【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】
自分の友人や仕事仲間で、普段からあだ名で呼びかけている人はどのくらいいるだろうか。
集英社文庫の「ハンちゃん」は、名字の半澤から周囲にそう呼ばれているだけで、癖や特徴などによるあだ名ではない。小桧山悟元調教師の「コビさん」も、相馬野馬追の只野晃章(てるあき)武者の「テル君」もそうだ。
今、スマホに登録してある千人ほどの名をザッと見たが、あだ名で呼びかけている相手はひとりもいない。
子供のころ、体型と顔つきから「カバ」というあだ名をつけられた同級生の男の子がいた。私もそう呼んでいた。明るい人気者だったし、個人的にもしょっちゅうクワガタやザリガニなどを一緒にとりに行くくらい仲がよかった。
が、何でもハラスメントになってしまう今なら、「カバ」は「あだ名ハラスメント」とみなされ、NGとされるだろう。
と、時代が悪いかのように書いたが、あのころ、「カバ」と呼ばれる彼の気持ちを考えてみたことが一度でもあったかと問われれば、多分なかったと思う。そう呼びかけると普通に返事をしていたので気にもしなかったが、よくよく思い出してみると、呼びかけを無視されたこともあった。彼は、本当は「カバ」と呼ばれることが嫌で、近くにたくさんの人がいたり、好きな女の子がいたりしたから無視したのかもしれない。そんなことにも気づかず、自分は彼の親友だと思い込んでいたのだから、勝手なものだ。
競馬界はどうか。やはり、ニックネームや冠はあっても、あだ名は見当たらないように思う。
田中勝春調教師は、二十代前半で活躍したころ「競馬界の王子様」とメディアで紹介されたことはあったが、彼に「王子」と呼びかけた人はほとんどいなかったはずだ。
もっと前の時代の騎手だと、「闘将」加賀武見元騎手も、「豪腕(剛腕)」郷原洋行元騎手も、「鉄人」増沢末夫元騎手も、その冠で本人に呼びかける人はいなかった。
今なら、武豊騎手の冠は「レジェンド」だが、これも同じく、紹介するときに使うだけで、あだ名ではない。
ただ、おそらく最近のことだと思うのだが、柴田善臣騎手は一部で「先生」と呼ばれているという。ネットで検索してみると、安全を重視した騎乗スタイルでしっかり順位を確保するところからつけられたものらしい。東スポに「人生相談! ヨシトミ先生に聞け」というコーナーがあることからも、柴田善臣騎手の「先生」は、数少ない「オフィシャルなあだ名」と言えそうだ。
そういえば、藤田伸二元騎手は、田原成貴さんのエッセイなどで「社長」と紹介されたり、呼びかけられたりしていた。
あだ名といっても「先生」や「社長」だし、つけられた人も社会的な強者だから、これらは問題にはならないだろう。
馬に目を転じると、古くはイナボレス(1969年生まれ、父ヘリオス)とトウフクセダン(1973年生まれ、父ネヴァービート)がどちらも「走る労働者」と呼ばれていたことがある。イナボレスは通算76戦8勝、トウフクセダンは同56戦7勝。なお、イナボレスは地方や海外を除いた重賞競走出走回数51回(4勝)という最多記録を持っている。両馬とも大久保末吉厩舎の所属馬だった。大久保末吉元調教師の長男が、メジロドーベルなどを管理した大久保洋吉元調教師である。2頭のキャリアには若干の重なりがある。ということは、一時期、大久保末吉厩舎には2頭の「走る労働者」がいたわけだ。
「天才」や「名手」といった使い勝手のいい冠だけでなく、「走る労働者」という、特徴がかなり限定されるニックネームが複数の馬につけられたというのが面白い。
ニックネームやあだ名を共有する例が実際にあったのだから、いつかまた、「レジェンド」や「先生」「社長」とつけられる騎手が出てきても不思議ではないわけだ。
突然思い出したのだが、私が仕事を始めたばかりのころ、講談社の雑誌編集部に先輩たちから「ゴン」と呼ばれている編集者がいた。私より4、5歳上で、180cmを優に超える大男だった。当時調教助手だったコビさんが飼っていたチャウチャウの名もゴンだった。それを深く考えず、ゴンさんに伝えたら、笑いながら睨まれた。
やはり、あだ名は怖いものだというのは、時代によるわけではない。
そのうち、「あだ名」という言葉もあまり使われなくなっていくのかもしれない。
「走る労働者」が2頭いたことを知って嬉しくなって書きはじめたのに、前置きとムダ話のほうが長くなってしまった。