AKB48 17期生水島美結(みゆう)「救急救命士の学校へ行くことが決まっていたのですが、夢だったAKB48に挑戦しました」【連載 なんで令和にAKB48?】

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2024年10月17日 15:20  週プレNEWS

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AKB48 17期生の水島美結

2005年(平成17年)12月8日に秋葉原で産声を上げたAKB48。前田敦子、高橋みなみ、小嶋陽菜、篠田麻里子、大島優子、指原莉乃ら数々のスターを生み出し、誰もが知る国民的アイドルグループとなった。

あれから十数年、元号は令和に変わり、また新たなスター候補生が続々と加入している。当時とは異なる状況で、彼女たちは何を思いAKB48になろうとしたのか? どこを目指すのか? フレッシュメンバーの魅力を深掘りインタビューでお届けです!

第13回は北海道出身、17期生の水島美結(みずしま・みゆう)。真面目に取り組む姿勢やパフォーマンスが評価され、AKB48の選抜メンバーとして活躍中。前編はAKB48に入るまで、スポーツ少女だった学生時代や、オーディションの話などを語ってもらいました。

【写真】水島美結のグラビア

■小さい頃からずっと泣き虫なんです

――子供時代はどんなコでした?

水島 人見知りが激しくて、どんな時もお母さんかお姉ちゃんの後ろに隠れていました。でも仲良くなると大声で話したり、歌を歌ったり。

――お姉さんとの関係はどんな感じ?

水島 3つ違いで、小学校まではいつも一緒に遊んで、手を引っ張って歩いてくれたんですけど、中学校に入ると思春期で全然話さなくなって。でも今はすごく友達みたいで、何でも話せる仲です。

――北海道出身なんですよね。

水島 そうなんです。結構山のほうでした。海も近くて自然の中で育ちました。幼稚園が山の中にあったので、木の実を拾って遊んだり、あとは鬼ごっことか、鉄棒をしたり、活発なタイプだったと思います。あとは習い事で2歳からバトントワリングをやっていました。

――2歳って早いですね。

水島 お母さんとお姉ちゃんがやっていたので、いつも近くにバトンが転がっていて、気づいたら私も始めていました。厳しいところだったので、ビシバシ指導されてましたね。

――大会とかにも出たり?

水島 個人戦ではあまり結果を残してないんですけど、団体では小学校3、4年ぐらいで北海道3位とか。そこでチームリーダーをやってました。

ーーすごい! でも人見知りだったのに、リーダーだったんですね。

水島 責任感が強くて、意見も言えるタイプだったんです。リーダーに選ばれたことが嬉しくて、頑張ろうって気持ちで引っ張ってました。

――小学校はどんな感じだったんですか?

水島 人見知りを克服し始めていて。友達とはすっごい活発に遊ぶけど、先生には人見知りしたりとか。人によって人見知りが出たり出なかったり。

――委員会とかやってました?

水島 お姉ちゃんが放送委員会をやっていたので、憧れて私もなりました。お昼に給食の献立を発表したり、曲をかけるんですけど、私は水曜でクラシック担当。でも全然詳しくないし、CDを見ても英語がわからないので、適当にかけてました(笑)。

あとは生活委員もやってました。朝早く学校に来て挨拶したり、みんながハンカチやティッシュを持ってるか調べたりするんです。

――大変そう。

水島 でも他の委員会に比べたら楽でした。体育委員とかみんなの前で体操をしなきゃいけないんですけど、そういうのが恥ずかしくて。生活委員で点検してる方がいいなって。

――あまり前に出れないタイプだ。

水島 先生にこの問題わかる人って言われて、前に出たい気持ちもあって、手をあげるんですけど、当てられていざ発表ってなったら緊張して泣いちゃう(笑)。

――泣いちゃうの!?

水島 ずっと泣き虫で今もそうです。嬉しいとか悲しいはもちろん、怒った時も泣いちゃうし、全部が涙になる感じです。でも次の日は収まっていて、周りの人はたくさん振り回されただろうなって思います。いろんな感情を爆発させて、迷惑な子供。お母さんに「いつ反抗期だった?」って聞いたら、「生まれてからずっと反抗期だよ」って。まだ終わってないみたいです(笑)。

――中学はどんな感じだったんですか?

水島 人見知りがなくなって、みんなに話しかけるようになりました。友達をたくさん作りたくて、クラスが違うコにも積極的に話しかけに行って、同級生で話したことないコはひとりもいないです。

――すごいコミュニケーション能力! でも、そんなに話すことありますか?

水島 勉強が得意なコとは勉強の話だったり、みんなに学校が楽しいって思ってもらいたいなって。

――それはもう校長先生の発想ですよ!

水島 確かに。

――もしかして生徒会長ですか?

水島 でも自分から手を上げてクラスの代表委員をやってました。中学校は本当に厳しくて、移動教室は整列して、ひと言も話さず移動しなきゃいけなくて、話している人を注意したりとか。

――部活は何をやってたんですか?

水島 陸上部でした。バトントワリングをやっていたから、入らないつもりだったんですけど、陸上部の顧問の先生が私の100メートル走の記録を見て、来ないかって。あまり活動できないかもしれないですって言ったんですけど、それでもいいから来てほしいと。

――足が速かったんですね。

水島 50メートル走は7秒台でした。女のコだったら学年で4番目とか。陸上部に入って、100メートルと、4×100メートルリレーをやってました。でも逆に長距離が苦手で、800メートルを走ったら過呼吸になるぐらい。

――でも先生からスカウトってすごいですよね。

水島 同じ学年で陸上部はひとりしかいなかったんですよ。たぶん廃部になっちゃうから声がかかったと思うんですけど、私が楽しいってみんなに話していたら、いろんなコが入ってくれて最終的に7人ぐらいになりました。

――廃部の危機を救ったんですね。大会とかはどうだったんですか?

水島 バトンをやっていたから、あまり出れなかったんですけど、リレーでは全道大会の準決勝まで行きました。

――すごい! ちなみにお勉強はどうだったんですか。

水島 中学校では下から数えた方が早いぐらいでした。勉強自体は嫌いじゃなくて、やってるんですけど、あまりできなかったです。ノートを書き写すけど、全然頭に入ってこなくて、たぶん勉強の仕方が悪かったのかなって思います。

――高校は何をやってたんですか?

水島 バトンを続けながら、最初はマネージャーとして陸上部に入ったんですけど、やっぱり走りたいなって選手に転向しました。

――バイトは何かしてました?

水島 学校で禁止されていたんですけど、長期休みの時だけはOKで、「銀のさら」さんで働いてました。軍艦を巻いたりできます。シャリはできあがってるので、そこに海苔を巻いて、グラム数を測ってネタをのせて。

――それは寿司が握れるとは違うかもですけど。

■最終オーディションは仲の良い友達が一緒に東京へ来てくれました

――AKB48との出会いを聞きたいのですが。

水島 小学校1年生ぐらいの時に、近所のお友達がAKB48の生写真を持ってきてくれたんです。そこで小嶋陽菜さんを見つけて可愛いって。お顔が本当にきれいで、ふわふわしながらもちゃんと芯があって、性格もすごいタイプ。本当に好きでした。そこから渡辺麻衣さんや柏木由紀さんも好きになって、けっこうDD(誰でも大好き)みたいな感じでしたね。CDを買って、選抜総選挙で島崎遥香さんに投票したこともあります。

――オーディションはどうして受けようと思ったんですか?

水島 小学校ぐらいからずっと受けたくて、親に相談したんですけど、北海道だから無理だよって。札幌に48グループができたらいいよって。

でも高3の夏になって、進路を決めるタイミングで、17期生オーディションが発表されたんです。お母さんからも受からないだろうけど、受けてみればみたいな感じになって。

ーーAKB48じゃなかったら、どんな進路の予定だったんですか?

水島 札幌の救急救命士の学校に進学することが決まっていました。自分が中学生の頃に高熱で倒れたことがあって、その時に来てくださった女性の救急救命士さんがかっこよくて、自分も人を助ける仕事をしてみたいなって。

――進路が決まっていたのに、AKB48を受けたんだ。

水島 アイドルになりたいって夢をずっと諦められなくて、今しかチャンスはないと思って受けました。

――最初で最後のチャンスですね。オーディションに向けてやったことは?

水島 歌の練習をしました。あんまり慣れ親しんでこなかったので、カラオケに行ったりとか。ダンスはバトンをやっていたので、大丈夫かなと。

――オーディションで覚えてることはありますか?

水島 話したら落とされると思って、誰とも話さなかったです。私語は慎んだほうがいいかなって。あとは緊張すると一点集中みたいになっちゃうタイプなので、ダンス審査の前とか端っこでずっとひとりで練習してました。

――じゃあ同期からも覚えられていない?

水島 でも前髪がなかったのが、私ひとりだけで、それで覚えられてました。あとは歌の審査で泣いてたよねって。

――自分で泣き虫って言ってましたもんね。

水島 もうずっとでした。オンライン審査でも涙目とか、審査した方に私の印象を聞いたら、泣いてるイメージだったって。でも、涙が合格させてくれたのかもしれないです(笑)。

あと最終オーディションで歌もダンスもトップバッターだったんですよ。エントリーナンバーが101番で、その前にもいると思ったら、私が最初で、みんなの基準になるから嫌だなと。

――東京でやった最終審査は誰と行ったんですか?

水島 それまで東京どころか、飛行機も乗ったことがなくて。お母さんに話したら、ついては行けないけど、ひとりでは絶対に行かせられない。諦めるか、他の選択肢を考えるかにしなさいって。どうしようと思って、仲の良い友達に相談したら、一緒についていってあげるよって。それで3人で東京へ行きました。

――素敵な友達ですね。

水島 一緒に行ってくれなかったら最終オーディションは受けられなくて。ふたりがいなかったら、今ここにいなかったので、感謝の気持ちでいっぱいです。

――その場で合格発表があったじゃないですか。友達にはどう伝えたんですか?

水島 私たちの時は仮合格で、まだわからないみたいな感じだったんですけど、すごい喜んでくれて、『恋するフォーチュンクッキー』を踊ってくれました。

――ノリがいいですね。親はどんな反応でしたか?

水島 「本当に大丈夫?」って。専門学校の費用も払ってくれていて、安定した道に進んでほしい感じだったんですけど、最終的には「美結の人生だから自分で決めなさい」って言ってくれて。AKB48の道へ進むことになりました。(後編に続く)

【連載「なんで令和にAKB48?」は木曜日更新。ファンとの関係性や選抜メンバーとしての覚悟を語る後編は10月24日公開!】

●AKB48
2005年(平成17年)12月8日、秋葉原のAKB48劇場で1期生お披露目。
2022年(令和4年)5月4日に17期生、2023年4月9日に18期生、2024年3月17日に19期生がデビュー。
AKB48 64thシングル『恋 詰んじゃった』が絶賛発売中! 「AKB48劇場工事中出張公演」開催中!! 最新情報は公式ホームページをチェック

●水島美結(みずしま・みゆう)
2003年11月12日生まれ 北海道出身
身長157cm 血液型=A型
Nickname=みずみん
公式X【@miyuu_mizushima】
公式Instagram【@17_miyuu_1112】

取材・文/関根弘康 撮影/篠田直人

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