11月15日、俳優の菅田将暉(31)の弟で今年大ブレイクしたアーティストのこっちのけんと(28)が第75回NHK紅白歌合戦に初出場することが内定したと報じられた。
’22年12月にリリースした楽曲『死ぬな!』がSNSで話題に。今年5月に配信した曲『はいよろこんで』は日・韓・台湾の音楽チャートで1位を獲得するなど大ヒット。SNSでの総再生回数は140億回を突破し、『はいよろこんで』は今年の「新語・流行語大賞」にもノミネートされた。
しかし、こっちのけんとが歩んできた道は、決して平坦な道ではなかった。兄・菅田将暉への劣等感に押しつぶされる日々だったのだ。
こっちのけんとは今年8月、『耳の穴かっぽじって聞け!』(テレビ朝日系)で、書きながら「めっちゃ泣きました」という「菅田将暉の弟」と題した文章を公開。大スターを兄に持つ本音を明かしていた。
こっちのけんとが中学生の頃、菅田が仮面ライダーシリーズに出演し俳優デビュー。放送の翌日に学校へ行くと『菅田将暉の弟』ともてはやされ、誇らしい気持ちでいっぱいで《ええやろ、俺の兄ちゃん仮面ライダーやぞ」》と思っていたという。しかし、《調子に乗っていたようで、気がついたらいじめられていました。ゴミ箱からぼくの筆箱が出てきた日くらいから「菅田将暉の弟」といわれる怖さを体感するようになります》と、過酷な現実を痛感することに。
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高校入学後も、すぐに兄の存在が周りにバレてしまう。そんな折に初めてエゴサーチをしたところ「菅田将暉の弟は同じクラスだけど、弁当箱はお下がりを使ってた!兄の名前が書いていた!」という書き込みを発見。《その日から兄の顔に泥を塗らないように》と無意識のうちに”理想の弟”になろうと無理をするようになった。
■’17年、歌手デビューした菅田将暉に抱いた怒り
その後、大学に進学するため上京し兄の部屋に転がり込むと、今度こそ自分自身を生きようと決意。両親に褒められたことがある歌なら”兄を越えられるかもしれない”と、夢中になれるアカペラに全身全霊を捧げた。その結果、見事大学3年時にアカペラの全国大会で優勝を果たす。その時が、初めて《自分自身が評価されたと感じた》瞬間だったという。
しかし、同じ頃、兄の菅田はアカデミー賞で最優秀主演男優賞を獲得。さらに歌手デビューを果たしていた。そんな兄に対し、《ふざけるな》《僕の人生に唯一残された音楽を取られた気がしていた》と、やり場のない怒りが沸いたと率直な思いを明かした。
しかし、素直に弟の優勝を喜んでくれる兄を見て自分自身に失望。”兄との差”に気がつき”理想の菅田将暉の弟レール”に逆戻り。勉強と就職活動に力を入れ、上場企業に入社した。だが、兄の活躍に両親と祖父母が喜ぶ姿を見るたび羨ましさに苛まれたという。
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そして、限界に達する。《悩みが悩みを呼び、入社後1年が経った頃、家の玄関で倒れてしまいました。鬱と診断され、退職させていただきました》と告白。《兄は16歳から1人で上京して仮面ライダーをしてたのかと思うと、死にたくなりました》と《どん底》を味わった。
■「『菅田将暉の弟』と公言出来るようになった自分への満足感が溢れて」
しかし、このことが転機となった。改めて兄のすごさを実感するとともに《きれいな理想を追いかける「あっちのけんと」と、やるべきことよりやりたいことしか続かないと気づき始めている「こっちのけんと」が生まれた》といい、新たなステージに向けて動き出したのだ。
仕事はせずにYouTubeで”1人アカペラ”を始め、やりたかったことに集中し続けた。数年後、《鬱になった過去の自分に向けたお手紙のような曲》だという楽曲、『死ぬな!』がSNSで話題となり、「こっちのけんと」に光が当たった。
《こうした曲を生み出すためには「菅田将暉の弟」として弱々しく生きてきたことに意味があった》と過去を見つめ、《僕にとって兄の存在は宝です》と明言。《こんなにすごい兄を持っていて、腐らずにいられるのは兄のおかげ》だとし、《憧れの人が自分のことを認めてくれていることが「こっちのけんと」を作れた最大の理由だ》と兄への思いを綴っていた。
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‘21年3月には、菅田が自身のラジオ『菅田将暉のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、弟からもらった誕生日プレゼントに言及。それは、こっちのけんとが作った「歌のプレゼント」だったという。菅田が出演してきた映画やドラマの作品タイトルだけで歌詞を構成した楽曲で、「めちゃめちゃ粋じゃない? これ、家に一人でいたら泣いちゃうわ、と思って。すごい感動して。何それ、お兄ちゃん泣いちゃう!」と絶賛していた。
そんな菅田のラジオに、こっちのけんともXで反応。《泣きそうになってくれて嬉しかったな》と綴りつつ、《兄の偉大さを改めて感じて。 同居してた時に見た多忙な時期と闘う姿を思い出して。 ふと自分と比較して劣等感を感じて。 『菅田将暉の弟』と公言出来るようになった自分への満足感が溢れて》と、自分自身の存在に自信を持てるようになったことを振り返っていた。
苦悩の末に辿り着いたのは「夢だった」という憧れの紅白。’19年に初出場した兄に続き、夢の舞台に立つこっちのけんとに注目が集まりそうだ。
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