火野正平さんが、11月14日に亡くなった。同月20日に所属事務所が発表した。
最高“11股”も別れた女性たちには「いい思い出」
「火野さんは、1961年に劇団『こまどり』に入ると、13歳だった1962年にフジテレビ系のドラマ『少年探偵団』に出演してデビューしました。その後、1973年放送のNHK大河ドラマ『国盗り物語』で羽柴秀吉を演じて注目されるように。
近年ではNHK BSで春と秋の時季に放送される『にっぽん縦断 こころ旅』にレギュラー出演。自転車に乗って、全国各地をまわる姿が人気を博していましたが、2024年4月に持病の腰痛が悪化し、出演を取りやめていました」(スポーツ紙記者)
所属事務所の発表によると、腰痛からの復帰を目指していたが、夏に腰部骨折をしたところから体調が悪化。最後は自宅で家族に見守られながら旅立ったという。
火野さんは“元祖プレイボーイ”として数々の女性と浮名を流してきた。
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「最大で“11股”していたと報道されたこともありました。1970年に一般女性と結婚しましたが、翌年には女優の新藤恵美さんと交際。その後も紀比呂子さん、ホーン・ユキさん、りりィさん、仁支川峰子さんなど、数々の女性と交際してワイドショーをにぎわせていました」(芸能リポーター、以下同)
それだけ多くの女性と付き合ってきた火野さん。別れるときは女性から恨まれそうなものだが、そういった話は全然、聞こえてこない。
「当時、結婚していた火野さんとの不倫が原因でレギュラー番組やCMがすべてなくなった小鹿みきさんは“一緒にいるだけでよかった、とことん憎めないのが火野さん”だと話していました。望月真理子さんも“あの人が真理子という女と暮らして、よかったと思ってくれるだけでいいんです”と話すなど、火野さんとの交際と破局を“いい思い出”のように捉えていました。
火野さん自身は、いつも女性のほうからフラれると話しており、別れるときにはしっかり話し合っているそう。自分を飾らず、あっけからんと話すので恨まれることもないのでしょう」
“モテ男”ぶりは、火野さんが61歳のときに始まった番組『にっぽん縦断 こころ旅』でも見せていた。
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電車に乗れば、女性客に話しかけて隣に座る。高齢の女性から写真をお願いされると“俺と写真を撮ると妊娠しちゃうよ”と軽口をたたくこともあった。
番組開始から3年目の2013年、『週刊女性』のインタビューで、そのことについて聞かれると、
「自分の中では話しかけるのは女の人って決めてるわけじゃなくて……。寄ってくるのは女の人のほうが多いと思うんだよな。俺になんか、そういうのがあるのかもしれないね」
と、笑いながら語っていた。
「優しい雰囲気を持っており、大御所なのに、どこかゆるい感じもする。それでいて男気もあるところが、女性にモテる要因だったのかもしれません」(前出・芸能リポーター)
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稀代のプレイボーイは“現役”を貫いて旅立った。