結成50周年「紙ふうせん」最大のピンチ阪神・淡路大震災「人間が作ったものは壊れる」/連載5

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2024年10月19日 05:00  日刊スポーツ

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笑顔で写真に納まる夫婦デュオ「紙ふうせん」の後藤悦治郎(左)と平山泰代(撮影・江口和貴)

「冬が来る前に」などで知られる美しい歌声の夫婦フォークデュオ、紙ふうせんが11月8日に東京・南青山マンダラで、デビュー50周年記念ライブ「紙ふうせん in MANDALA〜懐かしい未来〜」を開催する。結婚50周年、金婚式を迎えた後藤悦治郎(78)と平山泰代(77)に、その軌跡を聞いた。【小谷野俊哉】


◇◇  ◇◇


1974年(昭49)9月の結成から50年間。最大のピンチは、1995年(平7)1月の阪神・淡路大震災の時だった。


後藤「仕事がキャンセル、または延期やね。住んでる西宮のマンション自体は全然大丈夫だったんですけどね」


平山「でも、部屋の中はむちゃくちゃで、グランドピアノを置いてたのが、いっぺん持ち上がって横揺れして、部屋の壁に穴を開けた。あと、食器も全部ダメになりました。それとライフラインが、全部ダメに。交通手段もダメだし、ガスと水道が7月ぐらいまで復旧しなかった。ただ、電気だけは早かったです」


後藤「ただ、仕事はキャンセルになったけど、かえって家族の絆が深まったんですね。やっぱり共同で知恵を絞り合って、明日どうする、と。電気は来てるけど、ガスないけど、どうしたらご飯が炊けるのかとか。そういうことの知恵を出し合うことによって、やっぱり家族の絆が深まりましたね。息子が今、48歳。その頃は高校生かな」


震災後は、被災した現場に行ってボランティアで歌った。


後藤「震災の1週間、10日、もっと後ですかね。テレビ局なんかのロケで現場に行くと、壊れた家でも家の人が玄関口に張り紙してるんですね。私は元気です。どこどこに今います。そういうのをテレビのロケで映しに行って、その近くに住んでらっしゃる方がいてたら、お話をうかがうとか。それからボランティアで神社とか大学の校庭とか、そういうところで歌って生活していきましたね。その影響は、1年は続きましたね」


阪神・淡路大震災を経験したことで、生き方が変わった。


後藤「僕なんか、音楽に直接は影響はなかったけれど、震災というのは自分のなんか、それ以後の暮らし方というのかな。要するに、人間が作ったものはすぐ壊れるということを学んだ。水と食い物をやっぱりね、常に確保できるように友達をいっぱい作ろうよと。お互いがその時すぐ助けられるように。からそういう友達を大事にして、友達をたくさん作ろうというのが50歳になる直前、努力しながらやりましたね。震災の後は、今からとりあえずいろんな人に謝ろうかなと。なんか、そばを植える畑を探したりね。だから減反で水を抜いて3年以上たっている田んぼに、そばを植えるんですよ。そういうところの人とつながって、そばを植えさせてくださいって。刈り入れに行って、その土地のそばつゆの作り方とかを教えてもらったり。10年ぐらいずっと、それ続けましたね。震災の前はそんなこと全然。やっぱり水と食べ物なんですよ。それには友達が必要だと、年を取ってくるとね」


(続く)


◆紙(かみ)ふうせん 後藤悦治郎(ごとう・えつじろう)は1946年(昭21)4月29日、兵庫県尼崎市生まれ。京都外大卒。平山泰代(ひらやま・やすよ)は47年3月28日、広島市生まれ。武庫川女大卒。兵庫県立尼崎北高の同級生。69年に5人組フォークグループ、赤い鳥を結成。71年に「竹田の子守唄」「翼をください」がヒット。74年5月に結婚。同年9月の解散後、2人で「紙ふうせん」結成。77年11月リリースの「冬が来る前に」がミリオンヒット。

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