【追悼】石橋貴明から世界的歌手まで…華麗なる人脈の“新宿の伝説占いママ”が急逝していた

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2024年12月12日 11:10  web女性自身

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’70年代から東京・新宿でバー『ワッケーロ』を経営し、多くの芸能人とも交流があった占い師のガルシアさん(本名・篠原明子さん)が、10月下旬に急逝していたことが分かった。享年72。死因は慢性虚血性心疾患だった。



「ガルシアさんはお店にいたときに突然発作に見舞われたようで、そのまま息を引き取ったそうです。そのときにはお客さんはおらず、数日後不審に思った知人たちが店にかけつけたときはすでに親族の手によって荼毘に付されていました」(ガルシアさんの知人)



ガルシアさんは、20歳の時に新宿二丁目(当時)に占いバー『ワッケーロ』をスタート。タロットなどを駆使して当たると評判の占いと、明るい人柄で新宿では“名物”占い師として評判に。当時は本名をもじった「あこママ」と呼ばれており、‘70〜80年代から大物タレントたちがガルシアさんのお店に遊びに行っていたという。



「まだ『笑っていいとも』の司会に抜擢される前でイグアナ芸をしていたころのタモリさんや、ビートたけしさん、志村けんさんも遊びに来ていました。他にもキャロルでデビューしたばかりの矢沢永吉さんとも交流を持つなど、幅広い芸能人たちがひいきにしていました」(ガルシアさんを知る芸能プロダクション関係者)



■「とんねるず」の名づけ親という説も



特に有名だったのが、とんねるずの石橋貴明(63)との交流だった。実際ガルシアさんが生前つづっていたブログには、とんねるずの“名づけ親”だった、とも記載されている。



「ブログによれば、石橋さんはバブルガム・ブラザーズ結成前でお笑いタレントだったブラザー・コーンさんに連れられて店にやってきたそうで、まだ『お笑いスター誕生』(日本テレビ系)で10週勝ち抜く前だったとか。当時は木梨(憲武)さんとのコンビ名を『貴明&憲武』と名乗っていたころで、ガルシアさんに“コンビ名”をつけてくださいと懇願したといいます。



石橋さんが候補名をいくつか提示すると、そのなかに『トンネルズ』があったそうで、“ひらがなが、いいんじゃない”とガルシアさんがアドバイスしたそうです」(前出・知人)



のちに番組『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)の名物コーナー『新・食わず嫌い王決定戦』のなかで、石橋が「俺は若いころ、毎晩ワッケーロで飲んでたよ」と話している。



「ガルシアさんは新宿二丁目から三丁目に移転するときにお別れパーティを行っており、そのときの司会を務めたのが石橋さんでした。まだお金がなかったころの石橋さんを弟のようにかわいがっており、よく自宅で寝泊まりさせていたそうです」(前出・知人)



■猫好きがこうじて猫ひろしを応援



ガルシアさんは無類の猫好きともして知られており、自らの自宅では数多くの猫と生活を共にしていた。



「これまでガルシアさんが飼っていた猫は雑誌にも取り上げられたことがあり、愛猫家たちの間でも有名人でした。特に写真週刊誌『FRIDAY』に掲載されたことがあるハートの模様を持つカラコちゃんは人気で、その子とふれあうと“恋人ができる!”と話題になっていたほどです」(ガルシアさんの知人)



そんな“猫”つながりということもあり、晩年までタレントの猫ひろし(47)をかわいがっていた。



「15年前にテレビで見て、猫ひろしさんを気に入り、彼が出演していた浅草の劇場にかけつけてから交流がスタートしたのです。その後は毎年開催されていたガルシアさんの年末パーティに毎回ゲストとして猫さんが出演。ガルシアさんも彼のマラソン大会は、ほとんど現地に行って応援していました」(前出・知人)



他にもガルシアさんは占い師としてではなく、キャンドルアーティストの顔も持っていた。そのキャンドルが縁で、’80年代に大ヒットを連発した米人気歌手のシンディ・ローパー(71)とも交友があった。



「かつて発行されていた占い雑誌にガルシアさんが作ったキャンドルが掲載され、その写真を見て、来日中だったシンディ・ローパーのほうから“会いたい”と連絡があったのです。‘96年だったと思いますが、ガルシアさんは彼女のコンサートにも招待され、楽屋で面会。シンディの方からガルシアさんに”会いたかった”とハグをし、ガルシアさんに“サインして”とせがんだそうです」(前出・知人)



ガルシアさんは、シンディ・ローパーと一緒に撮った写真を生涯誇りにしており、お店にも飾っていた。亡くなる直前まで環境問題に関心を寄せ、神宮外苑の再開発反対運動にも積極的に参加していたガルシアさん。



「行動力があったガルシアさんは自ら足を運んで地元の説明会に参加しており、区議たちにも働きかけていました。とにかく亡くなる直前まで元気で、いつも時事問題について語っていた姿が思い出されます。突然の死は、本人にとっても無念だったでしょう。それでも、最後を自分が長年過ごしてきたお店で迎えたことは、ガルシアさんにとっては本望だったと思います」(前出・知人)



新宿のレジェンドだったガルシアさんに合掌――。

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