佐久間宣行が注目する若手作家・小原晩対談 話題作『これが生活なのかしらん』と「創作」について

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2024年11月01日 18:01  リアルサウンド

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佐久間宣行(写真左)は小原晩(写真右)の才能を高く評価する

  現在話題となっているエッセイがある。小原晩の『これが生活なのかしらん』(大和書房)だ。小原氏が自らインディー出版として発行した『ここで唐揚げを食べないでください』が独立系書店や読者家たちの口コミによって話題を集め、1万部を超えるヒットとなり、ついで発表された本作も話題を集めて、重版につぐ重版で着実に部数を伸ばしている。 そんな小原氏の2冊の書籍に注目しているのが佐久間宣行氏だ。


  佐久間宣行のYouTubeチャンネル「NOBROCK TV」や自身のXでも小原氏の書籍を紹介。その才能を高く評価している。今回はそんな佐久間氏と小原氏によるリモート対談が実現。小原氏の書籍の魅力に触れながら、2人が思う「言葉」と「創作」について語り合っていただいた。


■ムチャムチャ良かった『これが生活なのかしらん』

――佐久間さんは、お笑いユニット・ダウ90000の蓮見翔さんにすすめられて、小原さんのデビュー作『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を読まれたんですよね。


小原晩(以下、小原):SNSでもご紹介いただき、本当にありがとうございました。


佐久間宣行(以下、佐久間):いえいえ。最初は「なんかいいな」ってくらいの印象だったんですけど、今作の『これが生活なのかしらん』は、予想を超えて、めちゃくちゃよかったです。文章の輝きが段違いに増した気がするんですけど、なにか意識的に変えたことがあったんですか?


小原:スタンスはほとんど変わっていないんですけど、『唐揚げ』のときは自分ひとりでつくったので、文章をチェックしてくれる編集さんも校正さんもいないし、経歴のひとつもないので、しっかりとした文章で書かなければならない、舐められないようなものを、という意識があったのは確かです。今作は、何か間違いがあったら正してくれる人がいるので、より好きなように書けたのかもしれません。


佐久間:おっしゃるとおり、今作のほうが、圧倒的に自由なんですよ。とくに家族にまつわるエピソードは、『唐揚げ』のときは、ちょっと肩に力が入っている感じがしたんですよね。舐められちゃいけないぞって気持ちが出たのかもしれないけど(笑)、ほかのエピソードに比べても、ちゃんとした作品にしなくちゃという気概が感じられた。


小原:そういう部分はあった気がします。今も、実在する人のことを書くときは、やっぱりちょっと気を遣ってしまうし、何もかもを曝け出せるわけではないんですけど、今作では子どものころのエピソードから今につながる過程を書けたので、かたくなりすぎずにいられたのかもしれません。


佐久間:家族だけでなく、友達や恋人も、ちゃんと小原さんの過ごした時間のなかで生きている、という感じがしました。時間とともに多くのものが通りすぎていくなかで、それでも自分のなかに残り続けるものを一つひとつ言語化されているところも、好きでしたね。僕はもう十年くらい、ロロという劇団の舞台を観続けているんだけど、彼らの作品にも「自分のなかに生き続けている、失われたもの」みたいなテーマを感じるときがあって。小原さんの文章からも、そのときどきで味わった感情や、誰かの想いみたいなものを、積み重ねて今を生きているんだろうなというのが伝わってきました。


■一流のエッセイストにとって不可欠な才能とは

――とくに印象に残っているエピソードはありますか?


佐久間:友達との三人暮らしやお兄ちゃんのエピソードも好きなんだけど、印象的なのは「はたらくにんげん」かな。美容師の仕事をしているとき、カットモデルに声をかけるハントの成績が小原さんはとてもよかったんだけど、もっとすごい先輩のやり方をまねしようとしたら、全然成果をあげられなかった。〈私は未熟者なのに、すでに内面的な私らしさを有しているということだ。たった十八年が、これまでの十八年が、私のなにを形作ったのか。〉という文章が、とても響きましたね。


小原:うれしい。もう、うれしいとありがとうございますしか言えない。


佐久間:働く人間というものが、僕はそもそもとても好きなのだけど、仕事をしていると自分にできることとできないことがあるのだと、如実に突きつけられるじゃないですか。僕もそうだったなあ、と思い出しました。小原さんのエッセイは、小原さんのごくごく個人的な体験を描いたものなのに、ちゃんと普遍性があって、自分の記憶をさまざまに呼び覚まされる。それは、一流のエッセイストに不可欠な才能だと思います。あと、基本的に文章にユーモアがありますよね。


■深夜に布団の中で観た『ゴッドタン』の衝撃


――小原さんは、昔からお笑いがお好きだったんですよね。


佐久間:ああ、なるほど。確かにエッセイも、漫才もコントもやるAマッソの単独ライブみたいな雰囲気がありますよね。


小原:おそれおおいです……! 私はずっと、佐久間さんのつくられる番組が好きで。ご著書も読んでいます。小学生のとき、どうしても寝られない日があって。深夜に起きていると怒られる家だったので、部屋にあったブラウン管のテレビごと布団のなかに入って、しずかに観ていたんです。それが、『ゴッドタン』のキス我慢選手権でした。ちょうど、劇団ひとりさんが女の子のキャミソールをぺちぺちやっているシーンが流れて、「観ちゃいけないものを観た!」と衝撃を受けて。


佐久間:小学生にはたしかに刺激が強いかもしれませんね(笑)。


小原:はじめてロックを聴いたときみたいな感じでした。それ以来、ずっと『ゴッドタン』を観ていますし、おもしろいものをつくり続けてくださってありがとうございます、という気持ちなんです。


■読者の想像する余地を残す理由

――佐久間さんは文章を書くとき、人前で話すときとは違って、なにか意識していることはありますか?


佐久間:これ以上細かく書くと、読者が想像する余地がなくなるな、と思うところは削るようにしていますね。理由は僕の文章をただ受けとるだけじゃなくて、読んだ人のものにしてほしいなと思うから。でもそれは、フリートークのときも同じかもしれない。というのも、僕はしゃべりに関しては素人なので、ラジオでもYouTubeでも毎回台本をつくるんですよ。その作業はエッセイを書くときと似ていて、完成された台本を推敲するとき、余計だなと思う情報はやっぱりそぎ落とします。違うとしたら、本番前に構成作家に読んでもらって、どういう話し方をするのが効くかを相談するくらい。


小原:一から十まで語りきることができるのは本のよさではあるけれど、そのぶん、何を書かないかも選択しなくちゃいけないなとは私も思います。「書かれていない部分は、実際どうだったんですか」と聞かれることもあるけれど、書かれていない部分には必ず書かなかった理由がありますからね。


佐久間:誤解されないように言葉を尽くすことのできるよさもあるから、その塩梅は、やっぱり作家に委ねられますね。映像作品の場合、9割の人には誤解されてしまうという体感があるんですが、本は時間をかけて読んでくれることで、人間性みたいなものも温度とともに伝わる。『これが生活なのかしらん』のように、時系列が乱れていたり、唐突に短歌が挿入されたりしても、この本でいちばん大事なところは、少なくとも7〜8割届くような気がします。


■隠しておきたい感情の中に大事なものがある

――小原さんは、佐久間さんの本で印象に残っているものはありますか?


小原:エッセイとフリートークが似ている、という話に通じるんですけど、ご著書の中で「トークテーマを選ぶときは感情が動いたことのほうがいい」って書かれていましたよね。ただ感動したというだけでなく、自分が恥ずかしかったこととか。それは確かに、って思いました。


佐久間:自分がいちばん知られたくないことをおもしろく話すことから始めたほうが効果があるなあと思ったんですよね。いったんそのハードルを越えると、あとは自由になんでも語れるようになる。大事なものってたぶん、隠したいと思っている感情のなかにあるんですよ。


小原:佐久間さんがラジオを始めるとき、スターでもない自分のしゃべりを誰が聞くんだと思った、とも書かれていましたけど、恐縮なんですが、私も初めて本を作るとき、同じような思いでした。誰も知らない奴の生活を書いて誰が読むんだと思ったときに、情けないことや恥ずかしいことならおもしろがって読んでもらえるかもしれないと考えました。私自身、情けない人に愛着がわくタイプなので。


佐久間:大人になったらちゃんとできるようになるかと思ったら全然そんなことはなかった、みたいな部分って誰しも持っていると思うんだけど、そういう情けなさをおもしろおかしく書いてもらえることで救われることはありますよね。小原さんの場合は、変えたい気持ちもあるけれど、その情けなさも大事なんだよねって肯定してくれる書き方をしてくれるので、まるごと愛してもらったような気持ちになれる。それは小原さんの文章のもつ力だなと思います。先生に恋して、フラれて、微糖のコーヒーにムカついているくだりとか、すごく好きだったな。


■他人を書くときに注意していること

――自分ではない誰かのことを書くときに、気をつけていることはありますか?


佐久間:フリートークで娘の話をするときは、何かプレゼントすればオッケーってことになっているんですよ(笑)。もちろん、これ今度話していい? と許可はとりますが、iTunesカードやクッキー缶でだいたいのことを許してくれる18歳女子も珍しいと思うので、ありがたいなと思っています。


小原:ささやかなプレゼントで許してくれるんですね。


佐久間:あとは、自分の好きな人の話しかしないようにはしています。ラジオで一方的に僕が話すと、そこにはどうしたって暴力性が含まれるから、誰かを攻撃したり悪く言ったりするようなことはしちゃいけないなと。たとえ僕が被害者になった話だとしても、相手の状況もひっくるめて笑いに変えられるときだけ、と決めています。もちろん48年も生きれば、ひどい目に遭うこともあるし、他人にネガティブな感情を抱くこともあるんだけれど、公開するエピソードには選ばない。


小原:私も好きなものや好きな人の話を選ぶようにはしています。でも私が大好きだ、おもしろい、と思ったことを書いたとしても、一方から見た景色でしかない以上、誰かを傷つけてしまう危険性からは逃げきれないとも思っています。


佐久間:「笑い」は、どうしたって暴力性を孕んでしまうもの。僕の仕事は、基本的に「笑い」にまつわるものが多いから、どんなに配慮しても誰かを傷つけるかもしれない、という前提を自覚しつつ、どうすればその可能性を排除できるかを考え続けなくちゃいけない、というのは昔から意識しています。あとは、僕が悪く言われるぶんにはまあいっか、って思いますね。関わった人たちが中傷されるくらいなら、僕が傷つくほうがいいって。


■おもしろいと感じるものをもっと増やしたい

――傷つくリスクを負ってでも、表現し続けるモチベーションは何なのでしょうか。


佐久間:番組をつくるときも、文章をつくるときも、そして今日のような対談をするときも、いつも考えているのは、自分が好きでおもしろいと感じるものが、世の中にどんどん増えていってほしいということ。そのほうが、俺自身がじじいになったときに、楽しい世の中になっているだろうなと思うからなんです。好きなバンドが解散したり、好きな劇団の新作が観られなかったりするのがいやだから、どうすれば長く楽しめるかを考えているだけ。要するに全部自分のためなんだ、って30歳くらいのころから考えるようになって、ラクになった部分はありますね。


小原:私は自分が書きたくて書いているのだから、何を言われても仕方がないと思っている部分があります。もちろん批判されたら傷つくような感じもあるけれど、何を言われても仕方がない、自分のできることはすべてやりつくしたんだから、と納得するまでやりたいなとは思っています。


■ネタそのもののおもしろさだけで判断しない

――エッセイやフリートークのネタを探すとき、使えるものと使えないものになにか差はあるんでしょうか。


佐久間:エピソード自体に差があるというより、おもしろく伝えるための組み立てを自分が上手にできるかどうか、で決まりますね。身に起きることのたいていは、誰かの経験とかぶっているし、誰も聞いたことのない話なんて、よほどの大事件じゃない限り存在しない。先ほどの話にもあったように、大事なのは自分の心がどう動いたかなんです。ただ、自分がおもしろいと思っているだけじゃ、やっぱりネタにはならないわけです。お笑いの企画を考えているときも、誰にもおもしろさが伝わらなくて採用されない、ってことは多々ありますからね。俺だけが感じているおもしろさを、どうすればみんなのものにできるか。最初はスベッていたものも、伝え方や切りとり方を変えるだけで笑ってもらえるようになるので、ネタそのもののおもしろさで判断しないようにはしています。


小原:『唐揚げ』のときは上手に書けなかったエピソードも、『生活』のなかに入っていたりします。伝え方や切り取り方にバリエーションが出てきたのかもしれないです。ただ、もしかすると、共感という入り口に頼ってしまった部分もあったかなと思います。


佐久間:共感って、やっぱり強いんですよね。だからつい、頼ってしまう。わかりやすいほうが、笑いやすいですしね。たとえば僕が「こんなの知ってるわけないじゃん」とラジオで発言したことに対して、リスナーの方から「うちの地域ではあたりまえのことなんですけど」って怒りの声が届くことがあって。「わかる」ためには前提の知識を共有していなくちゃいけないからこそ、なるべく誰もが知っていることで表現しようとしてしまう。でもそれだと、本当のことから遠ざかってしまうよなあ、というのが常に抱えているジレンマのひとつです。


小原:わからないけどおもしろい、をもっと信じたいです。自分と全然違うタイプの人って、わからないけどおもしろいですよね。密に関わるかどうかはさておき、誰かがちょっと変わった行動をとったとき、怖いとかいやだとか品がないとか思わずに、おもしろいな愛らしいな、と思う感覚のことはとくに大事に思っています。


佐久間:その感覚は、僕も同じです。『ゴッドタン』でも『ピラメキーノ』でも、なんでもそうなんですけど、僕だけがおもしろがっている、って状況が少なからずあって。それはたぶん、ともすれば引いてしまうような歪な人に、僕が惹かれてしまうからなんだろうと思います。小原さんの文章からも、近いものを感じます。


■我慢できないことは全て話すことの大切さ

小原:番組づくりは、チームでの共同作業ですよね。私はそれがとても苦手なんです。今回、はじめて商業出版するにあたって、編集さんや装丁家さん、営業さんなどといろんな話をしたんです。そこでそれぞれの意見がとびかったときに、うまく立ち回れなくて。我を主張しすぎて迷惑かけた気がするな、という反省と、だけど自分の名前で出す本なのだから、後悔しないように言うべきことは言いたいなという気持ちがあって、そのバランスをどうとればいいのかが今後の課題なんです。


佐久間:僕の経験上、我慢できないことはいったん、全部口に出すことから始めるといいと思いますよ。そのうえで話し合いを重ねるうちに、現実的に可能かどうかのラインがなんとなく見えてくる。あるいは、こういう言い方をすれば耳を傾けてもらいやすい、信用してもらえる、ということもだんだんとわかってくる。その積み重ねで、ちょうどいいバランスを探っていくのがいいんじゃないかなあ。


小原:全部、言っていいんですか。


佐久間:最初に我慢をしてしまうと、かえって気苦労が増えたり、主張するのに慣れなくて必要以上にきつい物言いになってしまったりしますからね。あと、僕も本を出すときに、出版社側に任せていたらいろいろ勝手に進んでしまって、あとから希望を通そうとしてもなかなか難しくて大変だった、という経験があります。後出しでもめるくらいなら、最初に「言いたいことがあります」というスタンスを見せておいたほうがいい。面倒くさい奴だなと思われるかもしれないけれど、バランスのとりかたはあとから学べばいいと思います。


■30歳になって気づいたこと

――それはもう、経験を重ねていくしかないことですね。


佐久間:だと思います。自分の言葉がどんなふうに相手に響くのかも、試してみなくちゃわかりませんしね。実をいうと僕も、たいていの人に怒っていると思われているらしいと気づいたのは30歳くらいのときでした。わりと穏やかな性格だと思うし、あたりがきついつもりもなかったんだけど、声が大きくて身長も180cm以上あるものだから、普通に話しているだけで威圧感を与えてしまうらしいんですよ(笑)。意識的ににこやかにしていなくちゃいけないんだな、というのは、コミュニケーションの経験を重ねないとわからなかった。


小原:ありがとうございます。ものすごく勉強になりました。本も丁寧に読んでいただいて、今日は本当にうれしかったです。またご一緒できるように、頑張ります。


佐久間:僕の方こそ、ありがとうございました。次回作を読める日を楽しみにしています。



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