「違う世界も面白い」日本人初ろうの映画主演女優・忍足亜希子語る“にぎやかな家庭生活”「聴者の夫とは一度破局」「娘は言葉より手話を先に覚えてくれた」

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2024年10月06日 11:10  web女性自身

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【前編】「ドラマ・映画に多くのろう者が出演する環境ができてうれしい」日本人初ろうの映画主演女優・忍足亜希子語る「女優を目指した本当の理由」から続く



日本初のろう者の映画主演女優としてデビューした忍足亜希子さん(54)は公開中の映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』で、聴者の息子の育児に奮闘しながら思春期を迎え葛藤することになる、ろうの母親役を演じている。



そんな彼女の愛娘・優希さんも聴者だ。同じく聴者の夫と“ふたつの世界”で暮らす一家3人は、どの世界よりも「家族にぎやか」な日々を送っていた――。



デビュー作の主演映画『アイ・ラヴ・ユー』(99年)で、第54回「毎日映画コンクール」のスポニチグランプリ新人賞を受賞した忍足さん。その2年後には、主演映画第2弾『アイ・ラヴ・フレンズ』(01年)の公開が決まった。



そのとき共演した萩原聖人(53)に誘われて、草野球の試合に行き、紹介されたのが、後に夫となる演劇集団キャラメルボックス所属の俳優・三浦剛さん(49)だった。



「はじめまして。来年、キャラメルボックスの舞台に僕も出ます。よろしくお願いします」



同じ舞台に、忍足さんはゲスト出演することになっていた。それを踏まえての挨拶だったが、なぜか三浦さんはガッチガチ。



《ちゃんと言います。僕の一目ぼれですよ。一瞬で「この人だ」って》(夫婦の共著『我が家は今日もにぎやかです』(アプリスタイル)より。以下《 》内、同)



「あぁ一目ぼれだったんだ。ありがとうって思いました。逆に私は一目ぼれじゃなくてごめんなさい」



忍足さんは当時を思い出し、朗らかに笑った。



翌’02年、神戸公演の休演日に映画に誘われた。忍足さんは軽い気持ちで出かけたが、三浦さんにとっては真剣勝負の初デート。しかし、この交際は6カ月で終焉を迎える。忍足さんがフッたのだ。



「ろう者も聴者も関係ないと思っていましたが、付き合うとなると違います。私はろう者の世界、彼は聴者の世界で違う雰囲気ということをぼんやりと感じていました」



しかし、三浦さんは違った。



《彼女が「聴こえない」ことは全然、壁じゃなかったですね。むしろ、知りたい。(中略)彼女が見えている、聴こえている、感じている世界を知りたい欲望がむちゃくちゃありました》



熱心に手話を学び、ろうについてグイグイ聞いてくる三浦さんの気持ちも熱意も痛いほど伝わってきたが、彼女の心は頑なだった。



「いずれ三浦は飽きる。手話にも飽きて、音の世界へ戻るんじゃないかなって思っていました。ろうの友達で聴者と結婚した人もいますが、結局、離婚した方が多くて。男性がろう者で女性が聴者の場合は続くようですが、逆は難しい」



三浦さんは2度プロポーズして断られ、そこから6年ものブランクに突入する。かろうじてメールだけはつながっていたが、そのメールも届かなくなった。実際は、携帯の機種変更でアドレスが消えただけだが、三浦さんはブロックされたと大ショック。引きずってへこみまくった挙げ句《役者仲間からは外道と呼ばれました》というほど荒れに荒れた。



後でそれを知った忍足さんの反応が面白い。結婚後、三浦さんにあっけらかんと聞いている。



「(私にフラれた後)いったい何人と付き合ったの?」
「外道って手話でどうやるの?」



忍足さんは嫉妬しない。そこがまた三浦さんはとても悔しい。佳い夫婦だ。6年のブランクを経て、再会したとき、忍足さんは38歳になっていた。ブランクの間、三浦さんは手話を忘れるどころか、むしろ上達していた。バンドを組み、ライブで手話ソングを披露するようになっていた。



「お別れしたら、手話も忘れてしまうだろうと思っていたから、本当にビックリです」



この人なら、残りの人生をともに歩める─―。数字にこだわる三浦さん。3度目のプロポーズは’09年3月3日。同年11月11日には、池袋サンシャイン60の59階にあるイタリアンで140人の友人、家族、親戚に祝福され、2人はついに夫婦になった。





■「優希は言葉より先に手話を覚えてくれたんだと思います。とてもうれしかった」



結婚から3年目、’12年3月7日に長女・優希さんが誕生した。41歳での高齢出産だ。分娩中は、医師も助産師、看護師もマスクをするため口元が見えず、ろうの妊産婦は意思の疎通が難しくなる。頼みの三浦さんは出産予定日に名古屋で舞台のリハーサルがあり、立ち会えそうにない。そこで、事前に「息んでください」「息を吸ってください」などと書いたパネルを用意してもらった。



「どんなに痛くても、頑張ってパネルを見るぞ! と、覚悟しましたが、出産が2日早まって、三浦も一緒に分娩室に入れたんです。通訳してもらえて心強かったです」



日常生活には、思わぬところで、ろう者に不便なこともある。たとえばクレジットカード。カードをなくすと電話しかカード会社への連絡手段がなく、困ったことがあった。三浦さんが電話して「本人は声が出ない」と伝えたが、カード会社側は、声が男性で本人確認ができないの一点張りだった。



「救急車も電話です。最近、ろう対応の119番、110番もできたようですが、20代のときに熱中症で運ばれた際、名前や住所を聞かれて困りました」



子育てにも不便はある。今回の映画にも描かれているが、赤ちゃんが泣いていても、ろう者の親が赤ちゃんの見えない場所にいたら泣き声で気づけないという現実だ。



「うちは、優希が泣くとお知らせの黄色いランプがピカピカ点滅する機械をネットで調べて買いました。顔を見れば、おなかがすいたのか、ウンチなのかはわかります。私は手話、三浦は声で話しかけ、どちらも覚えてくれたらいいなと思って育てました」



教えたわけでもないのに、赤ちゃんのときから優希さんは忍足さんをジーッと見た。忍足さんが手を動かすと、その手を追うように見ていたそうだ。生後10カ月のとき、優希さんは離乳食を食べながら自分の頬を軽くたたいた。「おいしい」の手話だった。



「言葉より先に手話を覚えてくれたんだと思います。とてもうれしかったですね」



まもなく2歳というころ、狭い道を一緒に歩いていると、ふいに優希さんが体を寄せてきた。後ろから車が来ていることに気づいて、ママに教えてくれたのだ。



「三浦がいつも『ママは聞こえなくて、車に気づかないことがあるから、助けてあげてね』と言っていたようです」



すくすく育って今年、優希さんは中学1年生になった。映画の主人公と同じコーダだが、映画の少年のような苦悩はないようだ。



三浦・忍足家は音がなくても手話が飛び交い、いつもにぎやか。家族で損保ジャパンの手話通訳サービスのウェブCMにも出演した。



「娘と共演のオファーをいただいたときは『娘もですか?』と驚いて正直、迷うところはありましたが、娘が『やりたい』と言うので。楽しくやっていて安心しました」



優希さんは’21年公開の映画『ある家族』にも、三浦さんと共演したが、両親の仕事に興味があるかどうかは未知数だという。



「『イルカの飼育係になりたい』とも言っています。自由に、いろんな夢を持っています。私は夢が持てなかったから、娘には好きな人生を歩んでほしいと思っています」



優希さんの友達は皆、忍足さんがろう者の女優だと知っている。手話で挨拶もしてくれる。



「私が子どものころは手話をしているとジロジロ見られ、小学生同士でも『耳、聞こえないの?』『声、変だね』といじめられることもありましたが、今は違うようです」



社会の手話の認知度は、ずいぶん変わってきたようだ。



「娘が小学生のとき、クラスで会社をつくる授業があったのですが、娘は手話の会社をつくって手話に興味のある人を集めて教えました。けっこうな人が集まったそうです。



クラスの皆が手話を理解していることに驚きました。『手話って面白い』『カッコいい』と言ってくれます。いま手話は、小学校の教科書に載っているんですよ。時代が変わったと感じています」



’17年、夫婦で手話教室「アイ・ラヴ・サイン」を開校した。



「ろう者の手話を知りたい、生きた手話を学びたいという人から相談されたことがきっかけでした」





■夫から「生まれ変わったら、聞こえていたい?」と聞かれ「翼が欲しい?」と逆質問



私たちがテレビの手話通訳などで見る手話は“日本語対応手話”。名のとおり日本語に対応した聴者にわかりやすい手話で、ろう者が使う“日本手話”とは違うものだ。日本手話は言葉に頼らず、もっと感覚的で個性的。身振り手振り、表情でも伝える。古来ろう者同士で使ってきた生きた手話だ。方言もあれば、若者言葉もある。



「そこで三浦と相談して、ろう者が実際に使う手話を学ぶ教室『アイ・ラヴ・サイン』を始めました。一般の手話教室や講習会に通っても、ろう同士で話す手話がわからない。ろうの友達と話したいという生徒さんが多いですね。“学校で勉強する英語”ではなくて、“生きた英語”を知りたいのと同じことなのだと思います」



夫婦で教える手話教室は、忍足さんがボケで三浦さんがつっこむ夫婦漫才になりがちだ。



「携帯は、ろう者にとって大変便利です」と、忍足さんが話すと、三浦さんがすかさずつっこむ。「そう言うあなた、しょっちゅう携帯、忘れてるじゃん」



実は忍足さんは、ド天然キャラ。夫婦を一言で表せば、超天然マイペースな妻と口うるさくて世話焼きな夫、まさに好対照な夫婦だ。



夫婦で信号待ちをしているときだった。三浦さんが何げなく聞いたことがある。



「生まれ変わったら、聞こえていたい?」



忍足さんは質問で返した。



「三浦さんは翼が欲しい?」
「うん。翼があったら便利だよね」
「じゃあ今、翼がないから不便?」
「不便じゃないよ。だって最初から翼なんてないんだから」
「ろうもそれと同じだよ」



三浦さんは目からウロコが落ちる思いだったという。



「バス、車、バイク。音はそれぞれ違うんですよね。雪や雨、波にも音があるのは、マンガに書いてあるから知っています。雪が降ると『シンシン』、誰もいないと『シーン』と、そういう音がすると思ってた。すると、三浦が『違うよ。音はしない。そういうイメージなんだ』と教えてくれます。



ろう者も聴者も人間。結局は人と人です。以前は、ろう者同士の結婚にこだわったけれど、一緒に暮らして、お互い、いろいろあるかもしれないけれども、支え合いながら生きていくのが夫婦だなぁという思いに変わってきました。同じだからいいんじゃなく、違う2人がいる世界っていうのも面白いんじゃないかなと思います」



映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は上海国際映画祭に正式出品され、さらにはバンクーバー国際映画祭、ロンドン映画祭へも出品された。駅のホームを歩く忍足さんの後ろ姿の存在感、病院で慟哭する声の演技はすさまじい迫力だ。



忍足さんの時が満ちた。羽ばたけ、世界へ!



(取材:栃沢 穣/文:川上典子)

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