2024スーパーフォーミュラ第6戦・第7戦富士 競り合う坪井翔(VANTELIN TEAM TOM'S)と牧野任祐(DOCOMO TEAM DANDELION RACING) 2024年の全日本スーパーフォーミュラ選手権は、いよいよ11月9〜10日、三重県の鈴鹿サーキットで第8戦・第9戦『第23回JAF鈴鹿グランプリ』を迎える。今シーズンの最終大会であり、2024年のチャンピオンが決するレースでもある。この第8戦・第9戦を前にして、86.5ポイントを獲得しポイントリーダーで迎えるのは坪井翔(VANTELIN TEAM TOM'S)。2位は72ポイントを獲得している牧野任祐(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)だ。このふたりは、2015年にFIA-F4のタイトルを争った過去がある。第8戦・第9戦を前に2015年の一戦と、ふたりの因縁を振り返っておきたい。
■坪井対牧野。ふたりのシーズンだった2015年FIA-F4
1995年生まれの坪井、1997年生まれの牧野。2024年の全日本スーパーフォーミュラ選手権第8戦・第9戦を前に、年が近いふたりがランキング1位、2位につけて最終大会を迎えることになった。もちろん3位の野尻智紀(TEAM MUGEN)以下にも逆転チャンピオンのチャンスがあるが、坪井が首位、牧野が2位で迎えるこの状況は、2015年のFIA-F4を思い出させる。
このことを意識していたのは牧野だ。スーパーフォーミュラ第7戦富士の決勝レース終了後の記者会見、さらにアフターレース・グリッドパーティーの場でも、2015年のFIA-F4を意識する発言をしていた。牧野に改めて聞くと「シチュエーションが似ているんです。僕が追いかける状況で、サーキットが違うだけ」という。
一方「僕はあまり意識していなかったんですが」というのは坪井。ただ牧野の発言を聞いて「『たしかに!』と僕も思い出しました。そういえばFIA-F4の最終戦をふたりで争っていたよなと」と当時の記憶を呼び戻したという。
ふたりが思い出した2015年のFIA-F4はどんなシーズンだったのか。
この2015年は、スーパーGTのサポートとしてFIA-F4が始まったシーズンだった。新たなジュニアフォーミュラとして誕生し、現在と同じく上のカテゴリーへのステップアップを目指す若手が集結。トヨタ、ホンダが育成プログラムのチームをエントリーさせたが、その開幕となった岡山で連勝を飾ったのが、この年スカラシップを獲得するとはいえ、メーカー育成チームではないRn-sportsから参戦した牧野だ。2戦連続の2位はTOM'S SPIRITから参戦した坪井となった。
以降、シーズンはふたりのマッチレースとなっていく。ランキング3位には安定してポイントを重ねた大津弘樹が続いたが、坪井は第3戦で優勝すると、第6戦以降6連勝しランキングをリード。開幕5戦で4勝を飾った牧野がこれに続いた。第12戦オートポリスで坪井は優勝すればタイトルが決められたが、それは叶わなかった。
迎えた第13戦/第14戦もてぎは、予選から雨になった。これで調子を崩したのが坪井で、2戦とも9番手に沈んでしまう。一方の牧野は両戦ともポールポジション。第13戦では牧野がポール・トゥ・ウイン。5位だった坪井はいよいよ後がなくなった。
「あの時は、僕が予選9番手から第13戦が5位になり、第14戦は『表彰台に乗らないとチャンピオンが獲れない』と言われました。むこう(牧野)は前からのスタートで、第13戦を勝っていましたし、コンディションも前日同様雨だったので、“僕次第”のような状況になっていました」と坪井は当時を振り返る。
一方の牧野は「あの時は優勝して、坪井選手が最後の第14戦で表彰台に乗らなかったら僕がチャンピオンという状況でした。坪井選手がうしろからのスタートだったので『ワンチャンあるかな?』と思っていたんですが」という。
レースは前日同様ウエットとなったが、路面コンディションが少しずつ変化。トップで逃げる牧野に対し、猛追をみせてきた坪井が追いつく展開に。12周のレース終盤、2台はテール・トゥ・ノーズのバトルを展開。「僕は勝ったものの坪井選手にすぐ追いつかれて。最終ラップでもずっとやり合っていた状況でした(牧野)」という戦いの末、最後は牧野が0.208秒差で坪井を振り切り連勝を飾ったが、2位に食い込み表彰台を得た坪井が初代チャンピオンを獲得した。坪井は喜びの涙を流し、勝ちはしたがチャンピオンは獲れなかった牧野は、表彰台に至るまで号泣した。
■「あの2015年」に繋がるふたりの因縁。「びっくりするくらい縁がある」
ふたりは翌年、そろって全日本F3選手権にステップアップ。坪井は名門TOM'Sから、牧野はホンダのスカラシップを得てTODA RACINGから参戦した。坪井は2018年まで3年間F3を戦い、最終年は圧倒的な成績を残しスーパーフォーミュラへ。牧野は2017年に渡欧。ヨーロピアンF3、FIA F2を戦った後に帰国。2019年、ふたりはふたたびスーパーフォーミュラとGT500で相まみえる。
「意外と縁がないようで、四輪に上がってからはずっとレースをやっていますね。これからもずっとレースをしていく相手なんだろうな、となんとなく思っています」と牧野は坪井について語った。ふたりはふだん会話はするが、特別に仲が良いわけでもない。しかし不思議な縁があることは坪井も認めた。
「似たようなキャリアですよね」と坪井。さらにこんなことも語った。「実は僕は、彼のおかげでトヨタに戻ってこられたようなところもあるんです」
牧野は四輪にステップアップする前に、フォーミュラ・トヨタ・レーシングスクール(FTRS)を受講したことがある。しかし牧野の父の会社の業績が芳しくなくなり、スカラシップの費用を捻出できなくなってしまったのは、牧野自身からも多く語られてきた話だ。
この状況を助け、ふたたびカートの世界に誘ったのが安田裕信だった。牧野はこのチャンスを繋げ、2015年のFIA-F4を戦っていた。牧野にとっては、結果を残し安田やRn-sports代表の植田正幸ら、多くの支えてくれた人たちに恩返しをしたかったはずだ。それが第14戦での涙に繋がっていたと言っても過言ではないだろう。
そして、牧野がスカラシップを受けなかったことで、チャンスを得ていたのが実は坪井だった。「昔、僕はスクールで一度クビになったことがあるのですが、その次の年、本当は牧野選手がトヨタのスカラシップに決まっていたんです。しかし家庭の事情で断らなければならなくなり、ひとつだけ空いた枠に最後のチャンスで僕が乗ることになったんです」と坪井は語った。
「そこで結果が出ればFIA-F4に乗ることができるチャンスで、この2015年に繋がっていたんです。FIA-F4に乗ったら乗ったで、今度は牧野選手に勝たないと先はないと言われていましたが、勝つことができたんです」
坪井にとって牧野は「僕の人生のターニングポイントに彼がいるんです」という相手。「普通にしゃべりますが、特に仲が良いわけでもないんですけどね。びっくりするくらい縁があるなとは思っています(笑)」
■「国内最高峰の最速の舞台」でのリマッチへ
迎えるスーパーフォーミュラ第8戦・第9戦。舞台は世界屈指のドライバーズサーキットである鈴鹿。『JAF鈴鹿グランプリ』の冠もかけられる栄誉ある一戦だ。舞台は整った。
「2015年の時は雨が降るまでは2列目くらいにいられる状況だったので、雨はイヤですね(笑)。雨が降らなければ同じシチュエーションにはならないと思いたいです。もちろん向こうの方がメラメラしていると思うので、気持ちで負けちゃいけないと思っています」というのは坪井。
一方牧野は「今回は良い機会だと思いますね。あの時の違いと言えば、ふたりともメーカーのドライバーになって、国内最高峰の最速の舞台で戦うことができます。その点は純粋に嬉しい部分です。もちろんFIA-F4の時は僕が負けたので、個人的にはやり返したいという思いがあります」と逆襲に燃える。
「あの年はFIA-F4の1年目ですごく注目度があったなかで、ふたりで良いレースができて、結果僕は負けて悔しかったですけど、そのふたりが国内最高峰の舞台で戦うことができるのは良いですよね。台本どおりですよ(笑)」と牧野はニヤリと笑った。
モータースポーツの世界に限らず、スポーツには“不思議な縁”がある。ランキング首位で初タイトルに向け燃える坪井が獲るのか。今季涙の初優勝を飾ってきた牧野が獲るのか。はたまた、絶対王者野尻をはじめとしたランキング3位以下のメンバーがふたりを上回るのか。『HUMAN MOTORSPORTS』を掲げるスーパーフォーミュラの今季最終大会では、9年越しのふたりの因縁の“決着”を見逃すわけにはいかない。