【WECジェントルマン物語vol.1】走れる実業家のオモテ稼業とは。プライベートジェット250機保有って本当?

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2024年10月17日 07:30  AUTOSPORT web

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木村武史(87号車レクサスRC F LMGT3) 2024年WEC第7戦富士
 WECの最終戦まであと1カ月弱。バーレーンのレースでは、いよいよハイパーカークラスのタイトルが決着するが、それより一足先に、先月の富士戦でGTクラスのドライバーズタイトルが決定した。今年から2クラス制になったことでGTカーの台数も増加。争いは熾烈さを増しているのだが、そこで鍵を握るのが、実はジェントルマンドライバーの面々だ。

 必ずブロンズクラスのドライバーを1人は乗せなければいけないというレギュレーションになっているGTクラスではここ数年、シーズンオフに“速いジェントルマン獲得争い”が起きている。その一方、ジェントルマンドライバーの方々は、もちろんビジネスを成功させているやり手揃い。そこで、今回から3パートに渡って、WECのGTクラスに挑戦しているジェントルマンドライバーの素顔をご紹介しよう。

 初回は、レクサスとアストンマーティン、フェラーリをドライブしている6人だ。

■黄色いポルシェに一目惚れ。ル・マン育ちの国際騎手も

●木村武史
#87 アコーディスASPチーム/レクサス

 昨年からWECにフル参戦している木村。今年は、アコーディスASPチームでレクサスRC F LMGT3の87号車をドライブしている。そんな彼は、子どもの頃から大のクルマ好きで、小学校時代はフォード・マスタングに憧れた。自動車免許を取得すると“男の60回払い(昭和世代には懐かしい)”でニッサンのフェアレディZ(Z32)を購入したのを皮切りに、5台続けてAE86(カローラ・レビン)を乗り継いだ。

 その86で現在の奥様(当時の彼女)とスキー旅行に行った帰り、都内のクルマ屋のショールームに飾ってあった黄色いポルシェ911・カレラRS3.8を偶然目にして一目惚れしたそう。「あのクルマを手に入れられるなら何でもする」と心に誓った。

 どうすれば手に入れられるかと父に相談すると、勧められたのが不動産業。そこで一旦は不動産会社に就職し、ちょうどバブルが弾けた後のことだったが、そこから順調に営業成績を上げて30歳の時に独立、RUFという自身の会社を立ち上げた。

 現在では日本各地で不動産業を展開しているが、ビジネスが軌道に乗る前は軽自動車に乗っていた時期もあったという。会社が軌道に乗り始め、初めてスーパーカーを購入する時には、契約書にサインするのが怖かったというが(怖くてキャンセル経験もあり)、今では数十台の凄いクルマを所有するようになった。

 私生活では、クルマ好きの仲間とジムカーナ大会などを催して遊んでいたが、これがCAR GUYの前身となっている。そのなかで、レーシングドライバーの織戸学と知り合ったことがきっかけとなり、ル・マン出場を勧められて本格的にレースを始めることとなった。

 その後、レーシングチームを立ち上げただけでなく、海外のチャンピオンシップにも果敢に挑戦。今では、奥様もWECとル・マンに情熱を燃やしており、木村がル・マンでクラス優勝する日を夢見ている。

●アーノルド・ロバン
#78 アコーディスASPチーム/レクサス

 木村と同じく、アコーディスASPチームに所属し、レクサスRC F LMGT3の78号車をドライブしているジェントルマンがフランス人のアーノルド・ロバン、40歳。

 12〜13歳の頃、初めてカートに乗ったのだが、その時は余り情熱を持つことができず、20歳になった頃に改めてレースを開始。フォルクスワーゲン・ビートルに似たクルマで競うFUN CUPというのが最初に参加した競技だった。本格的に取り組むようになったのは2020年、35歳の時だったという。

 ELMSヨーロピアン・ル・マン・シリーズにLMP3クラスで参戦開始したのを皮切りに、2021年にはLMP2でELMSとル・マン24時間レースに参戦。2022年はGTワールドチャレンジ・ヨーロッパにアウディで参戦した(パートナーは富田竜一郎)。昨年はELMSとル・マンにGTEクラスのTFスポーツから出場している。

 そんなロバンは、何とル・マン出身。サルト・サーキットから数百メートルという至近距離にある病院で産声を上げた。当然、子どもの頃から24時間レースにも足を運んでおり、ル・マンで3連覇を含む4度の優勝を飾ったフランスの英雄、アンリ・ペスカローロに憧れた。また、彼の父はモータースポーツ好きで、競技にも参加。1980年代後半には、パリ・ダカールにもドライバーとして数回出場したそうだ。

 その父の影響もあり、前述のように12〜13歳でカートを体験したのだが、それとほぼ時を同じくして乗馬も経験。当時の彼は、乗馬に対してさらに強い興味を持ち、熱中したのだった。そこから本格的に競技に取り組み、最終的にはフランス・ナショナル・チームのメンバーにまで上り詰めている。少し時期がズレていたら、今年のパリ・オリンピック代表選手だったかもしれない。“初老フランス”のメンバーとしてヴェルサイユを疾走していたかも知れないのだ。

 さて、そんなロバンの現在の本業は、不動産業。父や叔母、姉とともに、ル・マンにある同族会社で働いている。

●イアン・ジェームス
#27 ハート・オブ・レーシングチーム/アストンマーティン

 ハート・オブ・レーシングチームのアストンマーティン・ヴァンテージAMR GT3をドライブしているジェントルマンが、50歳のイアン・ジェームスだ。ジェームスの人生は、つねにモータースポーツとともにあった。

 イギリス生まれ、イギリス育ちのジェームスは、18歳の頃からジュニア・フォーミュラに参戦。フォーミュラ・ヴォクソール・ジュニアを皮切りに、イギリスF3やフォーミュラ・パーマー・アウディなどにも参戦している。ただし、トップクラスのフォーミュラレースまで到達することはできず、カテゴリーを耐久レースにスイッチ。20代でアメリカに移住した後は、GTカーやプロトタイプを年に数回ドライブして腕を磨いた。

 一方、ドライバーとして活動するとともに、レーシングチームに就職。そこでマネージャーとしてチーム運営のノウハウを学んでいる。そして10年前、自身のチームであるハート・オブ・レーシングを設立。代表としてチームを躍進させようと忙しく仕事をする傍ら、他チームでドライバーとしても活動する。2020年からは、自らのチームでステアリングを握り、IMSAを中心に活動してきた。

 今年のWECにも、チーム代表兼ドライバーとして出場しているジェームス。「50歳だしブロンズドライバーということで楽しんでいるよ」と笑顔を見せる。来年は、アストンマーティンがハイパーカーにデビューする。その運営もハート・オブ・レーシングが担当することになっており、彼はチームプリンシパルという重要な役割をこなすことになるが、引き続きドライバーとしても出場するのか。興味は尽きない。

■各サーキットで顧客と商談。次の舞台へプライベートジェットで移動?

●クレメント・マテウ(クレモン・マテューが正しい発音だそう)
#777 Dステーション・レーシング/アストンマーティン

 ル・マンを除いた今季のWECで、Dステーションの777号車をドライブしているのが、43歳のフランス人、クレモン・マテュー。

 モンペリエ出身のマテューは、16歳の頃、父に連れられて初めてレーシングカートを体験した。当時は父がメカニックを務めてくれ、ふたりはいい時間を過ごしたという。ここでレースに魅了されたマテューは、19歳の時にはル・マンにあるレーシングスクール『ラ・フィリエール』へ。この時、選考に当たったのは、セバスチャン・ブルデーで、彼の推薦でマテューは入学を勝ち取っている。同級生として世界に羽ばたいたのは、シモン・パジェノーだ。

 このラ・フィリエール時代も含め、2002〜2004年までフォーミュラ・ルノーで戦ったマテュー。だが、なかなか好結果が出せなかったため、自身はドライバー活動を一旦停止し、家業を手伝うことになる。

 その家業は、クルマのラッピングフィルムを製造する『ヘクシス』だ。フォーミュラ・ルノー時代、マテューは早々に『ヘクシス・レーシング』を立ち上げており、ドライバーとしての活動を休止した後も、チーム活動は継続。次第に活躍の場を広げ、2011年にはFIA GT1世界選手権にアストンマーティンで出場している。

 その後、チームは2013年に解散を発表したが、マテュー自身は2015年からドライバー活動を10年ぶりに再開。クリオカップやセアトカップを経て、ポルシェ・スーパーカップにも出場し、夢のひとつだったモナコでのレースに出場した。またスパ24時間レースでもアマチュアクラスで優勝。総合でも4位に入るなど着実にステップを踏んできた。

 そして、今年はWECに参戦を開始。ヘクシスには世界中に顧客がいるため、レースのために各国のサーキットへ行くと、マテューに会うために顧客が足を運んでくるという。時には、サーキットで商談を行うこともあるそう。ちなみに、今回の富士大会でもヘクシスの顧客が来場していた。

 マテュー自身は富士に入る前、中国に立ち寄り、そこでも顧客とのミーティングを行ったのだが、それが「レースに向けていい時差調整にもなる」ということだ。そんなマテューにとって、もっとも大きな夢はやはりル・マン24時間レースに出場すること。「いつ、その夢が叶うのかは分からない」というが、これからもチャレンジを続けるという。

●トーマス・フロー
#54 ビスタAFコルセ/フェラーリ

 先月の富士大会で、見事クラス優勝を果たしたのが、ビスタAFコルセの54号車、フェラーリ296 GT3。この車両のジェントルマンドライバーが、64歳のスイス人、トーマス・フローだ。

 チーム名にあるビスタは、フローが経営しているプライベートジェット専門の航空会社。一方、フロー自身は、子どもの頃からモータースポーツ好きで、カートにも乗っていた。12年前まではラリーに参戦しており、その後サーキットレースに転向している。

 ビジネスに関しては、大学を出た後、シカゴをベースとするPCや関連機器のリース業を営むコムディスコに就職。その後、同社欧州部門のトップ、さらに同社の全世界金融部門のトップを務めた。最終的には、コムディスコの欧州事業のほとんどを買収し、現在も経営を行なっている。

 その傍ら、2003年には最初のボンバルディア機を購入し、1機でビスタ・ジェットを立ち上げた。そこからビジネスを広げて、現在では250機ものプライベートジェットを持ち、全世界に顧客を抱えている。もちろん日本にも多くの顧客がいるため、同社のウェブサイトには日本語表示も。ヴィスタが持っているもっとも大きい機体はボンバルディエのグローバル7500ということで、15時間までのフライトが可能。

 なので、日本から米国やヨーロッパにも飛べるのだ。そんなわけで、日々仕事にも多くの時間を取られるフローだが、レースでの速さを維持するために、ほぼ毎朝、専属トレーナーとともに数時間のフィットネスを行なっているという。

 耐久レースで大切なのは安定性。98%の力で長く走り続けられる身体作りを目指しているのだ。そして、フィットネス後は、仕事に没頭。たまに息抜きとして楽しむのが趣味の料理だと言う。得意なのはイタリアン。一度ご相伴にあずかりたいものだ。

●フランソワ・エリオ
#55 ビスタAFコルセ/フェラーリ

 先月の富士大会、予選で見事クラスPPを奪ったのが、ビスタAFコルセが走らせるフェラーリ296 GT3の55号車。そのステアリングを握ったのが41歳のフランス人、フランソワ・エリオだ。

 エリオは、ブルターニュ地方のレンヌ出身ということで、子どもの頃からル・マン24時間レースを現場で観戦しており、最初に憧れたクルマはマクラーレンF1 GTRだった(今ドライブしているのはフェラーリだが)。

 ただ、プロのレーシングドライバーになるのは実現不可能な夢だろうと思い、18歳まではサッカーに熱中。父がカートに乗るなど若い頃からレース好きだったということで、その影響を受け、自身もサッカーを辞めた後にはレーシングカートを始めた。26歳の時にはレースにも参戦を開始。最初は友人が中古車のパーツを寄せ集めて作ったレーシングカーをテストし、結果が良かったため、そのクルマでフランスのFUNYOという選手権に参戦した。

 その活動を数年続けた後、LMP3クラスでELMSにステップアップして4年間参戦。さらに、LMP2クラスにステップアップを果たし、ELMSに2年間出場している。昨年はIMSAにも活動の場を広げた。そして、プロトタイプから、今年はGT3にスイッチ。WECにフル参戦を果たした。

 そんなエリオの職業は、祖父が創立した『カーラック・ミネラルズ』という会社の社長。31歳の時には父から経営を引き継ぎ、運営している。この会社は、歴史的建造物の屋根葺きプロジェクトの需要に応えることから事業を開始。世界に7つの生産拠点があり、屋根葺き、防水、マルチング、材料充填用の100種類以上の鉱物製品を提供している。

 近日公開の次回は、WECフルシーズンデビューイヤーを戦う日本人の小泉洋史や、中東オマーン出身で、今季はバレンティーノ・ロッシの相棒を務めるアハマド・アル・ハーティなど、シボレー/BMW/ランボルギーニに乗る6人をお届けする予定だ。

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