生島ヒロシが服部幸應さん悼む「まさかこんな別れの時が」「そこが知りたい」人気コーナーで共演

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2024年10月05日 23:17  日刊スポーツ

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日刊スポーツ

在りし日の服部幸應さん(左)と生島ヒロシ。服部学園の学園祭の休息中に、若き日に話の長い服部さんのお尻を傘で突いて止めたシーンを再現

料理評論家で服部栄養専門学校(東京都渋谷区)校長の服部幸應(はっとり・ゆきお、本名染谷幸彦=そめや・ゆきひこ)さんが死去したことが5日、分かった。78歳。捜査関係者によると、4日に同専門学校で倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。病死とみられる。


服部さんの急死に40年以上の交友があったフリーアナウンサー生島ヒロシ(73)はショックを隠せないまま、日刊スポーツの取材に応じた。2人は生島がTBSの局アナ時代の1985年(昭60)、同局で始まった情報バラエティー「そこが知りたい」で、2003年(平15)に45歳で亡くなったフリーリポーター薬袋美穂子さんとトリオで人気コーナー「各駅停車路線バスの旅」のリポーターを務めていた。


生島は「今、流行っている『路線バスの旅』の原型になるコーナーで、服部さんといろいろなところに行って、安い旅館の一緒の部屋に泊まった。家族以外では一番、一緒にお風呂に入っています」と振り返った。そして「とても義理堅い方で、服部栄養専門学校の学園祭に40年にわたり、コロナ禍で中断するまで毎年呼んでくれました。先生の話が長くなりすぎるのを、僕が止めるのがお約束でした」と振り返った。


服部さんは77年に31歳の若さで、父親が創立した学校を引き継いだ。


「その頃は借金で取り立てが来たり大変だったと、仲良くなってから話してくれました。それを乗り越えて頑張って、日本一有名な料理学校を作り上げた。『知育』『徳育』『体育』に続いて『食育』を掲げて、食を通じて日本を元気にすることに頑張っていました」と話した。


ここ最近は会うことはなく、電話で近況を報告し合っていた。「3月くらいから体調が思わしくないということだった。足をけがして手術をしなくてはいけなかったけど、嫌がっていた。先月、服部さんと会った人から、声が聞き取りにくくて頬もこけていたと報告を受けて心配していたんですが…。温厚で、つらさを表に出すことのない素晴らしい人でした。まさか、こんな別れの時が来るとはショックです。5歳年上でしたが、我々の世代はいろいろと考えてケアしていかないといけない。とても残念です。ご冥福を祈ります」と話した。【小谷野俊哉】

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