ギタリスト山本恭司の矜持Part1 盟友新美俊宏さんの早過ぎる死がもたらしたもの

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2024年09月23日 05:01  日刊スポーツ

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14年振りに復活したVOWWOWの山本恭司(撮影・森島興一)

BOWWOWとVOWWOW、WILD FLAGのバンドに加え、ソロでは「弾き語り・弾きまくりギター三昧」や同郷の俳優佐野史郎(69)との「小泉八雲朗読のしらべ」など、さまざま活動を並行して行うギタリスト山本恭司(68)。ファンが待ち望んだVOWWOW(以下Vバウ)復活の裏側と今後を中心に、その原動力を探った。【川田和博】


 ◇  ◇  ◇  


−まずは6月のVバウ公演ですが、復活を望む声はかなりあったと思われます


山本 最後にVバウをやったのが14年ぐらい前(10年12月26日)。僕の中では「また絶対やりたい」と思っていたけど、なかなかね。もしかしたら「このまま本当に伝説のバンドで終わっちゃうんじゃないかな」と、正直思っていました。全国どこへ行っても「Vを再結成してほしい」と言われるけど、「できたらいいね」と、ずっとそれぐらいの返事しかできないでいました。


−それが現実へと進み出したのは新美(俊宏)さんの件も…


山本 そうですね。本当に突然でした。がんで倒れて入院してから2〜3週間で、あっという間に逝ってしまいました。僕とか厚見(玲衣)くんはまだ話ができるうちに会えましたが、(人見)元基とキンさん(佐野賢二)は会えなくて。キンさんに至ってはロビーまで行ったけど、奥さんに「どうしても調子が悪い」と言われ、帰らざるを得なかった。元基も「みんなで」となった時、まだ教職ということがあって抜けられなかった。会えなくなったら、もう本当に会えない。この世からいなくなったらね。ついみんな希望的観測で「いやまだ大丈夫、きっとまだ会えるチャンスはある」って思っちゃう。でも今回のことで、多少の無理をしてでも「会えるうちに会わなきゃいけない」と、本当に身につまされてみんな感じた。「悔いのないように生きるべき」はMCでも言っていることですが、Vバウというバンドが生み出した音楽の素晴らしさは、メンバーも十分承知してるんです。それで今回、新美がきっかけで「またちょっと集まってみようよ」となったんです。


−新美さんが亡くなったタイミングではかなわなかったけど、きっかけではあったわけですね


山本 Vバウがデビュー40周年を迎えるし、「一周忌というかたちでやれたらいいね」ということもあった。その前哨戦というか、去年のクリスマスライブで、これは毎年やっている僕と厚見くんのデュオですが、そこに「元基も呼んでみようか」と。完全シークレットの二部制にして、その二部で元基を登場させたら、喜んで泣く人続出でした。


−勉強不足ですみません。それを全く知りませんでした。その時の様子は


山本 2曲はカバーで、Vバウは「I'VE THROWN IT ALL AWAY」「PAINS OF LOVE」「SHOCK WAVES」のバラード3曲。ドラムもベースもいないんだけど、すごい世界ができた。その演奏が終わってから3人で「とんでもなくすごいね、うちらは。これにドラムとベースが加わったらすごいことになるね」という会話で、笑顔が生まれるほど素晴らしいセッションでした。


−元基さんが定年退職されたのも


山本 まだ臨時講師として教えているみたいですが、自由も効くようになったしね。告知でもアルファベットでGENKIとしか書けなかったのが“人見元基”とちゃんと書けるようになった。学校の手前「あんまり目立ったことはするな」と校長に言われたらしいです。


−それは書いて大丈夫ですか?


山本 いいんじゃないかな(笑い)。公立校だったんで、目立つことはいけなかったのかな。


−今回のベースとドラムはどのようにして決まったのですか


山本 永井(敏己)君は僕のソロでもやってくれて、厚見君ともずっとやっているのでもう文句なし。ドラムは何人かのプロを「ごめんね」って言いながら、オーディションさせてもらいました。結果、岡本(郭男)君になるんだけど、彼とは僕が18歳の時から一緒にやっているから気心は知れているし、頼りがいのあるドラマーです。


−このメンバーで実際に音を出したときは


山本 それはもうですよ(笑い)。決めるべきところはオリジナルを踏襲して抑えてくれているし、遊び心もあって、すごくやりやすかった。この最高の布陣でまたVバウが活動できるんだって。(つづく)

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