれほどまでに交通系タッチ決済が注目を集めているのだろうか。その理由は、当初のインバウンド対応という目的から、より幅広い価値を見いだされるようになってきた点にある。


●インバウンド対応から国内ニーズへ


 交通系タッチ決済の導入は、当初、増加するインバウンド需要への対応が主な目的だった。海外からの観光客にとって、日本独自の交通系ICカードを新たに購入することなく、普段使い慣れたクレジットカードで乗車できる利便性は大きな魅力だ。


 ところが昨今、公共交通事業者はインバウンド対応以外のメリットに目を向け始めている。大西氏によると、最近では地域の交通課題解決の手段としてタッチ決済を導入する例が増えているという。後払いの特徴とクラウドシステムを活用した柔軟な料金設定が可能な点が、魅力の一つだ。


 すでに福岡市や熊本市で導入されている一日乗り放題に加え、「月の上限サービスも開発した。すでに鹿児島市交通局に導入されており、定期よりも幅広いニーズに対応できる」(大西氏)という。特定のカードやサービス利用者向けの割引、オフピーク時の割引など、従来のICカードシステムでは難しかった多様な料金設定も可能になる。


 さらに、マイナンバーカードとの連携も視野に入れている。「高齢者の割引、若年割、住民割など、さまざまな属性に応じた割引にも対応できる」と大西氏。これにより、地域の実情に合わせたきめ細かな料金設定が可能になる。


 加えて、交通乗車と消費サービスの連携も重要な戦略だ。大西氏は「観光施設の入場やホテル、百貨店、行政サービスと連携し、さまざまなサービスをつなげられる」と説明する。これは、単に移動手段としての公共交通機関から、地域の経済活動や生活サービスの中核へと、その役割を拡大させる可能性を示している。


 データ活用の面でも、新たな展開が予定されている。「データダッシュボードを提供し、どんな人がどこで乗ったか、そうした情報を事業者に分析できる環境を提供していく」と大西氏。これにより、交通事業者は利用者がどこから来て、どんな年代で、何に支出しているかといった行動パターンを詳細に把握し、サービス改善や新規事業の立案に活用できるようになる。


 さらに、三井住友カードは「MaaSプラットフォーム」も開発中だ。大西氏は「各社が個別にサービスを提供できるアプリを開発中で、来春には企画チケットなどの販売サービスから順次機能を拡張していく」と述べる。これは、交通系決済を起点として、さまざまな移動サービスを統合し、よりシームレスな移動体験を提供することを目指すものだ。


 こうした多様なメリットが認識されるにつれ、交通系タッチ決済を中心に据えた経営戦略を立てる事業者も現れ始めているという。従来の交通系ICカードでは実現が難しかった柔軟なサービス設計や、データ駆動型の経営判断が可能になることで、公共交通機関の経営そのものを変革する可能性を秘めている。


 このように、交通系タッチ決済の採用理由は、インバウンド対応という当初の目的から大きく広がり、日本の公共交通が抱えるさまざまな課題に対する有力な解決策として認識されるようになってきた。


●Visaの狙い


 公共交通機関へのタッチ決済導入は、Visaにとっても単なる新規市場の開拓以上の意味を持つ。Visaワールドワイドジャパンのシータン・キトニー社長は、「オープンループシステムが大きく成長している」と評価し、「これはパートナーの努力と、タッチ決済の広がりの結果だ」と語る。


 「オープンループシステム」とは、Suicaなどの交通系ICカードのような閉じたシステムではなく、汎用的な決済手段を用いるシステムを指す。つまり、日常的に使用するクレジットカードをそのまま交通機関で利用できる仕組みだ。


 Visaの藤森貴之氏は、交通系タッチ決済導入の効果について興味深いデータを示した。「タッチ決済導入から2年で、対面取引のうち交通機関取引が過半を超えた」というのだ。これは、交通系タッチ決済の習慣性の強さを示している。


 さらに交通系および非交通系のタッチ決済が「お互いを後押しする好循環を作り出している」と指摘する。交通機関でのタッチ決済利用が増えることで、他の場面でのタッチ決済利用も増加し、それがまた交通機関での利用を促すという好循環が生まれているのだ。


 この相乗効果は、Visaにとって重要な意味を持つ。日常的な決済シーンに交通機関が加わることで、クレジットカードの利用頻度が飛躍的に高まる可能性があるからだ。実際、藤森氏は「タッチ決済導入で10%、乗車数が伸びたというデータもある」と述べており、これは単に決済手段が変わっただけでなく、公共交通機関の利用自体を促進する効果があることを示している。


●新たな公共交通の姿


 長らく日本の公共交通の顔であったSuicaの牙城が、今、クレジットカードのタッチ決済によって揺らいでいる。しかし、これは単なる決済手段の交代劇ではない。三井住友カードの「stera transit」に代表される新たなシステムは、柔軟な料金設定やデータ活用、MaaSプラットフォームの構築など、公共交通の経営革新や地域活性化のツールとなる可能性を秘めている。


 しかし、高齢者や子どもなど非カード保有者への対応、複数事業者連携による乗り継ぎへの対応、既存ICカードとの共存など、課題も残されている。日本の公共交通は今、大きな転換点を迎えているのだ。


(金融ジャーナリスト 斎藤健二)



    ランキングトレンド

    前日のランキングへ

    ニュース設定