兄が偉大なる菅田将暉であるという事実はこの際、それほど重要なことではない。俳優である弟・菅生新樹は今、間違いなく不可能を可能に近づける存在になりつつあるからである。
菅生は、橋本環奈主演の朝ドラ『おむすび』(NHK総合)にレギュラーメンバーとして出演している。ドラマ初出演作から共通しているのは、画面には写らないはずのものを写すこと。それはなぜか?
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、映像的に不可能であるにもかかわらず、画面には写らないはずのものを写してしまう菅生新樹の才能を読み解く。
◆ギャルとの交流を知る幼なじみ
『おむすび』の主人公・米田結(橋本環奈)は、波風のない高校生活を送っていた。ところが、姉である米田歩(仲里依紗)が元ギャルのカリスマ総代だったことから、ギャルサークル「博多ギャル連合」(ハギャレン)のメンバーとして強制加入させられてしまう。
歩を不良にしてしまったのは自分の責任だと後悔する父・米田聖人(北村有起哉)の手前、嫌々ながらも結は気づかれないようにギャルたちと交流する。するとメンバーが地元のイベント「糸島フェスティバル」でパラパラを披露するんだと盛り上がり、結も練習に付き合わされる。
聖人の目を盗んで天神に出掛けては練習を重ねる。家族以外で結がギャルと交流することを知るのは、幼なじみでクラスメイトでもある古賀陽太(菅生新樹)だけである。第2週第10回、結がパラパラを練習するところをたまたま陽太が目撃するのだ。
◆陽太がピカッときらめく
陽太は、結がギャルたちに脅されているのではないかと心配する。確かに嫌々ではあるが、陽太に助けてもらう必要はない。なのに陽太は突っ走って結を守ろうとする。単純に彼女のことが好きなのである。
結のほうはなんのことやら。陽太の気持ちにまったく気づいていない。でもこれを好機と捉えた陽太は、タイミングをみはからって結をどんどんアシストしようとする。第3週第11回、ギャルたちとカラオケにいた結は門限を過ぎてしまう。
急いで帰ってきた結が、最寄駅で自転車に乗ろうとする。そこへここぞとばかりに陽太が登場する。眼帯をした陽太が低い声で「俺に任せり」と結にいう。何をするかと思えば、玄関で待ち構えていた聖人に自分たちは実は付き合っていてとでっち上げる。
これはアシストなのか。でもここまで特別目立っていたわけでもない菅生新樹がこの場面でピカッときらめく。
◆上手から下手への移動
何がどうきらめいたか。その背中である。結が最寄駅に到着してすぐ、同じ電車に乗っていた陽太はあとを追ってきた。そのとき、改札を出て自転車置場まで移動する陽太をカメラがフォローしてワンショットで丸ごと写している。
上手(改札)から下手(自転車置場)への移動中、がっしりと分厚い背中がとても印象的である。この背中なら、「俺に任せり」といわれても確かに頼りがいがあるように感じるかもしれない。
筆者は菅生新樹の演技をそれほど熱心に見つめてきたわけではないが、ひとまず彼の俳優としての特性は上手から下手への移動中に発揮され、なおかつその背中が十分な存在感を担保しているらしいことはわかった。
◆画面には写らないものが写る魅力
菅生のドラマ初出演作は『初恋の悪魔』(日本テレビ、2022年)だった。伊藤英明演じる警察署長の息子役として第8話ラストで登場する。同作での初登場場面を見ると、署長が帰ってきたところへ家から出てきて上手から下手まで移動する芝居がやっぱりある。カットが替わわる寸前で背中もちゃんと写る。
画面右から左への演出上の単純な動線移動だが、派手でもなんでもない初登場場面での動きがシンプルだからこそ、あぁこんな新人俳優が出てきたんだなと、視聴者への顔見せとしては申し分ない。仮にその時点で、彼が菅田将暉を実の兄にもつという、画面外の情報を知らなくても一向に構わない。
一方で菅生にはどうも画面の外というか、本来画面には写らないはずのものが写る魅力があるようにも思う。別に怖い話をしようとしているわけではない。『おむすび』にしろ『初恋の悪魔』にしろ、単純な動線移動中の菅生からは、不思議と本人の温かい人柄が画面上に写っているように感じてしまうのである(実際に会ったわけでもないのだから、本人の人柄が温かいかどうかなんてわからないのに!)。
◆不可能を限りなく可能に近づける人
映画でもテレビドラマでもよく人間の心理を写すという言い方がある。でも実際そんなものは画面上には写らない。というか写しっこない。だって画面上にはただ、あるキャラクターを演じる俳優の物理的な身体が写るばかりだからである。
それでも俳優は、心理らしきもの、あるいはそれに近いものを演技によって表現しようと苦心する。役作りにおいては自分の性格と演じる役柄との共通点などを探る作業もあるが、俳優の内面そのものが画面上に写ることは基本的には不可能である(映画と心理については菅田将暉主演映画『Cloud クラウド』公開記念インタビューにて黒沢清監督が語っている)。
にもかかわらず、ある種の俳優の演技を見たとき、そこにふと俳優本人の人柄をいやがおうにものぞいてしまったと感じてしまうことがある。菅生はまさにそうした特別な才能のひとりであり、不可能を限りなく可能に近づける人だと思う。
確かに目立つ演技をする人ではない。兄の菅田将暉なら、たとえば『Cloud クラウド』で内面をはるか超越した外面の極地に到達している。『おむすび』の菅生新樹は、これから半年間レギュラー出演する間に、どんどん如実に目立ってくると思う。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu