ビートルズから新しい学校のリーダーズまで! 開館60周年!「ライブハウス武道館」へようこそ!

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2024年10月03日 06:40  週プレNEWS

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数々の伝説的ライブの舞台となってきた日本武道館 写真/mizoula/PIXTA

1964年10月3日に開館し、数々の伝説的ライブの舞台となってきた日本武道館。開館60周年を記念して、1966年のビートルズから2024年の新しい学校のリーダーズまで、「ライブハウス武道館」の歴史を豪華写真で振り返る

【写真】豪華写真で振り返る「ライブハウス武道館」(全11枚)

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■ビートルズに始まる武道館伝説

日本武道館は、そもそも、その名のとおり武道のための施設だ。1964年に東京オリンピックの柔道会場として建設され、その後も柔道や剣道など数々の大会が開催されている。毎年8月15日に行なわれる全国戦没者追悼式など国家的なイベントも多い。

そんな「武道の聖地」が、なぜ日本が誇る「ライブハウス武道館」となったのか?

大きなきっかけになったのが66年に行なわれたビートルズの来日公演だ。前年にオーケストラのコンサートはあったが、ポップミュージックのアーティストとしては初の公演。しかも人気は絶頂期。会場は観客が失神するほどの熱狂に包まれた。

ただ、当時は「ロック=若者の非行を助長する」として反対の声も大きく、厳重な警備体制も敷かれた。ひとつのライブが社会現象を巻き起こし、その後の日本のカルチャーに大きな影響を与えたという意味でも、まさに伝説のライブだった。

70年代に入ると、レッド・ツェッペリンやクイーンなど洋楽ロックバンドの来日公演がたびたび行なわれるようになる。中でもディープ・パープルの『ライヴ・イン・ジャパン』は初めて武道館ライブをアルバムとしてリリースした記念碑的な一枚。ジャケットにも当時の熱狂がうかがえる。

また武道館の名を世界に知らしめたのがチープ・トリックだ。77年のデビュー当初は本国アメリカよりも日本のほうが人気が高かったのだが、初来日公演の模様を収録した78年のライブアルバム『チープ・トリックat 武道館』を機にバンドはブレイク。海外アーティストにとっても憧れの場になった。

ほかにもボブ・ディランやエリック・クラプトンら数々の大物アーティストが来日公演を行なっている。

日本人アーティストによる最初の武道館の単独公演は71年に行なわれたザ・タイガースの解散コンサート。ソロ歌手では75年の西城秀樹が初だ。

ただ、武道館を「ロックの殿堂」に押し上げた象徴的な存在は矢沢永吉だろう。77年には日本人ロックシンガーとして初の武道館ライブを開催。その後にも度重なる公演を行なった矢沢永吉にとって、武道館はホームグラウンドとなった。

昨年には前人未到の通算150回公演を達成し、現在も日本武道館での最多公演記録を更新し続けている。

■「聖地」から「ライブハウス」へ

80年代には、武道館が「アイドルの聖地」にもなる。マイクを置いてステージを降りた80年の山口百恵の引退コンサートはその後もたびたび語り継がれた。82年に初公演を開催した松田聖子は女性歌手としての最多公演記録を保持している。

こうして、8000人から1万人を収容する大規模なコンサート会場としてだけでなく、さまざまな象徴的な意味合いを持つようになった武道館。八角形の形状、屋根の上にある玉ねぎ形の擬宝珠も特徴だが、それを世に広く知らしめたのが爆風スランプ『大きな玉ねぎの下で』。

85年、バンド初の武道館公演を機に作ったこの曲がヒットしたことで「武道館=玉ねぎ」のイメージも広まった。

86年にはBOØWY初の武道館公演で曲の間奏中に発した氷室京介の「ライブハウス武道館へようこそ!」という言葉が名言として広まり、多くのミュージシャンにとって「武道館=目指す憧れの場所」としてのイメージが定着する。

88年には東京ドームがオープンし、BOØWYの解散ライブや美空ひばりの「不死鳥コンサート」など大きな話題を呼んだ公演の数々が行なわれたことで、大規模ライブ会場としての象徴的な意味合いはそちらに譲られることになる。

それでも、90年代にはSMAPやKinKi Kidsがデビュー前に武道館公演を行なったり、00年代には藤井フミヤのカウントダウンライブが年末の恒例となるなど、特別な意味合いを持つ公演の数数が武道館で行なわれてきた。

10年代にはONE OK ROCK、サカナクション、ももいろクローバーZなどが初の武道館公演を開催。若手ロックバンドだけでなくアイドルグループにとっても「登竜門」になった。さらには14年に結成30周年を迎えた怒髪天の初武道館公演が盛況となり、40代以上のベテランバンドによる武道館公演も話題となった。

そのバトンは15年のフラワーカンパニーズ、17年のTHE COLLECTORS、Theピーズに受け渡され、目覚ましいヒットはなくとも地道にライブハウスで活動を続けてきたバンドたちにとって、武道館は長く愛してきてくれた全国のファンや仲間たちとそのキャリアを祝う「晴れの舞台」となった。

■今なお神聖視される特別なステージ

今では首都圏にアリーナ会場も増え、武道館にはかつてのような「到達点」としての意味合いは薄れている。それでも、21年にコロナ禍を経て初の有観客ライブを行なったYOASOBIなど、ここ最近でも象徴的なライブは多い。

今年には新しい学校のリーダーズがブレイクと海外進出を経ての初武道館公演を開催。そのライブでもそうだったのだが、アリーナ中央にセンターステージを組み、360度ぐるりとお客さんに囲まれる形でのパフォーマンスを行なうことができるのも武道館の特色だ。

そうでない通常のステージセットでも客席との距離は近く、ホールとしての使い勝手もいい。かつては「音が悪い」と言われたこともあったが、00年代に高い指向性で遠くまで音を届けることができるラインアレイスピーカーが普及してからは、音響面も大きく改善した。

今年で60周年。武道館はこの先も「ライブの聖地」としてたくさんの特別な瞬間を生んでいくはずだ。

●柴 那典(しば・とものり) 
1976年生まれ、神奈川県出身。音楽やサブカルチャーを中心に幅広く執筆を手がける。単著に『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『平成のヒット曲』(新潮新書)など

取材・文/音楽ジャーナリスト 柴 那典

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