社会への反逆者、民衆の代弁者として祭り上げられたジョーカー(ホアキン・フェニックス)。そんな彼の前にリー(レディー・ガガ)という謎めいた女性が現れる。ジョーカーの狂乱はリーへ、そして群衆へと伝播拡散し、世界を巻き込む新たな事件が起こる。ジョーカーの誕生秘話を描き高い評価を得たサスペンスエンターテインメント『ジョーカー』の続編である『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が、10月11日から全国公開された。本作の日本語吹き替え版でハービー検事(ハリー・ローティー)の声を担当した山田裕貴に話を聞いた。
−まず、今回の吹き替えを担当することが決まった瞬間の気持ちから聞かせてください。
すごいな、うれしいなって思いました。選ばれた理由をマネジャーさんに聞いたら、ワーナーの方が「Ultraman:Rising」のアニメーションの吹き替えを見て、聞いて、「この能力があるのであれば、『ジョーカー』もやってもらいたい」と言ってくださったみたいで、そっちの方がうれしかったです。「ジョーカー」に携われるということよりも、そういった声のお仕事をしっかりと聞いて、オファーを頂けたことが、すごくうれしかったです。「ジョーカー」については、普段から「好き」と言っているので、ただ好きという気持ちでの参加だと少し違うなと思っていたのですが、好きだからこそ、ちゃんと声のお仕事を認めていただいた上で、仲間に入れてもらえたのはうれしかったです。
−山田さんは自分の声をどのように思っていますか。
自分では全く思っていないのですが、「特徴がある声だね」とはよく言われます。デビュー作が戦隊ものだったので、1年間アフレコも一緒にやったんです。だから、いろいろと試すことができました。ほかにも何作品か声のお仕事をやらせてもらっていて、いつも気にしているのが、“本物の音”ということです。例えば、芝居くさいせりふの音ではなく、本当にこの人は怒っているんだな、笑っているんだな、泣いているんだなと分かる音。音って結構うそが出やすいと思っていて。それをどれだけ減らせるか、本当に出ている音だと思わせられるかというのを考えます。実写でもそういうことをずっと考えてやってきたので、今のはうそっぽいってすぐに分かりますし、リアルな間とか、話し方とか、テンポは日常生活からも勉強できるので、そういうことは分析してきました。自分の声がどうだったのかというよりも、本物に聞こえるにはどうすればいいのかということをずっと考えながら現場にいます。
−「ジョーカー」の好きなところを教えてください。
少し前まで、「誰も僕を見ていない。存在も知らない」と思っていたことがあって、自分がどれだけ頑張ってお芝居をやっても、見てもらえなかったら、それはないのと一緒じゃないかと悩んだ時期がありました。だから20代の頃は、どうやったらたくさんの人に見てもらえるのかと、考えて生きてきました。でも、少しずつ山田裕貴を知っている人が増えてくると、もちろんうれしいのですが、「少し前まで僕のことなんて知らなかったくせに」って思っちゃって(笑)。そういうジョーカー的な自分もいるんです。もし、そういった感情を自分の中だけで抑え込めずに、そこに共感して、ハマって、他人を攻撃したら、僕もジョーカーと一緒だよなと思ったんです。これはヤバいと。でも、何でなんだろうと考えた時に、それは誰かに愛されたいがためなんです。たくさんの人から愛されたいのに、どうしてこういう人生になっているのだと、自分とジョーカーが重なりました。でもそう思う人がたくさんいたからこそ、前作では共感する人が多かったんだと思います。そこがジョーカーの怖さであり、魅力というか、共感してはいけないのに、「仲間じゃん」と思ってしまうところがハマった理由でした。
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−悔しさが原動力になっていた部分もあると。
はい。悔しさしかなかったですね。ダークサイド側の人間だったので、本当に性格が悪かったです(笑)。だって、当時、「若手俳優が僕だけだったら、全部出演することができるのに」なんて思っていましたし、それに対して友達が本気で注意してくれて考え直したんです。僕が悪いんだって。でもそういったことを、同一世代で同じような境遇で頑張っている人たちに話すと、「いや俺もそうだったよ」という人が多いので、そういった反骨心って大事なんですよ。ただ。それが吉と出るか凶と出るかというのは、外に向くか自分に向けられるかの違いだと思うんです。人のせいにしないというところに行けるかどうかで、自分を変えられるかどうかが決まる。そう考えると、欲深さとか愛されたいという承認欲求とか、いろいろと屈折した部分をジョーカーに乗っけて映画にしているのはすごいと思いました。
−役者として見るとジョーカーに共感できる?
ジョーカーのように思って生きている人たちって結構いると思うんです。何で恵まれないんだとか、なんでこんな人生を生きなきゃいけないんだとか、そうやって不満をどんどんと広げていくと、そういうふうに思っている人たちって、結果ジョーカーになり得る可能性があると思っていて、そういう人って少なくないんじゃないかなって。だから、「ジョーカー」に対して、いろいろと賛否があり、「こうでなきゃいけない。こうなってはいけない」という人たちと、「いや、この気持ちは分かる」という人たちが争う構図になる。そうやって「ジョーカー」って作られていくと思うので、本当に怖い映画だなと思います。でもやっぱり出会いが重要になってきますね。何かあった時に、誰が自分を正してくれるかという。
−最後に観客に向けて一言お願いします。
ジョーカーってこうだよねっていうものがない。いろんな見方ができると思います。だから『ジョーカー2』を見て、誰が何を言っているとかではなくて、みんなが盛り上がって、どう語られていくのかが一番興味深いです。僕が思っていることも正解ではないと思いますし。でも、こうしてジョーカーのことを考えている時点で、もうすでに彼の思うつぼだと思います。それはジョーカーが生き続けているということなので。めちゃくちゃ心のきれいな人たちがこの映画を見たらどう思うのかとかにも興味がありますね。
(取材・文・写真/田中雄二)
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