大分トリニータは11月2日、MF梅崎司が契約満了に伴い、今シーズン限りでチームを離れることを発表した。
梅崎は1987年2月23日生まれの現在37歳。大分のU−18出身で、2005年にトップチームへ昇格した。プロ2年目で大分の主力に定着すると、同年9月には日本代表デビューも飾る。シーズン終了後には当時リーグ・ドゥのグルノーブルへ期限付き移籍。フランスの地ではわずか5試合の出場にとどまり、わずか半年で大分へ復帰すると、2008年には浦和レッズへ完全移籍した。
浦和では在籍2年目から背番号「7」を託され、10シーズンにわたって活躍。公式戦通算262試合出場33ゴールを記録し、JリーグYBCルヴァンカップやAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のタイトル獲得を経験した。2018年からは湘南ベルマーレでプレーし、加入初年度にはJリーグYBCルヴァンカップ初優勝にも貢献。3年半にわたって在籍した後、2021年7月に約14年ぶりに大分への帰還を果たした。
加入後はケガに泣かされる時期もあったものの、昨季は背番号を慣れ親しんだ「7」に変更しただけでなく、育成組織出身選手として初となるキャプテンにも就任。明治安田J2リーグ21試合のピッチに立って1ゴールを記録したが、キャプテンの座をFW渡邉新太に譲って迎えた今季は、負傷にも悩まされ、ここまで2024明治安田J2リーグで5試合出場1ゴールという成績にとどまっていた。
退団を受けて、梅崎は大分を通してコメントを発表。大分のU−18に加入した時期から、プロデビュー直後、そして復帰してからのおよそ3年半を振り返り、クラブへの感謝の思いを綴った。
「この度、大分トリニータとの契約が満了となりましたので、ご報告させて下さい。2002年、大分トリニータU−18の門を叩き、長崎からプロサッカー選手になるという大きな夢を持ってこの地にきました。最初から苦難の連続でした。メンバーに入るのも難しく、プロなんて夢のまた夢だと何度も諦めかけましたが、それでもどうしてもプロサッカー選手になりたくて、日々努力を重ねました」
「そして、最終的にはプロ入りの切符を掴むことができました。ファンボカン監督、村田一弘さん、吉坂圭介さん、西形浩和さんのご指導、西川周作を始めとするチームメイトに恵まれたからこそ自分という人間が形成され、プロとして戦い、挑むベースが出来たと思っています」
「それでも、プロ入り1年目はとても厳しいものでしたが、ユースで培われたどんなに劣勢でも諦めず挑み続けることで、2年目にチャンスを頂き、掴む事ができました。この時、シャムスカ監督との出会いがなかったらこんなに大きく羽ばたけなかったと思います。荒削りな僕を抜擢してくださり、自信を持たせてくれました。毎試合事に成長を感じる事ができ、結果としてA代表という舞台でプレーする機会をいただけました」
「また、2007年フランスへの移籍の際は快く送り出してくれたにも関わらず、なかなかうまくいかなかった自分を半年後、また迎え入れてくれました。トリニータに戻ってきて直後の鹿島戦のあとのスタジアムの風景、サポーターの応援、声援は鮮明に覚えています」
「そして浦和レッズへの移籍。自分の夢を理解し、後押ししてくれました。そこから約14年の月日が経ち、再びトリニータに戻ってくる事が出来ました。この移籍は西山哲平さんがいなかったら実現しなかったと思います。当時、様々な要因が重なり、ベルマーレで試合に出ることができず、悩んでいた僕に声をかけてくださり、本当に戻してくれるなんて夢にも思っていませんでした。本当に感謝しています」
「復帰からの3年半、苦しい時間、怪我の時間も長かったですし、満足のいく結果も出せなかったと思いますが、僕の経験を全て伝えていこうという思いでいましたし、自分なりにチームの為にやれる事は全力で取り組みました。今後についてはまだ何も決まっていませんが、サポーターの皆さんとスタジアムで一緒に歓び会える瞬間は何事にも代え難い感動の連続でした」
「これは僕にとっての財産です。ここにも描ききれなかった沢山の思い出も含め、この財産を携え、これからも挑み続けていきます。長きにわたり応援してくださった方、月日が浅い方も含め、全ての方々からの応援が僕のエネルギーでした。本当にありがとうございました!また会いましょう!」
なお、大分は11月3日に2024明治安田J2リーグ第37節ザスパ群馬戦を控えている。本拠地『レゾナックドーム大分』にて行われる今季ホーム最終戦終了後のセレモニー時には、梅崎よりファン・サポーターへ向けた挨拶の時間が設けられる予定だ。
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