現役引退のロッテ・井上晴哉が明かす二軍戦でフライアウトもにこやかだったワケ

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2024年11月01日 10:12  ベースボールキング

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秋季練習中の10月30日に挨拶に訪れた井上晴哉氏(撮影=岩下雄太)
 今季限りでの現役引退を発表したロッテ・井上晴哉は、18年と19年に2年連続24本塁打を放つなど、プロ通算76本の本塁打を放った。

 20年にも15本塁打を放ったが、21年以降は故障に泣き21年が1本塁打、22年は9月に月間4本塁打を放つなどシーズン7本塁打と復活の兆しを見せたが、23年が1本塁打、そして今季は一軍出場がなかった。

 24年の春季キャンプでは「やっぱりタイミングが遅れるのが怖い。ちょっと小さめに取れる。すぐに右足に溜められるスタンスといったら、ちょっと小さくなりました。若い時は何も考えなくても良かったけど、自然とワンテンポ、あ〜なんか遅れたなとかというのが目立ってきた」と話し、23年の夏以降は左足を小さくしてタイミングを取っていたが、「それを通常にしようかなと。小さくしてゆっくり取れるようにしようかなと」と明かしていた。

 シーズンが始まってからのファームの映像を見ても、左足のタイミングの取り方がさらに小さくなっていたり、左足を大きく上げたりと試行錯誤しているように見えた。

 引退の挨拶にZOZOマリンスタジアムに訪れた10月30日に、シーズン通してタイミングの取り方はどうだったのか確認すると、「結局、まちまちになってたし、思いっきりさもなくなってきた。そもそもタイミングがあっていても、自分の思ったタイミングで振れない。タイミングがあっていても、振る時にちょっとワンクッション何かがある。迷いとかもあっただろうし、体もそうだろうし、目もそうかもしれないですけど、いろんなところがズレてきたなというのがありました」と、タイミングの部分で苦労していたようだ。

 現役時代こだわってきた“右方向の長打”に関しては「自然に出る方向なんですよね、僕の調子が良い時はね。ライトに打てている時は安心して見てもらっていたと思いますし、プロ生活の後半は右方向がちょっとでなくなってきたというのが間違いないですね。あれが、あっ悲しいなみたいな感じがしますね」と、徐々に自分らしいバッティングができなくなってきていることを実感していた。

 そんな中で、気になったことがあった。9月10日の鎌スタで行われた日本ハムとの二軍戦。井上は2−0の7回一死一塁で代打で登場し、日本ハム・河野竜生が投じた初球が暴投となり一塁走者が二塁に進み、1ボール2ストライクからの4球目の147キロストレートを打ちにいくもレフトフライ。打ち取られた後、ベンチに戻る表情が悔しさというよりも、どこかにこやかだった。

 井上は「自分の中で捉えたというのがあったし、それもそれで今できる精一杯がこれかなという。最後はでも、楽しかったですよ」と明かした。現役最終盤は、今のプロのレベルはこういうものだということをロッテの若手野手陣から教えてもらっていたという。そういった部分を踏まえ、「(鎌スタの試合も)結構最後らへんでしょう。若い子達に教えてもらっている時点だから、見てね。聞いたわけじゃなくて、感じて教えてもらった。やっぱり(打球が)伸びないな見たいなのはありました」と振り返った。

 「100打ちたかったです、それだけです」。井上は、「個人的にそういうレベルじゃないと思ったから、引こうという感じです」と、安田尚憲、山口航輝、山本大斗といった若手の大砲たちに、通算100本塁打、シーズン20本塁打という目標を託した。山口は「(井上)晴哉さんの数(24本)を超えられるようにやっていきたいと思うし、それくらい打たないとロッテの外野のレギュラー争いはどこの球団よりも激しいと思うので、そこで生きてくためには自分の長所を磨いて長打力で勝負していかないといけない」と力強く意気込んだ。若手の成長に期待し、“幕張のアジャ”の愛称で親しまれた背番号44は静かにバットを置いた。

取材・文=岩下雄太

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