『ニッサンR87E』“切り札”グループC専用エンジンの導入も不発【忘れがたき銘車たち】

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2024年09月25日 09:30  AUTOSPORT web

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1987年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権第7戦富士500kmを戦ったNISSAN R87E NICHIRA。星野一義と高橋健二がドライブした。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)やル・マン24時間レースを戦ったグループCカーの『ニッサンR87E』です。

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 ニッサンは1986年までアメリカのエレクトラモーティブが開発した3.0リッターV6ターボのVG30型エンジンをマーチ製シャシーに組み合わせてグループCカーを製作し、レースを戦っていた。

 しかしVG30型搭載マシンは予選でのスピードこそ見せたものの、決勝ではトラブルが起きてリタイアを喫することも多かった。

 またポルシェなどの外国車勢に立ち向かうには、さらなるポテンシャルアップが求められていたこともあり、ニッサンはグループC専用エンジンの開発に着手。そうして誕生したのがVEJ30型という3.0リッターV8ターボのエンジンだった。

 この新しいエンジンのVEJ30にマーチ製の1987年用グループCカーシャシーである87Gと組み合わせて生み出されたのが、今回紹介するニッサンR87Eと呼ばれるモデルだ。

 シャシーのマーチ87Gは、基本的には前年のマーチ86Gの正常進化版であったが、モノコックの剛性を上げ、さらにタイヤを前後16インチからフロントは17インチ、リヤは19インチへとサイズアップ。ブレーキについても大径化が図られていた。

 ニッサンR87Eは、1987年のJSPC開幕戦鈴鹿500kmでレースデビューを果たす。2台目のシャシーが間に合わず、R87Eは1台のみの投入になったこのレースでは、決勝こそトラブルでリタイアとなったものの、予選では2番手とまずまずのスピードを披露した。

 続く第2戦の富士1000kmで、R87Eはポールポジションを獲得する。しかしウエットコンディションとなったなかで、2台のR87Eはワイパーが作動しなくなるトラブルに見舞われ後退。またもレースでのリザルトが残らなかった。

 さらにニッサンにとって二度目の挑戦となったル・マン24時間レースでもエンジンなどにトラブルが連発し、結局2台送り込まれたR87Eは全滅。

 その後のJSPCの残りのレースでもVEJ30を搭載するR87Eは完走もままならぬ状況が続き、シーズンを終えることとなった。

 新たな武器として投入されたVEJ30型エンジンは、サイズが大きくて剛性も低く、公称されていたエンジンパワーを発揮できてなかったこともあり、エンジンの改良は急務だった。

 そこで1987年のシーズン中に改良のためにニッサンにスポーツエンジン開発室が設けられ、室長に林義正氏が抜擢された。

 ここから最強のグループCエンジンと呼ばれたVRH35Z型誕生へのストーリーが始まっていくことになる。ニッサンR87Eに搭載されたVEJ30型の失敗はその序章だったのだ。

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