六角精児「呑み鉄」愛 酒と鉄道と音楽と…10周年迎えるNHKBS人気番組

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2024年11月10日 08:01  日刊スポーツ

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人気番組「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」が10周年を迎えてなお、六角精児の呑み鉄愛は変わらず、次の目的地に向けて、気持ちは早くも「出発進行!」(撮影・大野祥一)

俳優六角精児(62)が“旅人”を務めるNHK BS「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」が、来年4月で放送10周年を迎える。酒と鉄道、そして音楽を切り口にローカル線の旅をして、六角が日本を再発見してきた。これを記念して同2月24日に東京・かつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホールで「スペシャルライブ&トーク」を開催する。六角に来し方行く末を聞いてみた。【小谷野俊哉】


★酒蔵回り楽しいんじゃない?


きっかけは番組開始の1年近く前。2014年(平26)6月に2週にわたって出演したNHK Eテレ「ミュージック・ポートレイト」だった。六角は「呑み鉄本線」のナレーターを現在務めている、女優壇蜜(43)と共に出演した。


「自分の人生に関わる曲を10曲ずつ選んで、壇蜜さんと2人でやらせてもらいました。その時のスタッフの方が、僕の鉄道好きを知っていて、それに乗っていろいろなところの酒蔵を回ったりする番組は楽しいんじゃないかなっていう風なことを言っていた。ただ、まさかそういう番組ができると思っていなかった。最初に『呑み鉄本線・日本旅』と聞いた時は、ちょっとコンセプトが分からなかった。“呑み鉄”という言葉自体は昔からあって、それはいわゆる鉄道に乗って窓の外の景色を眺めながら飲むというもので」


番組スタッフが考えていたのは、さらにその先だった。


「ローカル線にのって、酒蔵まで行ってお酒を飲む。僕は、そんなことはしたことがなかった。行った先の名産のものを食べたりして、割と普通の番組だなと。別に、そんなに長く続くようなものではないなと思ってたんですよ。それが最初の金沢でやった時。10年たって、僕自身が『呑み鉄本線』の番組のような旅をすることに慣れてきたのか、僕の鉄道旅に『呑み鉄本線』が合わさってきたのか分からないんですけどね」


いろいろな酒蔵に行って少し飲んで、また移動して飲む。最後に具合のいい居酒屋に腰を据えて、食べて飲んで。実にうらやましい番組だ。


「見れば、そうなんですけど、編集してありますから、また違うわけです。お酒を飲んで、その間に休憩が入って、僕は寝てたりするんです。最初の頃は、それがなかったんですよ。飲んで食べて休憩なしで、また次に行ってといった形で。結構、詰め込んでたんですよ。それが、だんだん作るスタッフも、なんていうか呼吸が分かってきて、余計なものを抜くようになってきた。それで、どんどん楽しくなってきた」


のどかなローカル線の旅とお酒、そしておいしい食べ物。それに音楽が加わる。これが春夏秋冬、そして特番。


「年に何回っていう風に漠然とは決まってるんですけど、そんなにきっちりとは決まってなくて。やっぱり3カ月とか4カ月とかに1回ぐらいなのかな。その季節、季節で、自分の他のスケジュールにも合わせてもらって。そこはNHKさんだから、割りと早くからちゃんと決めてくれるので合わせやすい。自分が一応メインでやってるんですけど、車窓から鉄道の映像を撮ったりとか、そういうところにすごく時間がかかってているんです。台本もしっかり作って全部撮って、素材編集して。また、そこからナレーションとかね」


★いろいろなこと幸せにつながってる


鉄道とお酒、そして六角にとって大きなものである音楽が番組の肝になっている。


「鉄道とお酒と音楽がちょうど均等に3分割されてると思って欲しい。いろいろなところに行って、お酒を飲みます。そして、ちらっと途中に入る、つなぎの音楽は僕のイメージに合わせてやっています。番組の方が持ってきてくれてるものがありますけど、メインでやってるのは前に自分が持ってきたもの、または新しく持ってきたものを全て合わせた上で、全部僕が選曲したものです。行く前からその地方によって考えてるんですけど、やっぱり行ってみてからですかね。北海道だったらこんな感じだとか、九州だったらとか。ご覧になってる方だとお分かりになると思うけど、アコースティックのルーツ系の曲が多くて、やっぱりそれが車窓に合うんですよね。あとは、日本の。ちょいと昔のものから、今歌ってらっしゃる方でも、その個性が鉄道にどこか寄ってらっしゃる。そういう人をやっぱり選ぶ」


ミュージシャン六角精児が率いる「六角精児バンド」は、この番組と共に大きく飛躍した。


「これがあったんで『六角精児バンド』の活動場所が増えた。1996年(平8)に結成して、20年近くはそんなに派手にやってなかったんです。でもまあ、自分は音楽好きだから、そういった意味ではそれでよかったんですけど。この番組をやるようになって、いろいろなオファーが来るようになりました。それでやってると、やりたいことも少しずつ出てくるんです。『呑み鉄本線・日本旅』とバンドの相乗効果で、いろいろ盛り上がってはいると思う」


来年2月24日には東京・かつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホールで「六角精児の呑み鉄本線・日本旅 スペシャルライブ&トーク」を開く。


「番組を10年やってきて、自分のバンドの音楽が番組で流れてて、それが急に盛り上がるんじゃなくて少しずつ聞かれてきた。番組が始まった14年に最初のCDアルバム『石ころ人生』が出たんですけど、それが地味に今でもずっと売れ続けてるんですよ。売れ続けてることで、僕たちのバンドにも少しずつお客さんが付いてきてくれたのが分かる。お客さんが1300人入るんですけど、こんな大きいところでやるのは初めて。今までの最高は600人だから倍以上です。そういう大きなところを経験させていただくのは、何というか、音楽好きで良かったな、バンド始めて良かったな、『呑み鉄本線』始めて良かったなと、いろいろなことが幸せにつながってるんだという風に思います」


小学生の時から音楽が好きだった。


「高校時代に友達とバンドを組んでました。その時はロックっていうかフュージョン系のバンドでベースだったんです。そこから劇団とかに入った時には全くやめてしまってたんですけど、30歳をすぎてしばらくたってからかな、なんか昔やってたことをもう1回やってみたいなって気持ちになったりして。だから、本当に何もないところから、また始めたのが『六角精児バンド』なんですよ。劇団員の後輩を1人ずつ呼んだりして、最初のメンバーから少しずつ変わっていって今になってるんですけどね。なんていうか、いわゆる“おやじバンド”のなんか延長線上にあるバンドなんですよ」


高校時代に演劇部に入ったのが、俳優への道の第1歩。


「誘われて知らないうちに付いていって、気がついたらこうなってたんです。自分としてはプロには絶対なれないけど、楽器の会社とかに高校を卒業したら勤めたいなと思っていたんです。でも大学に入ったら、すぐ劇団を始めて。そのうちにいろいろなギャンブルにはまって、それで大学もやめてどんどんどんどん抜き差しならなくなって、最終的に残ったのが劇団だけだったんで。俳優では全然食えなかったから、バイトをしてっていう感じです。バイトと、あとはなんかごまかして生きてました。あまり人には言えない」


★「相棒」鑑識官役演じブレーク


俳優を仕事として、生活していけるようになったのは30代になってから。


「実は30代の割と前半の頃から、普通にやってたら食えてたと思うんですよ。それなりに仕事というか、舞台の方とかもあったと思うんですけど。ただ、ギャンブルの借金が多かったんで。だから、ちゃんと飯が食えるようになったのはその借金がなくなってからです。40歳ちょっとかな。ドラマの『相棒』とか『電車男』とかで、いろいろ仕事ができるようになった時に、その前からぐらいから毎月少しずつ。それで何年もかかって返した時には、もういろんな番組をやってたんですよ。潮目が変わったのは、その頃ですから。2004年とか2005年。41歳とか42歳の時」


00年から単発で始まり、01年から連ドラになったテレビ朝日系のドラマシリーズ「相棒」で鑑識官の米沢守を演じてブレーク。16年までレギュラー出演した。


「『相棒』は大きかったです。でもね、05年のフジテレビの連ドラ『電車男』の特番があった時に視聴率がすごくよかったんです。翌日、街を歩いてたりすると目線が違うんですよ。そういうことを実感したのは、新橋で朝から晩まで劇場の中にいてあんまり外に出てなかった時。それで外に出てみたら、人の目線が変わってた。それはっきり覚えてます。『相棒』は長いこと続いていたので、皆さんの目線が主役以外のところに行くんです。それで、米沢守っていう鑑識官が『この人ってどうしたんだろう』って、視聴者の方から掘りだしてきましたからね。そうなってからですかね」


「電車男」は、インターネットの掲示板から生まれた物語をドラマ化。テレビが“メディアの王様”でいられた時代。「相棒」も「電車男」も世帯視聴率が20%を超えた。日本人の5人に1人が見ている人気番組だった。


「『相棒』は2010年頃は、ほぼ20%超えです。テレビが本当に良かった時代の最後の方ですね。だからそういう時にギリギリ引っかかってるんですよ。今はドラマに出ている俳優の名前と顔が一致するって、なかなか難しい。やっぱりテレビで視聴率20%を取るようなところに出てないと、全世代にはね。そういうところに引っかかった世代の最後なんですよ。だからものすごく運が良かった」


公開中の映画「カーリングの神様」では、カーリングに青春をかける主人公の女子高生・清水香澄(本田望結=20)たちを見守る土屋一郎役。


「カーリングって、僕は割と見ちゃうんですよ。なんか静謐(せいひつ)なスポーツで、躍動感というよりは将棋とかそういうもののニュアンスとか強いじゃないですか。あと、どこを狙ってとか、なんていうか不思議なスポーツみたいなものをついつい見ちゃう。こういうスポーツをいろいろなところに広める役目として、自分が少しでも加わっているのはうれしいですね」


62歳。俳優、ミュージシャンとして充実した時をすごしている。


「僕は俳優として、これから先には自分が求められたところで、だから今までのお付き合いみたいなものがあったところで、何か新しい展開があったらいいなという風に思ってます。これから新たに全く違うところでっていう風なことは、正直言って考えてないです。新しいことに挑戦させていただくにしても、昔からご縁のあった人間にという風な形になるかなと思います。俳優ですから、自分がどうのっていうより、仕事がなくなったら定年ですから。だけど『呑み鉄本線・日本旅』とかに関しては、周りの人間がやろうよってて言ってくれて、自分がやれる限りはやっていきたいなと思います。ローカル線は1回乗ったからって、別にもう無理なわけじゃないですよ。季節を変えれば、日本の場合は春夏秋冬がある。さすがに日本酒を水に変えて飲んだふりはできないですから、毎日1時間歩いて、ジムで3日に1回ぐらいいろいろなものを持ち上げたり、足で押したり、足を開いたりやっています」


来月には東京・帝国劇場でミュージカル「レ・ミゼラブル」に出演する。もう、けいこが始まっている。


「そういうので、ずっと劇場にいるじゃないですか。そうすると翌日とかには、ちょっとした合間に『呑み鉄』のロケがあるんです。これが、いい息抜きになるんですよ。最近はそういう感じで、いいルーティンで回してほしいなと思ってます。鉄道も、もうとっくになくなっている、その路線を追うのも楽しい。この10年やってきて『呑み鉄』が自分の中のいろいろな好きなものを、より好きにさせてくれてるところがありまして。自分の中のライフワークというか『呑み鉄本線』が10年続いたっていうのは、自分の芸能活動の中では一番大きなことの1つに入るのかもしれない」


線路は続くよどこまでも、酒もまだまだ残っている。音楽は鳴り続けている。


▼NHKエンタープライズの渋谷義人エンターテインメント部長


ロケでは、六角さんと同じ趣味を持つ人にたくさん出会います。鉄道旅を楽しむ人に声をかけられたり、夜の居酒屋を訪ねたら、既に酔いがまわったみなさんと乾杯で盛り上がったり…。六角さんの「酒や鉄道が好き」という気持ちがあふれ出て、同じものが好きな同士を自然と引き付ける魅力になっているのだと思います。そしてもう1つ、六角さんが好きなものが“音楽”。来年2月には「呑み鉄」のライブを行いますが、六角さんと同じように「音楽が好き」なみなさんと出会えることが楽しみです。


◆六角精児(ろっかく・せいじ)


1962年(昭37)6月24日生まれ、兵庫県高砂市出身。小学校の時に神奈川県厚木市に転居。厚木高校では演劇部。82年劇団「善人会議」(現・扉座)の旗揚げに参加。96年「六角精児バンド」を結成して、ギター担当。01年から16年までテレ朝系連ドラ「相棒」シリーズで鑑識官の米沢守役でレギュラー。05年フジテレビ系連ドラ「電車男」、06年映画「相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿」に主演。公開中の映画「カーリングの神様」に出演中。175センチ、70キロ。血液型O。


◆NHK BS「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」


2015年(平27)4月放送開始。俳優六角精児がローカル線の旅をして列車の中、鉄道沿線の酒蔵、居酒屋で酒を飲みながら地元の人と語り合う。列車走行シーンの音楽は全て六角がセレクトしている。

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