11月17日、2024年MotoGP第20戦ソリダリティGPの決勝レースがスペインのカタロニア・サーキットにて開催され、今シーズンをもって現役を引退するアレイシ・エスパルガロ(アプリリア・レーシング)が現役ラストレースを5位で終えた。レース後はチームに温かく迎え入れられ涙を流したエスパルガロが、最後のレースと現役生活を振り返った。
「今日の結果は、10点満点中10点だ」
「僕はとてもラッキーな人だと思う。自分が今週末ここにこうしていれていることに本当に感謝している。20シーズンを終えて、自分のサーキットで、自分のホームグラウンドで、家族と、たくさんのサプライズと、アプリリアの大きな愛とともに『さようなら』を言えるなんて、これ以上の週末を夢見ることは不可能だ。もう少しでポールポジションを獲得できそうなほど戦闘力があった。ドゥカティと戦えたし、ホルヘ(・マルティン)がタイトルを獲得できて、僕は彼を少し助けることができた。 本当に、本当に、本当にラッキーだ」
エスパルガロは24周のレースの前半ではエネア・バスティアニーニ(ドゥカティ・レノボ・チーム)と、そして中盤以降はアレックス・マルケス(グレシーニ・レーシングMotoGP)と4位争いを展開した。最後2周のところでアレックス・マルケスに先行を許すこととなるが、ドゥカティ以外のライダーの中では最上位でレースを終えた。
また、このレースで盟友ホルヘ・マルティン(プリマ・プラマック・レーシング)が3位でゴールし、自身初、そしてサテライトチームでMotoGPチャンピオンを獲得した。エスパルガロは激しい4位争いを繰り広げることで、マルティンの3番手独走を助けた形となる。
「レース序盤は、優勝争いができるペースだと思っていたし、前のライダーがソフトタイヤを履いていたことも知っていたから、ちょっとショックだった。 僕はこれまでの人生で一番マシンの限界ギリギリで乗っていて、かなりブレーキングを遅くしていた。でもレース終盤には自分にアドバンテージがあると思っていたから、序盤は少し控えめにしていたんだ。でもドゥカティが何をやっていたのかわからないけれど、ソフトタイヤで僕より長持ちしたんだ」
「とても慎重に走ったけれど、最後の10周は悪夢のようだった。彼らよりもハードコンパウンドを履いていたのに、トラクションがかからなかったんだ。終盤は表彰台に近づこうとしたけれど、届かなかった。アレックス・マルケスは素晴らしいレースをして、僕を打ち負かした。限界だったけれど、ドゥカティ勢に割り込めたし、ホルヘを助けることができてとてもうれしいよ」
「レース前にホルヘと話したんだけど、僕たちはふたりとも、ドゥカティ全員が彼に敵対しているように感じていた。でも、彼らはタイトルを保持しようとしていたのだから、それは当たり前なんだ。そして僕が感じたのは、“弟”のタイトルを守るのは自分しかいないということだった。だから、最後のレースだからグリッドで感傷的になっていたとしても、スタートが決まれば完全に集中して、これまでのキャリアのなかで最もマシンの限界に近いところで走って、できる限り“弟”を守ろうとした」
2005年に125ccクラスデビューを果たしたアレイシ・エスパルガロだったが、そのキャリアの序盤は決して輝かしいものではなかった。125cc、250ccクラス時代は表彰台に乗ることはなく、シート喪失も経験した。
2010年に一度MotoGPクラスに昇格するものの1年でシートを失い、2011年にはMoto2クラスに移る。ここでようやく自身初となる世界選手権の表彰台を獲得し、翌年2012年にはMotoGPクラス舞い戻った。
その後Power Electronics Aspar(アプリリア)に2年、NGM Forward Racing(ヤマハ)に1年在籍したのち、2015年にチーム・スズキ・エクスターのライダーとなり、自身初のファクトリーマシンで2シーズンを戦った。そして2017年にアプリリア・レーシング・チーム・グレシーニに移籍し、以後今年までの8年間をアプリリアのファクトリーライダーとして過ごした。
2014年第14戦アラゴンGPで2位でゴールし、最高峰クラス初表彰台を獲得。2022年第3戦アルゼンチンGPでは初優勝を飾った。計20シーズン339レースで3回の優勝と12回の表彰台、7回のポールポジションを経験し、ランキング最高位は2022年の4位だった。
「多くの人が使う言葉に、『努力は才能に勝る』というものがある。それは本当だと思うんだ。僕は他の多くのMotoGPライダーよりも才能がなかったけれど、全ての努力、全てのリソースを使うこと、そして良いチームスタッフを周りに持つことで、それを証明した。一生懸命やることによってやりたいことを叶えてきた。僕は決してあきらめない人として記憶されたいんだ」
エスパルガロは最後のレースで多くのサプライズプレゼントを受け取ったようだ。土曜日のスプリントレースのゴール後、125ccクラスデビュー当時のマシンが用意され、それにまたがってクールダウンラップを走った。また、土曜日、日曜日それぞれでスペシャルヘルメットが用意されており、決勝後はスペシャルTシャツを着たスタッフに迎え入れられた。
「金曜日の夜、ガレージでチームともっとプライベートな時間を過ごしたのはとても楽しかった。彼らを愛しているし、素敵な30分間だった。そして、今日の朝ガレージに到着した時、妻がとても特別なヘルメットをくれたんだ。今週末は、みんながたくさんのサプライズを用意してくれた」
「グリッドでは泣いてしまったけれど、ライトがグリーンになった瞬間レースにとても集中できたんだ。その切り替えができたことを誇りに思うよ。でもチェッカーフラッグを受けた瞬間に僕は泣き出して、何も見えなくなった。ゴール後ホルヘと一緒に止まって、彼は僕に繰り返しこう言ったんだ、『僕たちはやったんだ!これ(チャンピオン)は君のものでもあるよ!』。ここカタルーニャでファンにバイバイと言えたこと、僕の親友が世界チャンピオンになったこと、アプリリアでの最後のレースができたこと、全てが素晴らしい。今日の僕は世界一幸せな男だよ、これ以上のことはない」
「今は100%安堵しているよ。チェッカーを受けて、緊張感が全くなくなって、すごく安心した。もちろん、アプリリアやMotoGPのことをたくさん、たくさん恋しく思うだろうね。でも、僕はもうレースをしたくなかったんだ。 僕はとても幸せで、ここまで到達したこの小さな子ども(ヘルメットに移る若い自分)を誇りに思っている。人生には新しいチャプターがあるんだ。人生において、タイミングを理解することはとても重要だと思うし、こうして別れを告げられるのはとても幸運なことだよ」
エスパルガロは2025年よりHRCのテストライダーとなり、レースウイーク明けの火曜日から、早速ホンダRC213Vに乗ってテストを始める。エスパルガロの『新しいチャプター』での仕事にも期待したい。