結成20周年を迎えた囲碁将棋のふたり。『M-1』ラストイヤーの敗者復活戦で国民審査最下位になるなど、賞レースは振るわなくても、愛される漫才師に。無冠の漫才師がその20年を振り返る。
■後輩にイジられる無冠の強み
――今振り返って、一番のターニングポイントは?
文田 僕は2011年にコンビで「神奈川県住みます芸人」になったこと。新卒入社のマネジャーと一緒に営業の仕事を取りに行って、お祭りの司会とかをやるようになったんです。
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正直、それまでは「営業先の客はお笑いがわからない人だから、ウケるほうがヤバい」ぐらいの感覚だったんですけど、自分で取った仕事でスベるってイヤじゃないですか。
そこで感覚が変わって、スーツで漫才するようになりました。それまで私服だったんですけど、スーツのほうがスベったとしても"一生懸命やってる感"が出て、悪い印象は与えないなと思って。
根建 スーツだと「僕らちゃんとしてますよ」ってアピールにもなりますからね。
文田 あとは、最初のツカミをわかりやすくしたり、ネタのテンポを落としたりとかっていう"見てもらえるような空気づくり"を意識し始めたのが今につながってると思います。
それ以前で言うと、東京吉本のほとんどの芸人がお世話になっているライブ作家・山田ナビスコさんの影響もあると思います。
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根建 ただ、最初は山田さんにちょっと嫌われてたんですよ。NSC(東京校)時代に僕らが元気でポップな漫才をやったら、「おまえらみたいなやつらはすぐ解散する」って言われましたから(苦笑)。
文田 山田さんはポップだからダメとかじゃなく、「似合う」「似合わない」の判断も込みでアドバイスしてるんですよ。具体的なアドバイスを受けたことはほぼないんですけど、「『人気がある』と『面白い』は別」みたいな山田さんの哲学は染みついてる。
だから、どんなにスベってもフォームを崩さずにやってこれたんじゃないかなと思います。
根建 長い目で見て、僕らが「そういう芸風じゃない」ってことを感じ取ってくれたのかもね。08年に初めて『M−1グランプリ』の準決勝進出が決まったとき、それこそ僕、真っ先に山田さんに「行きました!」って電話したんですよ。
そしたら、僕らよりも山田さんと距離が近いトリオが落ちていたらしく、なんか申し訳ないことしちゃったなっていう......(苦笑)。
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文田 当時は3回戦の次が準決勝で、それまで3年連続3回戦止まりだったんです。で、08年に「いいネタができた!」と思ったら3回戦の出番がトップバッターで、「またダメか......」と。そしたら想像以上にウケて、通ったときはめちゃくちゃうれしかった記憶がありますね。
その後、10年に『M−1』がいったん終了、翌年から始まった『THE MANZAI』あたりが僕らの賞レースの筋肉のピークだった気がします。決勝大会にも進めたし。その時期に『M−1』があったら、もしかしたら決勝に行けたかもなあ、とは思いますね。
根建 15〜19年にも『M−1』に出ましたけど、結局決勝には届かなかったからね。だから、逆に言えば、まだターニングポイントは来てないんですよ。ターンしてる人って、何かをやり遂げたり成功した人じゃないですか。
僕らはいまだに後輩のダイタクとかから「『M−1』ラストイヤーの敗者復活戦で国民審査最下位」ってイジられるくらいナメられてますから(笑)。
文田 マヂカルラブリーの野田(クリスタル)君とかが僕らを「憧れの存在」みたいに言ってくれたおかげで一度メディアにも担がれたけど、持ち上げ方がどんどん大喜利みたいになって、真顔で「囲碁将棋を知らないってヤバいですよ」って言うみたいな厄介なイジりに発展してるしね。
根建 あと、『M−1』準決勝とか『THE MANZAI』決勝でめちゃくちゃスベってたりするから、後輩はそういうのを見て「あいつらぐらいにはなれる」って絶対思ってる(笑)。でも、そうイジられることが、賞レースの王者になれなかった僕らの売りなのかなとも思います。
■「芸人辞めようかな」根建の転機とは
――18年からは大宮ラクーンよしもと劇場を拠点とする芸人のユニット「大宮セブン」としても活動しています。
文田 新型コロナの影響で劇場公演が休止になって、それが明けた後ぐらいから大宮セブンが全体的に活気づいたんですよね。マヂカルラブリーが『M−1』で優勝(20年)して大宮セブンのメンバーで『アメトーーク!』(テレビ朝日系)に出たりとか。
根建 自粛期間中に、すゑひろがりずがYouTubeの『あつまれどうぶつの森』のゲーム実況でバズったり、GAGが4年連続で『キングオブコント』の決勝に行ったり、野田君が『R−1ぐらんぷり』で優勝したり、みたいな盛り上がりもありましたから。
文田 12月13日からは大宮セブンをベースにした『くすぶりの狂騒曲』っていう映画まで公開されるんですよ。公開前に見させてもらったんですけど、劇場のメンバーは全員「タモンズってこんなくすぶってたんだ」って一般客と同じ目線で泣いてました。
根建 マヂカルラブリーとかじゃなく、一番遅咲きのタモンズをメインにしてるのがたまんなかったですね。
――鬼越トマホークのYouTube動画に出演時、根建さんは「芸人を辞めようとした時期がある」と話していましたよね?
根建 19年に『M−1』のラストイヤーが終わって、漠然と「別の仕事がしたいな」と思ったんです。それで年明けに文田に「芸人、辞めようかな」って相談したら、「俺が『育休を取る』ってお客さんに発表するから。おまえはその間にちょっと休め」って言われて。
俺だけ休むと目立つからってことで策を講じてくれたんですけど、その後すぐに新型コロナの影響で全員が休みになったっていう(笑)。
文田 発表の意味なかったんだよね(笑)。根建から「芸人を辞めて、とにかく住み込みで働きたい」って聞いたときに「リゾートバイトじゃあるまいし、住み込みメインで仕事選ぶやついねえよ」と思ったんですよ。
本人も「うつっぽい」って言ってたから精神的に弱ってたのは間違いないだろうけど、仲間内で「うつにしてはちょっと(程度が)弱いよな」って話にもなってて。
根建 一応、心療内科にも行ったんですけど、病院の待合室で深刻そうな表情で座ってる患者さんがいる中、俺だけ本棚の雑誌を手に取って読んでいるのに気づいて「弱いかも」と思いました(笑)。
でも、先生に状況を説明したら、「たぶんうつ病です。薬出します」って言われたから「やっぱりそうか」と思って。
待合室に戻って会計を待っていたら、さっきの先生が診察室から出てきて「根建さん、すみません! うつ病じゃなくて単なる悩みです。もう来なくて大丈夫です」って(笑)。
文田 看護師に「先生って誰にでも薬出すよね」みたいな悪口言われたのかな(笑)。
根建 今考えると、劇場に立つルーティンがずっと続いていたことで現実逃避したかったんだと思います。
文田 それまでは基本的に仕事を断らなかったんですけど、その一件から、無理をせず断るようになりました。コンビの方針が変わった意味でも転機だったと思います。
――12月は、東京と大阪で単独ライブが控えています。
文田 この単独ライブはすべて新ネタで臨みます。タイトルの「曼珠沙華」は彼岸花の別名なんです。花が散ってから葉が出て、葉が枯れてから花が咲く彼岸花になぞらえて、「中年だけど、まだ枯れてないよ」ってメッセージを残したくてつけました。
僕が好きなサザンオールスターズにも『DIRTY OLD MAN〜さらば夏よ〜』って曲があって、リリース当時の桑田(佳祐)さんと今の僕の年齢が同じぐらいなんです。だから、今年は中年の現役感を出したいなと思います。
根建 単独ライブは、ミュージシャンでいうところの「ファンの方への恩返し」。
もちろんテレビの仕事も好きですけど、本業は劇場に出る漫才師だと思ってるので、常に単独ライブのチケットが完売するようなコンビになりたいですね。まずはNGK(なんばグランド花月)の単独ライブを満員にしたい。それが今一番の目標です。
●根建太一(ねだて・たいち)
1981年生まれ、神奈川県出身。趣味は野球観戦(巨人戦)、車、ロードバイク。トレードマークの野茂英雄Tシャツは30着所有している。パンサーの尾形貴弘が率いる「尾形軍団」に属している
●文田大介(ふみた・だいすけ)
1980年生まれ、神奈川県出身。趣味は麻雀、ポーカー、格闘技、将棋など。実はだて眼鏡で、レンズは入っていない。自宅裏のアパートが解体される際、業者の勘違いで自宅が誤って解体された
■単独ライブ2024『曼珠沙華』
《大阪公演》日時:12月1日(日)開演19:30 会場:なんばグランド花月
《東京公演》日時:12月28日(土)開演19:30 会場:ルミネtheよしもと
チケット詳細はこちら【https://yoshimoto.funity.jp/r/igoshogi2024/】
取材・文/鈴木 旭 撮影/鈴木大喜